立正安国論講義 再読了

立正安国論講義 御書関連書籍等

池田大作 著

第一、 御述作の由来

1、対告衆 ~ 北条時頼(最明寺入道)時の最高権力者

「承久の乱」による下剋上(北条家が主君である朝廷方(天皇家)を亡ぼす)

・北条時頼の気風

質実剛健、我が身を正す臣下の諫言に耳を貸す。但し禅宗への傾倒が著しく京の朝廷への対抗意識ある中で独自の文化を築こうとしていたようだ。

武力による政治の実権も精神的機軸人材も制度も整わず焦るところがあったようだ。臨済宗の栄西が禅を興し鎮護国家への主張をしだしてから建長寺を建立し、一握りの権力者にばかり目が行って多くの大切な大衆には全く眼が届かなかった。又当時中国(宋)では技術の大発展期にあたり羅針盤や印刷技術、火薬などが発明され後に西洋の近代化をもたらす起因となっていた。

そういった中で宋との交易が盛んとなり亡命禅僧を重用する機運が高まった。

・大聖人の御書は一往は当時の民衆の為ではあるが、再応は滅後の為でもある。

国家の指導原理であり、災難治術の根本書でもあり滅後の現代を予見する末法万年の国家安穏、世界恒久平和への明鏡であった。

・安国論の正本は下総(千葉)の富木家のもとに留められている事や中山の法華寺にも秘蔵されていることの重要さ。

・化儀の広宣流布は新時代要求の王仏冥合を目指す民衆の手による戦いである。

2、時代的背景 「三災七難」の禍い起こる

僧兵の増長~山法師(延暦寺)奈良法師(興福寺)寺法師(三井寺)

「保元、平治の乱」に天災が加わり民衆は塗炭の苦しみを余儀なくされていた。

・「法然念仏」;教学なく学問不要という破仏法の邪義で、末法思想を巧みに利用した邪宗であって賤民の中に広く教勢拡大を謀った。

・「禅宗」と武士の関係;禅僧の帰化(元からの圧迫を逃れて亡命帰化)

北条時頼=道隆(建長寺)時宗=無学祖元(円覚寺)~下級武士層へ浸透

律宗良観=(極楽寺)~幕府に取り入って大聖人迫害の急先鋒となる。

第二、 本書の大意

「十問九答を十段」として捉える

第一段、災難の由来 ~ 諸天の加護亡き故

第二段、災難の証拠 ~ 三災七難の出来(法華経に敵対)

第三弾、誹謗正法の由 ~ 破仏法(悪僧侶)

第四段、正しく一凶の所帰を明かす

第五段、和漢の例を出す ~ 承久の乱で朝廷側の大敗

第六段、勘状の奏否 ~ 念仏禁止令、捨閉閣 の邪義

第七段、止施断命 ~ 一闡提の者には布施するな

第八段、斬罪用否 ~ 一国の謗法を断ぜよ。布施を止めろ。

第九段、断疑正信 ~ 謗法を退治し、折伏せよ。

第十段、帰正領納 ~ 折伏を誓う。

第三、 本書の元意

化義の広宣流布のための指南書;一対一の折伏、対話

王仏冥合論;衆議院への代表を送り込む選挙の事か。

大聖人御入滅後も日興、日目上人等代々の御法主上人が国家諫暁されるときは、必ずこの書を副えて出されている。(白楽天が楽譜にも超える仏の未来)

北条時宗への御状(P、169)“日蓮は法華経の御使いなり”

極楽寺良観への御状(P、174)「於一切衆生中亦為第一」

平左衛門の頼綱への一昨日御書(P、183)「念仏無間、禅天魔、竜の口の法難」

呵責謗法滅罪抄(P、1129)「三災七難」

顕立正意抄(P、536)

種々御振舞御書(P、909)「蒙古より牒丈」

阿仏房尼御返事(P、1307)「真言、天台等は法華経誹謗の者」

本尊問答抄(P、371)「故最明寺入道殿に奉る」

妙法比丘尼御返事(P、1412)

聖人知三世事(P、974後五百歳)

“広宣流布疑いなきものか、誰人を以って法華経の行者と之を知るべきか”

智妙房御返事(P、1287)“日蓮この二十八年が間~”

治病大小権実違目(P、998)「三災七難の原因は」

三大秘法抄(P、1021)「寿量品の事の三大事なり・本門戒壇」

四条金吾殿御返事(P、1116)「同上」

義浄房御書(P、892)

諸法実相抄(P、1360)“皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱えがたき題目なり”

身延相承事(P、1600 )「日興付属」

日興遺誡置文(P、1618)「随力弘通」

如説修行抄(P、502)「法華折伏、破権門理の金言」

報恩抄(P、328)“日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は万年の外”

顕仏未来記(P、507)“始西より伝う、猶月の出るが如し今復、東より返る

猶日昇が如し、仏法必ず東土の日本より出るべきなり“

諫暁八幡抄(P、588)

“月は西より東に向かへり月氏の仏法の東に流るべき相なり、日は東より出ず、日本の仏法の月氏へかえるべき瑞相なり”「三国並びに一閻浮提の人日本、中国、インド」「広宣流布、王仏冥合、本門戒壇の建立

  •  立正安国論の現代的意義

・日蓮大聖人の出現と末法において広宣流布するとの予言は、創価学会の出現によって証明されるのである。

法華経薬王品第七に、“我が滅度の後、後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布”

・西洋文明の行き詰まりから東洋の哲学に解決の道を求めている。

(トインビー(英)アインシュタイン、ヤスパース(米)ジョージサートン氏ら)

開目抄(P、202)“詮ずるところは、天も捨て給え諸難にもあえ身命を期とせん”主権在民の現在、一対一の折伏対話が諫暁にあたる。国会(衆議院)こそ国民を代表する最高機関で民衆の代表を送り出す事こそ国家諫暁ではないか。

