今、ここを生きる勇気

哲学関連書籍

《老、病、死と向き合うための哲学講義》

岸見一郎 著

始めに

哲学は、具体的な学問なので、生活から乖離した話であってはならない。

古代ギリシャのプラトン以来人間は少しも進歩していないという。

様々なバックグランドのある人に話すのは難しいと感じてきた。

多くの人が自明だと思って考えようともしないことを真剣に考えている人にこそ届くものと理解している。

第1講

・哲学は難しいか:普段あまり考えないことについて考えるから難しい。

・誰でも学べる:専門家だけが独占するような学問ではなく、誰もが学べる

・哲学は役立つのか:学ぶ前と後では人生が変わらなければ意味がない。

・哲学とは何か:「愛知」「知を愛する」

既成の価値観や常識を疑っていく精神。

哲学の話は、心地のいいものではない。皆の前で何も知らないということを明らかにされたら言われた本人は嬉しくないでしょう。ソクラテスは恨まれ、告発され、死刑になった。

・哲学は、具体的に考える

経済学も政治学も抽象的な学問です。政策や実際問題の処理、今起こっている事(コロナウイルスの問題など)どういうことなのかを考えるときに生活者としての実感がなければあまり役立たない。

創造力が足りないので具体的に考えられないことがあります。創造力が及ばないものとして生命があります。辺野古の海を埋め立ててもなんとも思わない人、サンゴ礁やジュゴンに危害が及ぶというような創造力を感じられない人たちが多い。(今の政治家や官僚の人達の感性を疑う)

・排除される価値

自然学は“もの”を考えます。「感覚、生命、心、目的、価値など」

「価値中立的」な人、道徳を押し付けようとする人もいる。これらの人たちは自己保身に走って、不正を庇い虚偽の発言を強いられたら言いなりになる官僚体質によくみられる。

・「共生社会」~“まとまりのある社会”“結束した社会”と訳されているが、多様性の時代において価値が一方で排除されているのに、それが上から押し付けられているということが今の時代の問題点なのです。

多様性ということは本来一致しないということです。

・人間の行為は、価値なしには考えられない

「価値相対主義」と「ニヒリズム」の問題 ~ 独裁の温床となっている。

・アドラーの心理学は「目的論」~「無知」の自覚

・絶対の善悪というものはないのか~既成の概念、常識を疑うことから始める

・生きていてよかったと思うか

第2講;どうすれば幸福になれるのか

・原因論から目的論へ~目標、目的を立てて進んでいけると考えるのが目的論

・ソクラテスのパラドクス(逆説)

「誰一人として、悪を欲する人はいない」

悪は「ためにならない」「得にならない」善は「ためになる」「得になる」

官僚は自分たちがしていることが不正であることは知っているはずですが、不正を犯すことが自分にとって「善」であると判断したからこそ嘘をつく。

「善く生きる」ことです。幸福であるための手段の選択を誤っているから不幸になるのです。

・幸福と幸福感は違う

一体感を持たせようとする風潮は非常に危険です。感性に訴える、反主知主義的な思想が幸福論を抹殺していると三木清(哲学者)は言っている。

プラトンだけでは気づけなかったことがアドラーや三木清に学ぶことで幸福について考えられるようになった。

・幸福は存在である

成功は幸福であるための手段(過程)でしかない。幸福には進歩退歩がない

・幸福はオリジナルである(三木清)ある人の幸福は、他の人には理解されないことがあります。成功のように一般的でないからです。

・成功は量的、幸福は質的

オリジナルに加え質的なものなので、「美」と同じようで誰も追随しようとは思はないでしょう。立身出世主義の人を御するのは簡単

昇進をちらつかせることで上司や組織の言いなりになって、言われるままに嘘をつくようになる。尚、人材としてアピールすることで効果は倍増する。

30代でマイホームが建ち40代にして墓が建つ。

・個性と秩序の問題

秩序が大事だとして個性を求めない今の世の中、官僚たちがそうです。見え透いた嘘をつかされ責任は問われない。

・幸福は人格である

ゲーテの言葉;自分自身を失わなければ、どんな生活も苦しくはない。自分が自分自身でさえあれば何を失っても惜しくはない。

自分自身で価値があると思えることが「自立」という。

・心理療法(精神療法

「幸福になる」ではなく「幸福である」~ 自分自身であれ

真剣であることは必要、でも深刻にならなくてもいいのではないか。

哲学は対話から始まる。「デイアロゴス」言葉(ロゴス)交わす(デイア)

