御義口伝 妙荘厳王本事品第二十七

厳王品二箇の大事

第一 妙荘厳王の事

 南条殿御返事(法妙人貴事P1578)に「法妙なるが故に人貴し」と。

四信五品抄(P342)に「謂う、国中の諸人我が末弟等を軽ずる事なかれ、進んで過去を寿ぬれば八十万億劫に供養せし大ぼさつなり、豈  蓮一恒の者に非ずや、退いて未来を論ずれば、八十年の布施に超過して、五十の功徳を備うべし、天子のむつきにまとわれ大竜の初めて生ずるが如し、蔑如すること勿れ、蔑如すること勿れ」と。

ある人の曰く「人間は互いに殺しあう唯一の動物である。人間性の恐ろしい歪み、醜さを知るとき、妙法を受持することによる六根荘厳の当体でありたいものだ。」

第二 浮木孔の事

日興遺誡置文(P1617)に「於戯仏法に値うこと稀にして喩を曇華のはなしべに仮り類を浮木の穴に比せん」

松野殿後家尼御前御返事(盲亀浮木抄P1391)に「此のたとえをとりて法華経にあひがたきにたとふ。設ひあへどもとなへがたき題目の妙法の孔にあひがたき事を心うべきなり、大海をば生死の苦海なり、亀をば我ら衆生にたとへたり」。大御本尊に巡り合うことは、難事中の難事である。歓喜なくして信心はなく、強制されたものでもなければ、集団心理の如き浮ついたものでもない。「信心の目的は、一生成仏、永遠の生命の覚知にあり。」

第三 当品邪見即正の事

いま日本国中の一切衆生は、正法を持たず邪法にたぶらかされており、妙荘厳王といえる。しかし南無妙法蓮華経と唱える者は、浄蔵、浄眼の二人の子のようなものである。

権力や財力を持って正法に反対している政治家や実業家や学者等は、所詮妙荘厳王である。妙法を受持した学会員は浄蔵、浄眼である。

以上 要旨記述 2013/08/17

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