  •  国家諫暁の歴史
    • 日蓮大聖人の諫暁 当時の最高権力者北条幕府への国家諫暁
    • 日興上人の諫暁  折伏実践活動
    • 日目上人の諫暁  42度に渡る国諫
    • 日動上人の諫暁  足利尊氏の時代、邪法乱国の様相
    • 日行商人の諫暁  光明天皇(北朝)への上奏
    • 日有上人の諫暁  室町第六代将軍足利義教
    • 日 上人の諫暁  江戸時代末期
    • 創価学会の諫暁 昭和3年牧口初代会長と戸田氏による神札を祀らな いという不敬罪による科で入獄そして後に獄死(殉死)
  • 日蓮主義者の系譜

田中智学、日蓮宗から還俗して「国中会」を設立、本多日生外28名

日蓮主義、八紘一宇、国立戒壇、国家主義、国家神道の考えが根にありそれに迎合するように大聖人の言葉を解釈していく手法。

「立憲養正会」の名で衆院へ立候補するが、落選(1,924年)

その他、宮澤賢治(童話作家)高山祖牛(文学者)北原白秋(詩人)石原莞爾(軍人)、石原莞爾らによる「満州事変」日蓮宗の井上昭の「血盟団」というテロ組織 ~ 井上準之助(蔵相)、団琢磨(三井財団)の暗殺。北一輝(2・26事件)姉尾義郎(新興仏教青年同盟)

“日蓮を用うるとも、悪しく敬えば国亡ぶべし”

  • 牧口先生の宗教改革

「一宗が亡びることではない、一国が亡びることを嘆くのである。宗祖聖人の御悲しみ恐れるのである今こそ国家諫暁の時ではないか、何を恐れているのだ。」立正安国の精神を蘇らせたのは牧口先生です。

  • 立正安国の原理

「立正安国論に始まり、立正安国論に終わるとは」?

「立正安国論」に始まるとは、国主諫暁(時代、社会の変革への挑戦)

受難の連続、予言の的中と池上邸における「立正安国論」の講義

「立正安国論」に終わるとは、継承者は、立正安国の本道を行かねばならない。

「個人の次元」と「社会の次元の立正」~法華経という根本善を信じて、個人が「心の平和」を確立する。そして人間のための宗教として、(宗教のための宗教)ではなく人間尊厳、生命尊厳の哲学を世に広めること。歴史の上では政治と宗教の歪んだ関係が、鎮護国家の名のもとに民衆を忘れた権力者中心の世を現出しようとしてきた。民衆を救う安国思想が、やがて民衆を苦しめる事となる。闘う相手は権力の魔性なり。このような民衆の苦悩への同苦に心(信仰)次元の変革を叫ぶものです。

・国、國、 の三種

「王は民を親とし」「権力者は万民の手足」これは「人道主義」と呼ばれる思想で、牧口先生の思想に通じる。王仏冥合の意義は、仏法精神を社会のあらゆる次元に脈動させ開花させていく運動です。決して教義の押し付けであってはいけません。学会は世界が味方です。そういう時代に入った。地球規模の立正安国を実現しなければならない。

「一人の偉大なる人間革命から全人類の宿命転換を実現する」

・人間の安全保障(地球的課題)

地域紛争、人権侵害、貧困の増大、人口爆発、環境破壊など

《本 講》

  • 災難由来の根本原因を明かす
  • 災難の由来を問う

“旅客来たりて嘆いていわく近年より近日に至るまで、天変地妖・飢饉疫癘遍く天地に満ち広く地上にはびこる、牛馬巷にたおれ骸骨路に充てり死を招くのともがら既に大半に超え悲しまざるの族あえて一人もなし~”

(通解・講義)

浄土宗では弥陀の称名を信じ念仏を唱え、天台宗では、薬師経の文を信じて薬師如来を口ずさみ、法華経を信じ不老不死、七福を生ずるという仁王経、般若経を信じ、真言宗は秘密真言、仏法僧の三法も厳然とある。八幡菩薩の託宣あって百代の王を守護するというが、是はいかなる過失から生じたもので、いかなる誤りから生じたものなのか。

(講義)

「立正安国論は王仏冥合論」の別名なり、現今に於いては全世界の人々、全世界の指導者が旅客に当たると拝すべきであろう。

大聖人が災難の起こる根本原因について説かれた事への客からの質問である。

・「三災七難」について

末法の初め(1052年)~ 闘浄言訴・白法隠没(仏教の退廃)

摂関政治に代わり武士の台頭、叡山の僧は僧兵と化し、東大寺、興福寺の僧兵と争う。放火多発、鎌倉の大地震、台風(8月に雪が降る珍事)、京都の大火、大雨、洪水等、富士山の噴火(1059年)保元、平治の乱(1156年)自界叛逆、

世界史の上でも13から15世紀は大変動期に当たる。

・「観心本尊抄」“此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す、一閻浮提第一の本尊この国に立つ可し”

・「三大秘宝抄」“戒壇とは、大梵天王、帝釈天王らも来化して踏み給うべき戒壇”

・「聖人知三世事」“日蓮は一閻浮提第一の聖人なり”

13世紀(1279年)大御本尊建立 ~ 三災七難競い興る

北欧の苛烈な気候変動(13~15世紀)14世紀の冬オオカミの大群がノルウエーからデンマークへ移動、バルト海は氷で覆われ、南欧でも寒波に襲われ作物が採れず飢饉が起きた。

北欧でも蒙古族の欧州遠征、元の建国(チンギス汗、フビライ汗、大帝国が建設された。高句麗を占領し、日本へは、文永、弘安の役。 西欧においては、十字軍の遠征、ペストの大流行、キリスト教の堕落。新しき文芸復興の世となり、中世の幕を閉じる。

