御義口伝 観世音菩薩普門品第二十五 陀羅尼品第二十六

普門品五箇の大事

第一 無尽意菩薩の事

 娑婆世界に縁の深い菩薩として古来より厚く信仰されてきたが、大聖人「寿量品の残りカス」と申された。観音は対社会的な生命活動であり、無尽意とは人間としての内面の力、その持っている哲学ということが出来る。

その両者の一致が王仏冥合の理想である。

自己を犠牲にして、他人のために、社会のために尽くしていくのは美しい行為ではあるが、自分を見失ってしまったならばそれは単なるお人好である。両方調和していってこそ行きづまりのない人生を築き、社会を繁栄させていくことである。

「信心の究極は、所詮法華経すなわち御本尊を日蓮大聖人の御命なりと信じて受持することであり、一切の仏道修行の極理であり、学会の指導もここに帰着するのである。いかなる難があろうが、毅然として御本尊を受持しきり、自行化他の題目を唱えきっていく事が信心である。役職を問わず社会的地位の如何にかかわらず、又、活動が多角的になり、多忙になったとしてしても、常にこの根本に立ち返ってくることが大切である。」

第二 観音妙の事

 観世音菩薩は古くから民衆に親しまれてきたが、結局は法華経を受持して成

仏したのである。

第三 念々勿生疑の事

 「憶持不忘の信心」「在在諸仏土、常与師倶生」

第四 二求両願の事

 素晴らしい福子に恵まれるとの文証。求女とは世間の果報(現世安穏)求男は出世の果報(後生善処)をあらわす。

百六箇抄(血脈抄P、862)に「男は本、女は迹、知り難き勝劣なり」

諸法実相抄(P、1360)に「末法にして妙法蓮華経の五字を広めん者は男女はきらうべからず、皆地涌の菩薩に非んば唱へがたき題目なり」と。

日蓮大聖人も釈尊も男であり、天台、伝教も学会の代々の会長も皆男である。

求女は竜女が成仏であり竜女は愚痴。求男は提婆が成仏であり、提婆は怨嫉

戸田先生の指導

 竜女は女のヤキモチ、提婆は男のヤキモチである。

 「女の嫉妬は、顔立ちや着物、持ち物等に関する(色法)に多く、男の嫉妬は才能、智慧,力に関する(心法)ことが大部分を占める。」

 五濁悪世の習いから見ると、個人間に留まらず企業間、国家間においての憎しみが激しい闘争の姿を露呈している。生命の浄化による一生成仏、広宣流布への大目的が今こそ大事となる。

第五 三十三身利益の事

 御本尊の功徳を示された箇所である。観世音菩薩が三十三身をもって化導することが説かれているが、仏,声聞、梵天、帝釈、から長者、童男、童女に至るまであらゆる分野に、あらゆる姿を現じて、大御本尊の功徳を説明し大白法流布し民衆を救うのである。

<陀羅尼品第二十六> (陀羅尼品六箇の大事)

第一陀羅尼の事

 陀羅尼とは、よく善法を持して悪法を遮る、捨てるという意味で、折伏していくのは、この陀羅尼の意義を事実の上で弘めていることになり、意味は解らなくても自然の内に護られて幸福境涯になっていくのである。

第二 安爾曼爾の事

 薬王品の安爾曼爾の呪(文)、止観

第三 鬼子母神の事

 鬼神とは、生命の精神作用(思想)。仁王経に「国土乱れん時は、先ず鬼神乱れる。鬼神乱るるが故に万民乱る。」思想、精神作用と云う人間の内面の乱れが、社会の乱れを招き、国土の乱れを惹起するとの原理。

第四 受持法華名者福不可量の事

 十羅刹女が法華経の行者を守護するとの誓いを立てたのに対して、仏がこれを褒め讃めた言葉。

四条金吾殿女房御返事(夫婦同心御書)に「是経典者とて者の文字はひととよみ候へば ~ さにては候はず。次下の経文に此の者の文字を仏かさねてとかせ給ういて候には若有女人と説かれて候」

 「浅はかな信心で、凡夫の智慧でこれぐらいなものかなどとおもっては大間違いである。男性の持ち味があると同じく、女性ならではの特性は生かされねばならないが、同時にそうした良い面を発揮するためには、狭い物の見方や考え方の殻を破ることが必要である。それは女性に限らず男性においても同様である。」

第五 皇諦女の事

鬼子母神の九番目の娘、本地は文殊師利菩薩(智慧第一)

富木尼御前御返事(弓  御書P、957)に「やのはしる事は弓のちから、くものゆくことは、りゅうのちから、をとこのしわざはめのちからなり」と。

女子部と婦人部の関係とも捉えることが出来る。

兄弟抄(P1088)に「女人となる事は、物に随って、物を随える身なり、夫たのしくば妻もさかふべし、夫、盗人ならば妻も盗人なるべし」と。

「女性の本能的な所有欲として、幼児期に於いては、人形や色紙何でも大事に仕舞っておくという性格、成人してからも、男は創造や破壊に喜びを感じ、道を開きゆくのに対して、女は男の得てきたものを守るという分担は自然の内になされていくようだ。生理期などの理性を失いがちな時に、万引きを犯すといった犯罪は男性にはない。」

第六 五番神呪いの事

 妙とは十羅刹女、とは持国天王、とは増長天王、とは広目天王、とは毘沙門天王。すなわち妙法を受持した我らの生命を意味する。

 十羅刹女は善悪に通じ、生命の本質を表わす。持国天は「持国は依報の名なり、法は十界なり」依正不二で職場であれ、家庭であれ、そこを仏国土として崩れざる幸福と平和の砦として確立していける。増長天は仏界(随喜)に訳す、衆生所有楽。広目天は、仏智の眼を開く、妙法の大哲学。毘沙門天は、

 多聞天であり、法を多聞して、大仏法を令法久住しゆく事。

以上 要旨記述 2013/18/17

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