たとえ結論に達しなくても、自分と違う考えがあることを知れば対話の前と違ってくる。

第3講;対人関係が悩みのすべて

・人は一人では生きられない:絶えず人の援助を必要とします。必要とする人がいれば援助します、それが人間であるということです。

・他者は始めから存在しない: 「人と」「もの」は違う  

・他者へのネガテイブな関心: 「私とあなたの間にある」

他者から認められたいとする努力が優勢になると精神生活の緊張が高まり行動の自由が制限される。

・他者へのポジテイブな関心: 「人と人とは、仲間である」

アドラーにとっては全ての人は、「仲間」である(共同体感覚)

・「他者貢献」を感じる時

「自分に価値があると思えるときにだけ勇気を持てる」

「あらゆる悩みは、対人関係の悩みである」他者を「仲間」と見做せるか

死刑に反対する人が、家族を殺されたとしても、死刑に反対だと言えるかどうか。仏教でいう「分別」「大悲」「浄土」~ 敵か仲間か

・ありのままの自分が、貢献できる:誰もが「存在」「生きていること」で貢献できる。 今の時代、学問のあり方まで政治家が決める。

「生きていること」に価値があると思えるには、かなり勇気がいる。

・パーソン論(人格)

人はどんな条件だったら「人」なのか。人が「人格」であるための条件は「ない」と考えればいい。人が人であるためには、何の条件もいらない。

胎児であれ、脳死状態の人であれ、人とつながっているという思いがこの人を生かしているのです。

・「共同体感覚」と「課題の分離」の関係性

課題の分離とは、まずわからないところから始めようという意味。手さぐりで相手と協力作業する中で理解に近づいていくそれが共感です。

第4講;老いと病から学ぶこと;人生の行く手を遮られた時

・親の老いと自身の老い(老いの現実)

・価値の低下:「劣等感」「優越性の追求」

・老いと病気は退化ではない:「変化」と捉える

「優越性の追求」には上下がイメージされます。進化」は上下での動きではなく前に向かっての動きでありここに優劣はない。

退化ではなく変化 ~ 理想を自分の中から追い出すことです。

・健康になるために生きているのではない(道具):目的は幸福である

・「幸福は存在」である

・老いても病気になっても価値はなくならない

未来になって初めて幸福になるわけではなくて、今ここでの幸福を求めていかないといけません。導きの星(北極星)は上空に輝いている。

今ここでの他者貢献:人生の導きの星、人生の目的それが解れば幸福であることが出来ます。この状態のままで他者貢献できるということに気づけば幸福になれる。

・貢献感の持てる貢献(介護、看護の喜び)

・病気になった時、老いた時に人は何を学ぶか

「対人関係変わる」「生き直す」「あなたが私の子供であることが嬉しい」

明日の自明性がないこと、対人関係の在り方が変わります。

幸福は追求するものではない

幸福だから幸福であることを意識しないとも言えます。

第5講;死は終わりではない~「個人心理学」

人の価値は生きることにあるのであって、生産性や何かできるということに人間の価値を求めてはいけないと思う。人が人であるためには何らの条件もいりません(パーソン論)

・死と生を断絶しない問題

死はどこの家にもある事、人は死ぬものであるということ。死者を利用する人が現れると危険です。(政治家や、教祖達のような自分たちに都合のいいことを語らせたい人の出現)

