御義口伝 五百弟子授記品第八 人記品第九

五百弟子品三箇の大事

第一 衣裏の事  仏界所具の文

観心本尊抄に「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こして五字のうちに此の珠をつつみ、末代幼稚のくびにかけさしめ給う」

第二 酔酒而臥の事

 本迹二門は酒なり。南無妙法蓮華経は醒めたり、種脱相対して本迹二門は

無明なり。法は酒なり、妙は醒めたり。

御義口伝(上)P708に「妙とは法性なり、法とは無明なり、無明法性一体なるを妙法と云うなり。」

酒とは無明なり、無明は謗法なり、臥とは謗法の家に生まれることなり。

一往は宿命論であり、再往は宿命打破論である。

第三 身心遍歓喜の事

 「我今仏に従って、授記荘厳の事、及び転次に受決せんことを聞き奉って

身心遍く歓喜す。」

<人記品第九> (人記品二箇の大事)

第一 学無学の事

 学無学の声聞の弟子二千人が成仏の記を受ける。世間の言葉と反対になる。

 「我慢強い」は我慢偏執といって良くない意味だが、現代では曲解されて使われている。学とは、学問未熟な人。無学とは、すでに学問に到達した人。

 「而強毒之」とは、強折伏のこと。

第二 山海慧自在通王仏の事

 「阿難とは歓喜なり」多門第一と云われた阿難は、歓喜に燃えて一途に修行してきたことを大聖人がお引き遊ばされた文と拝する。

以上 要旨記述 2013/08/15

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