時とは不思議なものである。生命の奥底流れが時を作るのか。又、国土のリズム否大宇宙のリズムそれ自体が時を形成しているのか。

交通・通信等の発達

シルクロード、蒙古のヨーロッパ遠征、中国本土、満州、モンゴル、朝鮮、チベット、安南方面、西洋では、マケドニアのアレキサンダー大王の時代、ペルシャエジプト、中央アジアからインドにまで進出し、ヘレニズム文化を生み出し、地中海を中心とした東西洋交流、十字軍の遠征、マルコポーロの「東方見聞録」コロンブスのアメリカ大陸発見、スペイン、ポルトガル人らの海洋進出

・後の五百歳の始めに、仏法必ず東土の日本より出づべきなり

僧侶の堕落;平安末期に俄か坊主が増えだし質の低下をもたらした。邪宗邪義・「四個の格言」を宣言されるや、彼らは権力者と結託して迫害した。

極楽寺良観などはその最たるものであった。

念仏の恐るべき害毒; 無気力、あきらめ、退廃と享楽~自殺者の大量排出

念仏破折 ~ 時宗の一遍(踊念仏)、法然の選択集

  • 災難の根本原因を明かす

“世皆正に背き人悉く悪に帰す故に善神は国を捨て愛去り聖人はところを辞して帰り給わずこれを以って魔来たり、鬼来り災起こりいわずんばあるべからずおそれずんばあるべからず~”

正しき生命観、社会観、世界観、宇宙観を説かれた大聖人の大生命哲学による以外にない。近代にいたり、資本主義の発達により「絶対多数の最大幸福」との言葉の如く宗教の正邪を分別し最高の宗教を求めるべきである。

ベンサム、ミル等は、個人の降伏と人類の幸福が一致するとする思想を展開している。生活とは生命活動の発露であり人間生活への思想宗教の影響。

誤れる思想・宗教の恐ろしさ

西欧におけるキリスト、ソ連の共産主義、ナチの人種論、インド、中近東、東南アジアの宗教そして日本の国家神道

・西欧のキリスト教の影響ローマ皇帝による国教化以来(392年)中世において、教会の権威は絶対視されその後イスラム教徒に奪われた聖地奪還のため十字軍による遠征に赴きさらに、ルネサンス期に於いてキリストの権威から離れる人々が現れた。ブルーノの焚刑、ガリレオの地動説、やがて教会の腐敗堕落に対しルターやカルバンらによる宗教改革、ヒューマニズム、平和への戦い

結果的には戦争を助長し人間性を抑圧してきた。何故欧米諸国は植民地主義を駆使してまで、アジアアフリカを苦しめてきたのか。独裁者スターリンの共産主義ソ連大量粛清の嵐、強制労働への恐怖、全体主義体制、誤れるユダヤ人虐殺(ナチドイツの反ユダヤ主義)アウシュビッツ収容所等

東南アジアに見る宗教害毒 ~ 邪宗邪義の横行

インド、パキスタンの対立(イスラム教徒との対立)、インドのヒンズー教カースト制度の弊害等、小乗仏教国東南アジアにおける植民地支配下の生活

太平洋戦争下における我が日本の神道

・戦争(兵革、自界叛逆、他国侵逼)~ “世皆正に背き人悉く悪に帰す”

人生の実相は宿命との対決 ~ 宿命の打開にあり

・諸天善神と神天上 ~ アミニズム(霊魂)シャーマニズム(巫女)

三種の神

  • 天地創造の神~ユダヤのエホバ、キリストのゴッド、イスラムのアラー
    • 氏族先祖供養~天照大神(天皇)大和民族、出雲氏族(大國主命)
    • 諸天善神~信仰の対象としてではなく、梵天・帝釈とはどこかにいるのではなく生命の本質に備わる働き

・当体蓮華(因果俱時)と比喩蓮華

元品の法性は、梵天帝釈と顕れ ~ 大宇宙が我々に働きかける

元品の無明は、第六天の魔王と顕れたり

一国、世界の正しき指導者は梵天帝釈に当たるだろう。

「兄弟抄」に云く“この世界は第六天の魔王の所領なり”

“扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ”~不思議の国日本

御本仏出現の国、三大秘法流布の国(大仏法発祥の国)

神天上の現証

守護神は正法の法味に飢えて国土を捨て天界に去ってしまった。

元々諸天善神は妙法の働き、謗法によりその働きがなくなる。

太平洋戦争の敗北により、国土の荒廃と民衆の苦しみは何を意味するのか

国家神道の誤りによる一国総罰の現れである。戦後広布への胎動として創価学会の再建により会員の増加により妙法の音声に諸天も活動を開始してきた。

“日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれ”

蒙古来襲にも日本民族は不思議にも守られ、今日においても核戦争を免れるのも創価学会(SGI)が厳然と控えておればこそである。“法に過ぐれば罰当たりぬる也”広宣流布・王仏冥合の戦いを止める事なきよう

  • 災難由来の経証を引く

国中が邪法であるがゆえに諸天善神国を捨て所を去り、代わりに魔王、悪鬼が来て国中に災い起こる、大聖人の大確信である。これを単に一思想の如くに扱う輩らは大いなる誤り也、かつ近代科学の最先端にもおいても創価学会の主張を認識もせずに評価する愚かな人々も存在する。「法然の選択集」「親鸞の歎異抄」等は経文によらず自分勝手な議論に執し“文証なきは悉く是れ邪義なり”仏法は証拠主義なり。

三証、五重の相対、四重興廃、三重秘伝

立正安国の理想

  • 人間革命 ②福運 ③以信代慧 ④思想哲学(人生観)⑤諸天の加護

各個人に及ぼす影響其のまま国家社会にも当てはまるのである。

・如説修行抄に、“天下万民諸乗一仏乗となって妙法独り繁盛せん時万民一同に南妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝を鳴らさず雨懐を砕かず代は義農の代となりて今生には不詳の災難を払い長生の術を得人法共に不老不死の理顕れん時を各々御覧ぜよ現世安穏の証文疑いあるべからざるもの也。一国に謗法、邪教が漲るときには三災七難天変地妖を免れがたし”