生きるということは避けることのできない人生の課題として受け止める。

・死の受け入れ

死を恐れるということは「知らないことを知っていると思う事」「智慧がないのにあると思っていること」~変化にしか過ぎないと捉える。

・どうせ死ぬから死んでもいいことにはならない

今この人生で責任の取れる生き方をすることです。

・死がどのようなものであっても

「地上で罰が加えられないことがあるのは~むしろこの世ですべての勘定が清算されるのではなく、必然的になおその先の生活があるに違いないという推論を正当化するであろう。(ヒルテイ)

・死を待たない ~ 脳は心の道具であって起源ではない

日々を生き切ることが出来れば、先のことや死ぬことを考えない。

・「私」が「心と身体」を使う

生命の表現である心と身体は、お互いに影響を及ぼしあっている。

・「私」の不死 : マイク(身体)が故障しても話し続ける「私」

・立派に死ななくてもいい

幸福な死、不幸な死といったような区別はない。時には死にたくないんだと号泣してもいいでしょう。生を終えた後に死が来るというより、生の真下に死があると捉えたほうがわかりやすいのではないか。

アリとキリギリス ~ キリギリスは今を生きている

第6講;今ここを生きる

・人からどう思われるかを気にしない

気にする人は優しい人であるということを知っておいてください。

当然よく思われたい、そのためには人の期待に合わせて生きようとします。

悪く言う人がいないというだけであって本当の自分の人生を生きていない。

他方自分で決める人には反対する人は必ず出てくる。嫌われることもあります(自由に生きるには、それぐらいの代償は支払わなければならない)

アドラーは、政治の力によって世界を改革する事には断念している。

・自分への関心を他者に向けかえる(教育の目標)

「虚栄心」「背伸び」~ありのままの自分を生きられない。するべきことをしない、いうべきことを云えない人は自分にしか関心がない人といえないか

自分にだけ向けられている関心を他者に向けかえることが教育の目標です。

・ありのままの自分を受け入れる

「私」という道具 ~ 「心や身体」を使う。取り替えることができないのは「私」です。心は変わります。身体についても歳を意識しないわけにはいかなくなる。病気も影響します。自分の身体の状態が変わろうとも「私」が変わるわけではないが他者からの評価が行動基準になってしまう。

・可能性の中に生きない

神経症的なライフスタイルの人は可能性に賭けて生きている。課題に挑戦しそのために結果が明らかになることを怖れている。

課題をまえにためらう(足踏みしたい)~「はい」でも「しない」

・まずはやってみる。結果は遅かれ早かれ出る。それに直面して、その上で対策を練ることだ。

・人は流れの中に生きている

「今ここを生きる」何年生きたかは問題ではなく、生まれて間もない子供でも、長く生きた人も「今」しか生きられない。過去と未来は持てない。「今」も持てない「同じ川には二度入れない」。

・過去を手放す

子供が親元を去っていくとすればある意味で教育に成功したと言えまいか。

・未来を手放す

人生の先のことが見通せないから不安になる。その時になってみないと解らないことに今不安がっていてもあまり意味がない。

・今ここにある目標

過去や未来に捉われて生きるよりは、今ここに焦点を当て他者に貢献する生き方。人の価値は生きることにある。今どれほど苦しくても生きようとすることが「今ここを生きる」ということです。

理想(イデア)は現実と違うから理想なのです。理想を掲げることで現実を変えることに近づける。この世界で起こっていることを絶えず検証し無批判に受け入れてはいけない。このように検証を可能にするのが哲学です。理想論でなければならないのです。

・今起きているコロナウイルス蔓延の問題

パンデミック(すべての人々)国の違いを超えて、皆が協力して病気の克服に向け努力していかなければなりません。

「勇気は伝染する」今どんな勇気が必要か。他者を仲間だと思える勇気

悲観主義でも楽天主義でもない「楽観主義」

自分の価値観を疑い、人生の意味を考えさせているのが哲学です。

成功こそ人生の意味であると考え、何の疑いもなく目標にする人は多いが、そうではなく人生の意味は自分自身で探し求めなければならないものです。

以上 要旨記述 2020/06/16

コメント