牧口常三郎の獄中闘争

1,910年[明治43年]大逆事件(24名死刑)天皇暗殺計画容疑、社会主義運動の取り締まりのための特別高等課の設置

1,925年(大正14年)治安維持法の制定1941年改定、思想、宗教弾圧

1,935年(昭和10年)大本教、天理教(脱税容疑)ひとのみち教団への弾圧解散要求

1,936年(昭和11年特別高等課が第1課と第2課に分ける。治安維持法、

1,939年(昭和14年)宗教団体法 ~ 宗教統制、教団統合を指示。

(皇大神宮の大麻(神札)を謗法払いの対象とする創価教育学会への弾圧)

*言うべきことを言えないような臆病者は、日蓮大聖人の門下にはなれない。

謗法厳禁の建前より、教団維持が重視され権力の圧力にあっさりと屈した。

当時、日本国民には、正しい情報を与えられずに軍部からの虚偽の報道を信じて勝った勝ったと喜んでいた。国家が進もうとしている道は間違っており、広宣流布に向かってひるむことなく進まねばならない。

*宗教は何を信じてもよいと考える、日本人特有の宗教観が「思想混迷、世相険悪」の根源である。宗教上の信仰などは無いよりはあるほうが良い、ありさえすれば何でもよい。八百万の神仏を勧請して無暗矢鱈に礼拝する事を生活の安定と心得、その代り何れにも凝ってはならぬ等というに至っては味噌も糞も一緒、「利害善悪」の弁別などはどうでもよい。「不即不離」の総花主義に堕した感。まして自分に最も親しい同志と想うものが、却ってその無知に乗じて信仰に名を借りて無益の心薬(神札)を売るのみか公然と害毒を天下に流布しつつあるのに気付かぬに至っては言語道断である。

*訊問調書について  (昭和18年8月分「特高月報」)

1、 創価教育学会に関するもの

2、 仏教及び日蓮正宗に関するもの

3、 広宣流布に関するもの

4、 仏法と国家、天皇との関係するもの

5、 教育勅語に対する見解に関係するもの

6、 折伏、謗法に関するもの

問、創価教育学会の指導理念及び目的は

答、目的は規約要項第二条

日蓮正宗の三大秘法に基き、教育、宗教、生活法の革新を計り忠孝の大道を明らかにし、国家及び国民の幸福を進めるを目的とする。

この三大秘法は本門の本尊である曼荼羅にすべての人が帰依することによって具現することになります。~この本尊曼荼羅を信ずることによって何人も即身成仏できる秘法であり、この秘法の本尊と人間の生活と関係が有るかないかを認識させる手段として、この本尊に帰依することによってのみ安定が得られ、幸福、価値を現実に実証しうるという事を感得せしむるにあり。故に、本会に入会するにあらざれば、幸福安定はもちろん得ませんし、国家社会の安定性も得られないと私は確信しております。

本会の目的とするところは、日本国民の一人でも多く本会に入会せしめて~

私の価値論を認識、把握せしめて人生生活の安穏幸福を招来せしめることにありますが ~ 「正しい信仰によって、生活の在り方を革新し人々を幸福にすることを目的とする」形式的になってしまった宗門に対して日蓮大聖人の本義を仏法民主主義運動として考えていた。

問、会員獲得の手段方法について

答、入会信仰すれば現実生活に現れる実例をそれぞれの知人縁故を辿って宣伝折伏する。個人折伏と座談会を通じ入会者は正宗寺院にて受戒し御本尊授与。

僧籍を得ることを嫌い、在家の形で正宗の信仰理念に価値論を採り入れた。

正宗は折伏活動をしていないのになぜ学会は信者を増やしているのかその違いを追及したようだ。「正宗は国家に逆らわず、神札も受け入れたのに、信者である学会がなぜ本山のいう事を聞かないのか」という疑問があった。

牧口先生は初めから日蓮正宗と学会とを明確に分けて考えていた。

問、学会の信仰理念の依拠するところは、正宗に相違なきや

答、宗教団体法にいうところの宗教団体ではなく宗教結社の届け出もしていません。「在家的信仰団体」として日蓮正宗からは独立。

問、日蓮正宗はいかなる教義信条を持つ団体か

答、法華経八巻(二十八品)要するに法華経の真髄は本尊たる南無妙法蓮華経に統一される。それに帰依する以外に他の一切の礼拝信仰宗派を認めませんのが建前であります。

問、法華経とはいかなる教えか

答、三十にして成道し、四十余年未顕真実、これから説く教え法華経が真実の教え。“仏法は初めなき久遠より終わりなき永劫にわたり、常に流動しつつ絶えず一切の森羅万象を活躍せしむるところの法。”

それ自体に相応すべく行動する事が仏法であり、妙法です。法華経は末法の予言書であり、日蓮大聖人は末法の救済者

国民に国家神道を信仰させようとする国家権力に向かって牧口先生は一切衆生を救済する教えが仏教であり、法華経はこの仏教の最大根本経典であるから、法華経中心主義こそ仏教の極意であると真正面から主張。