三災七難と依正不二論

瑞相御書;“それ十方は依報なり、衆生は正報なり例えば依報は影のごとし正報は体のごとし身なくば影なし正報無くば依報なしおよび正報をば依報をもってこれを作ると”この二つの立場から依正の密接不可分な関係が述べられている。地球それ自体から生物が発生した。このことにより他の天体でも条件さえ整えば生物の発生は当然あり得ることになる。

環境と生命の関係

生物は環境を原因として自己を形成する。他方環境はその生物に応じて次第に生物的環境となる。人間各自それぞれ異なるようにすべての生物には各自の環境が備わる。着目すべきは環境は無数にあり、魚は魚、鳥には鳥の人間には人間の環境が存在するということである。

・されば社会に貪 痴の三毒が充満し三悪道、四悪趣、の境涯に陥っていれば疫病が起こり飢餓、嵐の猛威、地震、洪水まさしく国土も三悪、四悪の様相也。

全て「人間の心の乱れ」に因を成す。

・妙法根底に楽土の建設;大宇宙の本源力(南無妙法蓮華経)

科学の言葉で表せない仏法の世界はあまりにも広く深く常識でははかれず、もはやここに至っては、体験し実証する以外にない。

竜の口の法難に見る不思議な現象

種々御振舞御書;八幡大菩薩を叱りとばす場面さらに竜の口刑場における光り物の現象(太刀取り目眩みとあるところから火球であったかも、諸天善神に加護せよと叱咤した後、首を切られんとした寸前にこの現象、幕府の役人がついに首を切れなかった事実これらは、科学では明らかにできるものではない。

依智の本間六郎左衛門の邸宅にて、“日天、月天を責めしかば、天より明星の如くなる大星下りて前の梅の木の枝にかかりて~”大聖人の生命が危機にさらされているとき、しかも諸天善神を叱りとばされた後に何ゆえこのような現象が起きたのか。これこそ仏法における「依正不二」の原理以外には説ききれない。戸田先生いわく、安国論を単なる観念的な哲学論であると考える向きもあるが、国家安穏、天下泰平の一国治術の大法則である。

  • 経証の一「金光明経」

四経;金光明経・大集経・仁王経・薬師経これら爾前の経を用いる

成仏得道の経は、法華経に限るが、大綱のために細目を用いる。

法華経二十八品悉く南無妙法蓮華経を明かさんとして説かれたものである。

立正安国論の根本精神は、三災七難等の不幸の根源は邪宗教にあり、もしこれを放棄しないで続けるならば、他国侵逼の難・自界叛逆の難必ず起こる。

松葉が谷の草庵焼き討ち、伊豆以東への流罪、竜の口にての頸の座の大難、

佐渡流罪等三度諫めて用いられずは国を去り、身延へ籠られた。身延において、大御本尊の建立(出世の本懐たる本門の戒壇の大御本尊の御図顕

戸田先生いわく

大聖人亡きあと700年近い昔の予言が的中し、アメリカによる占領という他国侵逼が現れた。(太平洋戦争敗北の遠因)一つは軍部の無能という近因

一大亡国の根本原因を見えざる敵、すなわち700年近くに渡る正法に対する大聖人の諫言を用いなかったがゆえの破滅であると断ずるものである。

唯邪宗教のみが跋居し、又世俗的な権力と結びついて人々に害毒を流し続けてきたのである。鎌倉、室町時代を経て、応仁の乱に乗じて念仏が広まり蓮如を中心とした大阪本願寺城を築き一向一揆の基となった。戦国の世に入ると、石山本願寺、比叡山、高野山等は武力集団化した。徳川時代の檀家制度より庶民統制の組織化、寺社奉行による封建的秩序を保とうとしてきた。明治の王政復古により立憲君主制を取り入れ、天皇主権の必要上神道を用い天皇の神格化を目指した。日蓮主義、国柱会、;法華経と神道を以って天皇の神格化という当時の情勢を結びづけようとした。天皇の絶対権力の裏付けとして政治力を以って国教化の方向を取ったのは大きな誤りであった。後の太平洋戦争への進行と共にその非合理な祭政一致や国教化は馬脚を現したのである。金沢法難、尾張法難、その他長野の伊那、仙台にもいづれにも大石寺の末寺がないのを理由に弾圧を受けた。未だ、広宣流布せず弾圧の歴史であり、経文通りの展開には驚くばかりだ。永久不変の宇宙の真理を解き明かした仏法、そこに於いて恐るべきは邪宗の害毒である。邪智、邪宗、悪思想に縁したがゆえの生命の濁りに起因するという。ここに第三文明を目指す創価学会の王仏冥合の戦いが必然となるのである。

・釈尊と日蓮大聖人とは、二千年の隔たりがある。経文と大聖人との間にはまったく隔たりがない。二千年後の未来を予言するかの如くである。予言の的中ほどその法則、学説の偉大さを証明するものはない。

「大集経」の五箇の五百歳

第一の五百歳  解脱堅固     正法千年

第二の五百歳  禅譲堅固

第三の五百歳  読誦多聞堅固   像法千年

第四の五百歳  多造塔寺堅固   

第五の五百歳  闘 堅固     末法の初め

日本の仏教伝来(552年)     聖徳太子の時代

比叡山迹門の戒壇(827年)    伝教大師

末法の御本仏出現:「顕仏未来記」“既に後五百歳の始めに相当たれり仏法必

ず東土の日本より出づべきなり”

第三章、経証の二 「大集経」

“仏法実に穏没せば”~仏教の形骸のみ、僧侶は葬儀と法事のみ、墓番と云っても差し支えないほどで有名無実

第四章、経証の三 「仁王経」

“国土乱れん時は先ず鬼神乱れる鬼神乱るる故に万民乱る”

万民乱るとは、「衆生濁」の事をさす。スターリンやヒトラーも「煩悩濁」「見濁」に冒され大量殺戮を冒し、頭破七分であって狂乱し錯乱状態であった。

現在の政治家は、野心家で、腹芸の上手い人の代名詞の如く思われている。

指導者の思考の誤りとその悲劇

「天地怪異し二十八宿・星道・日月時を失い度を失い天変、異常気象」

S、38年1月の豪雪災害(地軸を揺るがした異常による)

釈尊の十不善業(業報)

多病、短命の人 ~(殺の報い)

貧窮、失財の人 ~(盗み)

眷属不良、婦が貞実でない人 ~(邪淫の報い)

誹謗を受ける人 ~(忘語の報い)

多欲で不足を嘆く人 ~(貪りの報い)

邪見の家に生まれ心諂曲な人 ~(愚痴の報い)

親戚、親友に捨てられる人 ~(両舌の報い)

訴訟を起こす人 ~(悪口の報い)

人に信じられない人 ~(綺語の報い)

殺されたりする人 ~(瞋りの報い)

妙法による福運こそ最高の福運

(いかなる財も地位も名誉もすべて化城であり崩れ去るものである。)

第五章、経証の四 薬師経

「人衆疾疫の難・他国侵逼の難・自界叛逆の難・星宿変怪の難・日月薄触の難・非時風雨の難・過時不雨の難」

指導者に謗法があるときには、七難が起きるという経文

・立正安国論に示された四経の文は、それぞれ皆、指導者こそ正法を持たねばならないことを教えている。

第六章、再び「仁王経」を挙ぐ

天文学では、すい星及び流星が人間生活に影響があるどころか、人間の運命をも担っていることを明らかにしつつある。すい星の分裂による流星の塵が氷河時代を現出した。地上6千メートルあたりの水蒸気がどうして減ったのかということが問題になる。

天文学と「成住壊空論」の一致

地球成立後50億年、生物が誕生してから30億年年齢的には壮年期に当たる。この大宇宙には観測可能な範囲だけでも二千億個の恒星を持つ銀河系宇宙のような島宇宙が数千億個もあるという。

第七章、再び「大集経」を挙ぐ

「三災」 ~ 穀貴・兵革・疫病

第八章、「四経」の明文により災由を結す

第三段、 誹謗正法の由来を挙げ亡国を証す

第一章、仏法興隆をもって問難す

後漢の明帝と聖徳太子の仏法流布を意味(仏法東漸の歴史)

仏教と神道の争い;仏教伝来時(聖徳太子)・ 明治維新の王政復古(天皇)、蘇我馬子(仏教派)と物部氏・中臣氏(天皇派)との争い。

第二章、世人法の正邪知らざるを諭す

王臣共に愚かで無知、仏法の正邪を見分けることが出来ないから邪宗邪義が栄えている。権威主義、形式主義に捉われ実質を見失うのは人間の弱点。

神主は尊いもの、軍の大将は立派な人物と決めて疑うことを知らず。無気力と無知そして何よりも自己保身に汲々とする「長いものには巻かれろ」式の事大主義が蔓延した。

  • 「仁王経」等により悪侶を証す

極楽寺良観、平左衛門尉頼綱~邪宗教と政治権力者との結託は現在も同じ。

名聞名利のために各宗教団体は政治家を利用し、政治家は票を当てにする

(全日仏・新宗連)

  • 「法華経」を引き悪侶を証す

「勧持品の二十行の偈」三類の強敵を説いた仏の未来記

第一類 = 俗衆増上慢  一般人の悪口

第二類 = 道門増上慢  悪侶弘法(全日仏、新宗連)

第三類 = 僭聖増上慢  政治家、財界人、学者、マスコミ

  • 「涅槃経」を引き悪侶を証す

正法千年過ぎて像法時代に入ると、(猫がネズミを捕らんとする如く)

説教も出来ず指導もできない輩。インドのバラモンの修行である「阿呆の術」の如くに黙り込んでしまって挙句の果ては正法を謗ずるのである。

  • 正法誹謗の元凶の所帰を明かす

第一章、正法誹謗の人・法を問う

悪侶の代表として、「法然」を取り上げ「選択集」をもって正法誹謗の元凶

前段に於いて主人は客の問いに対し三災七難の本源を指摘した。それでは具体的に誰が悪侶というのかと疑い問うのが此の段である。

かって「弘法」(真言)が唐から帰国後、灸や土木工事で名を売り、その名声に便乗させて真言を弘めた。「律宗の良観、禅の栄西、道元」も手口は同じであって、技能を表に社会貢献し邪法を弘めた。法然は浄土宗の教祖、死後もますます尊敬を集めていた。庶民、百姓に限らず公家、武家、天皇、執権に至るまで信じ仰いでいた。

ところで、多くの人や有名人が信仰しているからと云っても我が国における国家神道、中世ヨーロッパのキリスト信仰においてもその実態はそれが正しいとは必ずしも言えない。宗教の成否を決するものは「教義」であり浅深勝劣の判定による正しき道理か否かを明確に分けてさらにそれを政治の根本理念としていかねばならない。民衆の幸福、大衆福祉の実現こそ政治の要諦である。