悪世末法こそ法華経が広宣流布する時であると述べられ、末法終末論的思想を逆転している。尚、仏については、人格的存在者として定義

迫害を乗り越え、人生の目的を明示しその目的実現の手本を自ら示した人物と考えていた。仏法即世法という考え方。

問、法華経と日蓮(大)聖人の関係

答、2千年以後の末法の予言書

正、像の時代においては「教、行、証」の三つがあったが末法の世に至っては、教のみあって行、証ともになくなって法華経の価値は失墜してしまった。

上行菩薩の再誕として末法の世の人々を救済するために生まれたのが、日蓮聖人です。建長5年4月28日、 “南無妙法蓮華経” 「立宗宣言」

本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇の三大秘法の具現に当たられた。

問、広宣流布とは

答、上は陛下より下国民に至るまで、一人も残らず従い、南無妙法蓮華経に帰依するようになったとき、濁悪の時代思想を浄化することになる。   

*この考え方は、国家権力からは「危険思想」に当たるものであった。

問、日本国家も濁悪末法の社会なりや

答、王法が仏法に冥じ、仏法が王法に合し、王臣共に本門の三大秘法を持する王仏冥合の時をめざす限りにおいては、正義道徳の最大最高を理想とする日本帝国も法華経も不二一体のものと信じております。(しかしながら、当時の日本は神国として、天皇を神格化した理想的国家像を描いていた。)

「天皇凡夫論」に至っては、広宣流布とは、大日本帝国憲法における天皇観に反するのではないか。教育勅語についての見解では、「徳育」は必要なく「知育、体育」で十分であると説き、「忠孝」については、平重盛(清盛の嫡男)が後白河法皇(朝廷、院)と父(清盛)との融和を重視して異なった対応に苦しんだように「忠君愛国」を徳育とすることには批判的で「知育」の範疇であるとした。

問、大日本帝国憲法と法華経の大法はいかなる関係に立つや

答、憲法と仏法との関係については、「法主国従説」の立場に立つ。

日蓮大聖人仏法は憲法よりも優先するとした。

問、折伏謗法とは

答、折伏については、会員獲得の手段の項でも触れたように、日蓮仏法(妙法)を破邪顕正の「慈悲の精神」で法を説くことであり、謗法とは、正法に背き、法をして謗り、口に出すだけではなく腹の中で善くないと思い、顔をしかめてまで嫌がったり、怠けたりする等」を意味し、因果の法則から見ても法に従うのが当然であり、それが大善への行為であると確信するなり。

尚、謗法払い(取り払い)の対象となるものは、伊勢(天照皇太神)、明治神宮、靖国神社、神札,守札、神棚、稲荷、荒神様、不動様等。

神宮への信仰は、日蓮仏法の教えに背く謗法の行為であり、神札は焼却して謗法の取り払いの指導をしてきた。又、「天皇一元論」として、「国家神道」は宗教と見做し、天皇尊敬は宗教ではないから謗法ではない。(敬神のみ)

*当時の法体系によれば、牧口先生の有罪は明らかであったが、裁判は先生の死亡によって終了したのである。戦後、占領軍による神道指令、治安維持法の廃止、そして信教の自由の保障、政教分離原則を採用した日本国憲法の制定により国情は一変した。宗教の社会的役割について目を向ける事の重要性は、今日においても変わることはない。

1,943(昭和18年9/30)~19年10/13 )家族あての31通の書簡

戦時中の獄中は最悪であった。食べるものはもちろん、暖をとる最低限の布団の差し入れさえさせなかったのである。

*戸田先生の講演

1,951年(昭和26年7/10)「創価学会の歴史と確信」

不思議や、数馬判事のわたしを憎む事山より高く海よりも深き実情であった。

法罰は厳然として、彼は天台の一念三千の取り調べになるや重大な神経衰弱におちいり、12/18~3/8まで一行の調書もできず裁判官を廃業してしまった。阿弥陀経の信者の立場で私ども同志を裁いた彼は無間地獄間違いなしと信ずるものである。牧口先生をいじめ、軽蔑し、私を憎み、侮り、同志を裏切らせた彼は裁判官として死刑の宣告を受けたのである。数馬こそ牧口先生にとっては当面の最大の敵だったのである。~しかし ~ 数馬など軍部権力に忠実な番犬ぐらいにしか映っていなかったであろう。自分の主張を軍部に伝える手段と捉えていたとも思われる。

通常被告が書くことなどない取り調べ調書を牧口先生自らが自分で書いていたことは、獄中書簡に記されている。5か月間、牧口先生は調書の構想を練り、それを基に一冊の本になるように纏めたのであろう。 

あたかも国家諌暁のようなものであったであろう。

*7/18東条内閣は総辞職した。~ 日本軍事政権の崩壊である。

以上 要旨記述 2016/03/10

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