現代における、明王・聖人の立場をどう捉えるか、「王仏冥合」の原理に照らし、「創価学会」が「公明党」の誕生へと至ったのもこの原理である。

有為な人材を世に送らんとしているのも、この実践に外ならない。

第二章、法然の邪義、「選択集」を示す

法然と「選択集」;念仏以外の一代仏教を捨てよ、閉じよ、閣抛、差し置け

破仏法の邪義。浄土宗、真宗、真言宗、禅宗、邪宗日蓮宗各派等の既成仏教界

新興宗教の立正佼成会、天理教、生長の家に至るまで全てに経文がピッタリと符合している。「慧心の往生要集」:法華経がいかに優れた教えであるかを説いたこれを法然が正しく読み切れずに、単に浄土教の宣揚の書と受け取った無智による事実を「獅子身中の虫」と断じられている。

第三章、法然の謗法を断ず

「捨閉閣抛」の四字を以って一切衆生を迷わせている。ただ「五逆罪」の者と正法誹謗の者」を除くの誓文に背く。

「当世念仏者無間地獄事」(P、105)

“臨終の悪瘡等の諸の悪重病並に臨終の狂乱は意を得ざる事なり”

狂乱のあまり、柳の木によじ登り落ちて七日間地獄の苦しみのうちに死に絶えた善導、そして勅により墓を暴かれ骨を鴨川に捨てられた法然

過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣、万民始めは事なきようにて終いに亡びざるは候はず。

第四章、選択集の謗法を結す

天台仏法を衰退させ、正統学派の流れを混乱させ、亡国の根となっている。

「減劫御書」“今の代は外経も小乗、大乗経も一乗法華経もかなわぬ世となれり ゆえ如何となれば、衆生の貧、瞋、痴の心がかしこきこと大覚世尊の大善にかしこきがごとし~そのように末代濁悪世の心の貪欲、瞋恚、愚痴のかしこさはいかなる賢人、聖人も治めがたき事なり”

現代の人間像を余すところなくのべられている。悪の智慧を破るためには善の大智が必要である。“善悪の根本枝葉を悟り極めたるを仏とは申すなり”

“一切世間の治世産業は皆実相と相違背せず”

“仏法は体なり世法は影なり体曲がれば影斜めなり”

妙法の広宣流布こそ一切の文化を本来の文化たらしめる源泉なり。

・末法とは、「末の法」の意味ではなく釈迦仏法の功力が消滅し穏没するときのことである。末法になると衆生は釈迦とは全く縁がなく名ばかりで、真面目に修行する人もなく救う力もない。

「正、像、末の三時」:三世十方の仏(数え切れないほどたくさんの仏)

・アダムスミスの自由主義経済、資本主義の成長過程では効力を持ち指導性を持っていたが、21世紀の現在グローバル化の中で行き詰まりを見せ始めている。安い賃金労働による資本家の搾取が横行するに及んで、マルクスの資本論に見る共産化が叫ばれつつある。現代は白法穏没の末法なり、と同時に大仏法出現し広宣流布する時代でもある。

・法華経湧出品第十五に於いて上行菩薩を上首とする本化の地涌の菩薩の出現である。釈迦仏法は指導者階級、知識階級の人のための宗教であった(本果妙)日蓮大聖人仏法は(本因妙)と比較される。

釈迦は何一つ不自由のない少年時代を過ごし出家したとされているが、このような境遇の人(金ぴか)の教えが底辺の生活を送る民衆に信じられるということ自体が不可能ではなかっただろうか。観念的な憧れ気分を起こす事は出来るだろうが生命の共鳴には期しがたい。それに対し、大聖人は貧しい漁師の子として生涯貧しい凡夫僧の姿そのものであった。

釈尊の法門は五十年の説法、八万法蔵、法華経二十八品もあり、膨大な教えであった。時間的にも経済的にも恵まれた王侯貴族、地主、隠居等一部の上級階級のための信仰であり、一般民衆の信仰と云えば、原始的または仏法の亜流であった。その点では、日蓮大聖人の法門は七文字の法華経(南無妙法蓮華経)本尊、題目、戒壇の三大秘法である。後に五老僧にしてしかり天台仏教に執着したのは残念だ。法然が評価されるのもこの特権階級から底辺の民衆のものとしたいという意味からでもある。

  • 和漢の例を挙げ念仏亡国を示す

第一章、法然の邪義に執着するを示す

前段には「文証」を挙げてこの段に至り「理証と現証」を説き出されている。客が怒って帰ると言い出したことに対して、一緒になって怒っては折伏にならない。大確信に立って慈悲の一念で笑みを浮かべ妥協するでなく、むしろもっと峻厳にもっと痛烈に道理を尽くし、現証の上から諄々と説いていく。主人の態度はまさしく折伏の鏡である。権威ある人や大衆の意見には耳を貸すが少々の矛盾を感じても気に留めずに伝統に従うばかりであって、少しでも批判するとたちまち理性を欠いて感情に走り怒りを顔面にたたえその人を罵り迫害する。キリストの世界でも、教会の権威の批判などに対しては民衆の激怒、反感恐るべしであった。

第二章、理証を以って法然の邪義を破す

「四十余年未顕真実」無量義経で法華経にはいるにあたり、それまでの経はすべて方便である故に捨てよと説いている。彼らは法華経を忘れて権経に執している。「住めば都」といった現状に甘んずる傾向がある。

・宗教批判の原理

「三証・宗教の五網・五重相対・四重興廃・三重秘伝」

種・熟・脱の三義(三益)

釈尊の出世の本懐は過去の下種が熟し、脱せしめんがためである。末法の衆生は本身有善の衆生と云って、釈迦に下種されたこともなければ、熟益の功徳を受けていない(釈迦仏教では成仏も出来ない)

現世に於いて初めて学会の折伏を受けて直達正観して初めて成仏に至る。

一生成仏と云ってこの一生の間に成仏を得ることが出来る、凡夫の身そのままで成仏することを即身成仏という。“但し彼は脱、此れは種なり、彼は一品二半、此れは但題目の五字なり”

  • 中国における亡国の現証を挙ぐ
    • 周の末 2、晋の時代」 3、唐の末

仏法流布する以前に於いては、五常(仁、義、礼、智、信)

  • 日本における亡国の現証を挙ぐ

「承久の乱」:国の主導権が天皇、公家(京都)から武士(鎌倉)に移る。謗法の害毒による朝廷方の敗北に帰す 

  • 念仏禁止の勘状の奏否を明かす

第一章、法然の謗法を弁護す

貧乏人の集まり集団創価学会 ~ 正本堂のご供養に350億円

第一にジャーナリストの批判

第二に政治家、評論家

第三に既成仏教界の僧侶

  • 仏法の衰微を歎く

“蒼蝿驥尾に附して万里を渡りへきら松頭にかかりて千尋を延ぶ”

利己的な考え方が命の奥深く染まりついた人、仏の弟子として護法のために不惜身命の戦いをなす人、仏法の衰微を見て心情の哀惜を起こす。

  • 謗法呵責の精神を説く

“若し善比丘あって法を壊るものを見ておいて、呵責し、駈遣し挙処せずんば正に知るべし是の人は仏法の中の怨なり”「獅子身中の虫」

“謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ねるが如くなるべしはかなしはかなし”折伏こそ仏法の方程式、妙法の当体でなければなんで折伏する必要があろうか。「折伏には暴言、迫害は覚悟の上」

・開目抄(P、200)“これを知れる者は但日蓮一人なり~父母兄弟、師匠に国主の王難必ず来たるべし”折伏はどうしてもなさなければならない使命なり。

如来の使いを行ずる行為、以信代慧の原理により、信力は智慧と化すのである。

“現世安穏・後生善処”

・佐渡御書(P、957)“強敵を伏して始めて力士をしる”“悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は獅子王の心如くなる心を持てる者必ず仏になるべし、例せば日蓮の如し”

  • 法然等上奏により流罪されるを示す

延暦寺衆徒による専修念仏の禁止、興福寺が禁止を訴え出た。法然亡き後浄土真宗(親鸞)~北陸、北関東方面に布教。本願寺派~西本願寺、大谷派(東)

  • 布施を止めて、謗法断絶を明かす

第一章、災難退治の方術を問う

「経を下し僧を謗ること一人には論じ難し」

仏説に非ざる私の邪義を立てることは、仏弟子に非ずして仏敵である。

ヨーロッパの歴史として、古代ギリシャの都市国家アテネ、スパルタ、ローマには征服統治思想があり、土木建築事業での特色があり、中世にはキリスト教神学と教会主義、文化、経済、政治の各分野、近代に入り植民地主義、ルネサンス、宗教改革、君主政治と自由主義の台頭。そして中国においては、儒教的封建主義、(周)道教主義(秦)儒教による王道政治(漢)天台仏教による(隋・唐)唐朝の後半武宗皇帝による仏教弾圧と共に急激な衰運を辿った。

・政治が主であって宗教は従とする客の考え方(政治が先である)その根底には、宗教を単に気休めや形式、精神修養と以下考えない認識の無知がある。

  • 国家安穏天下泰平の原理を説く

謗法の人を禁めて、正道の僧を重んぜば、国中安穏にして天下泰平ならん。

謗法とは浄土宗のみに非ず、禅、真言、華厳、法相、彼ら邪宗教こそが「三災七難」の根本病原である。700年前に表されたこの立正安国論は単なる歴史書でもなければ文学書でもない。今日にもそのまま通用する民族の興亡、経済対立、思想的軍事対立等苦悶する全人類への警告書である。

・広宣流布こそ立正安国論の実践である御本尊に帰命するその信仰を全世界へ

・三大秘法抄(P、1021)“問う諸説の用言の法とは何物ぞや、答えて云くそれ釈尊初成道より四味三教乃至法華経の「広開三顕一」の席を立ちて略開近顕遠」を説かせ給いし湧出品まで秘させ給いし実相証得の当初修行し給いし処の

「寿量品」の本尊と戒壇と題目の五字なり“

第三章涅槃経を引き謗法呵責を説く

「一闡提人」とはいかなる者か。破戒を一闡提人という戒とは防非止悪と釈す。

第四章、仙予国王の謗法断絶を示す

「殺生の罪」; 下、中、上の三種あり

「下殺」は、アリの子を始め一切の畜生を殺す。中殺は、凡夫の人より声聞界の賢人に至るまで上殺は、父母はじめ声聞、縁覚界、菩薩を殺す(阿鼻大地獄)

一闡提を殺すものは、この三種の殺に入らない。

謗法の者を退治せよ、例え殺しても仏法上の罪は受けない。首を切れ(対治悉壇)布施を止めよ(為人悉壇)

生命の尊厳

“十界論、一念三千論:元品の法性は梵天帝釈と顕れ元品の無明は第六天の魔王と顕れたり”“善に背くを悪と云い悪に背くを善と云う、故に心の外に善なく悪無し ~ 此の外には心なく心の外には法無きなり~”

善も悪も生命本体と外界との関係性のもんだいであり善悪一如なるところが生命の実相である。“我が身中の心を以って仏と法と浄土とを我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり、此の心が善悪の縁に値うて善悪の法をば作り出せるなり” 我々が折伏をし、謗法を責めるのは、永久に地獄へ堕ちない原因を作っているのである。「無間地獄の道を塞ぎぬ」

第五章、守護付属の文を挙ぐ

・観心本尊抄(P、254)“当に知るべし此の四菩薩、折伏を現ずるとき賢王となって愚王を呵責し摂受を行ずるときは僧となって正法を弘持す”

化義の折伏と法体の折伏(摂受)三千年前の仏教、二千年前のキリスト教、千年前のイスラム教は世界文明を一変させてきた。

第六章、正法護持の方軌をしめす

・開目抄(P、232)“善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし”

御本尊を受持することが持戒、正法護持のために広宣流布達成を目指し智慧を働かせ、獅子王の如く勇敢に戦うことがわれわれの仏道修行。

第七章、有徳王・覚徳比丘の先例

正法を弘持する覚徳比丘それを刀杖をもって迫る破戒の坊主たちそれらと戦い覚徳比丘を守りぬく有徳王これが末法広布の戦いの原理

・諸法実相抄(P、1360)“地涌の菩薩の出現に非ずんば唱えがたき題目なり”

・観心本尊抄(P、254)“天晴れぬれば地明らかなり法華を知る者は世法を得べきか”創価学会を離れての公明党はない。

第八章、念仏無間の文を挙ぐ

・妙法尼御前御返事(P、1404)“臨終のとき色黒き者は地獄に堕つ”

天台の魔訶止観に云く“されば先に臨終の事を習うて後に他事を習うべし”

“赤白端正なる者は天上を得る”“黒業破六道にとどまり、白業は四聖となる”

・千日尼御前御返事(P、1316)“人は臨終のとき地獄に堕つる者は黒色となる上其の身重き事千引きの石の如し善人はたとえ七尺、八尺の女人なれども色黒き者なれども臨終に色変じて白色となる又軽き事蒲生の如し柔らかなることトロ面の如し”

第九章、経証により謗法治罰を結す

これまでに引かれた仁王経、涅槃経、法華経の文をまとめて謗法の者を絶対に責めなければならないことを結論されている。

第十章、、国中の謗法を断ずべきを結

・「三宝」について

聖徳太子の17条憲法に「篤く三法を敬え」とある。

「正・像・末の三時」における正しい「三宝」の立て方

正法時代 小乗の三宝  仏=丈六劣応身の釈尊

             法=四諦・十二因縁の法門

             僧=声聞、縁覚の比丘(迦葉、阿難等付法蔵の弟子)

権大乗の三宝 仏=三十二相八十種好勝応身の仏

法=通教、別教の諸経

僧=十住、十行、十回向十地等の菩薩(竜樹、天親)

像法時代 法華迹門の三宝 仏=始成正覚の円仏

法=迹門理の一念三千

僧=法華の声聞、縁覚、菩薩(天台、伝教)

      法華本門の三宝仏=久遠五百塵点劫成道の釈尊

             法=本門事の一念三千

             僧=上行菩薩

末法時代         仏=久遠元初、自受用身、即、日蓮大聖人

             法=南無妙法蓮華経

             僧=血脈付法日興上人

・日寛上人の当流行事抄:(五百塵点劫の当初己来)“毎自作是念・以何令衆生・得無上道・速成就仏身”

・如説修行抄(P、502)“法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩一人もなく攻め落として法王の家人たなし天下万民諸乗一仏乗となって妙法独り繁盛せん時万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝を鳴らさず雨壌を砕かず代は義農の世となりて今生には不詳の災難を払い長生の術を得人法共に不老不死の理顕れん時を各々御覧ぜよ現世安穏の証文疑いあるべからざるもの也~”

  • 謗法に布施を止めるの意を説く

第一章、経文の如く斬罪に処すべきかを問う

尊属殺人よりも謗法のほうが重い。(謗法の心を殺すのである)

我が国においては約350年間全く死刑がなかった事実として平安朝文化の華を咲かせた時期と正法興隆と死刑の廃止とが一致していることに注目すべき。

第二章、僧尼殺害の罪を挙げて問う

法然はじめ浄土宗の僧や良観などの律僧などは仏子に非ずして仏敵なり。

  • 謗法に布施を止めるの意を説

釈尊以後は布施を止める事を以って謗法を退治する

  • 正信に帰し立正安国を論ず

第一章、正法正師に帰す

「早く、一闡提の布施を止め衆僧尼の供を致し」

  • 重ねて謗法対治を促がす

“鳩化して鷹となり、雀変じて蛤となる。悦ばしきかな汝蘭室の友に交わりて麻畝の性となる”

・蒙古襲来の現代的意義

700年後の今日再び謗法の国日本は、アメリカ中国等の連合国に無条件降伏をなし、梵天帝釈の使いに屈した姿であった。中国とは迹門の広宣流布を成し遂げた伝教大師は縁が深く今日に於いては大聖人仏法の広宣流布に大きく関係してくる。諫暁八幡抄(P、588)“天竺国をば月氏国と申すは仏の出現したもうべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出て給わざらむ、月氏は西より東へ向へり月氏の仏法の東へ流れるべき相なり日は東より出ず日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり”

第三章、「仁王経」を以って謗法の果報を示す

仁王経の文によれば現世に於いて家庭生活が破壊され、死んでからは三悪道に堕ち再び人間として生まれてきても兵役の報いを受けるであろうと説かれている。

第四章、念仏無間地獄の経文を挙ぐ

・法華経譬喩品“若し人信ぜずしてこの経を鬼謀せば乃至その人命終して阿鼻獄に入らん”

・涅槃経に云く“善友を遠ざけて正法を聞かず逆に悪法悪友に従っていると云々”

  • 結して立正安国を論ず

“汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の善に帰せよ然れば則ち三界は皆仏国なり仏国それ衰えんや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや”

・現在世界の文明国は北緯30度~50度温帯地方 (北アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、中国、日本等、)それ以前はエジプト、北アフリカ、中近東、インド、中南米の赤道地帯であった。今は砂漠地帯に変じている。(気象変化)

偉大な自然の源泉は何か、それを「南無妙法蓮華経」であると大聖人は説かれているのです。

  • 領解して謗法対治を誓う

“唯我が信ずるのみにあらず又、他の誤りをも戒めんのみ(折伏)”

今、日本は「他国侵逼の難」「自界叛逆の難」に遭遇している。創価学会は仏法の中道主義、世界民族主義、第三文明そして世界広宣流布実現に向け果敢に挑戦するものである。

以上