牧口常三郎の思想2

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牧口常三郎の思想=2

 *時代と背景

・M4年、6/6(旧暦)  7/23(新暦)生まれ。

生誕の地柏崎の歴史的(文化)環境~当時の荒浜地区は、荒浜(海辺)桑名藩の飛び地(天領)桑名藩主松平定敬(京都所司代) ~ 合津藩主松平容保(京都守護職)

長岡藩の河井継之助(中立論者)~戊辰戦争前に外国船で米を売り裁き富を築き鉄砲等を買い込んで着々と郷土防衛に励んでいた。立地状況からして官軍からの敵視攻撃は避けられぬものと中立の立場で時の推移をにらんではいたが、結局は幕府側の定敬等を乗せて柏崎に送り込んだのである。そのようなわけで、明治維新前の舞台裏事情として、出身地柏崎はアンチ藩閥政府の位置に組していた。

外国の大使、公使、死の商人等が利権の奪い合いに明け暮れ、ヨーロッパ帝国主義の支配下にあり、薩長土肥(官軍)はイギリスの支援をうけ、幕府側はフランスの強制と援助に頼っていた。

・3才の頃に入水事件まで起こした挙句、生みの親(母)と生き別れ、13才で北海道(小樽)へ。

当時は北陸地方の動乱で、富山、新潟、山形、秋田方面の人々の亡命、逃亡に等しい状況にあった。そんな折、小樽における牧口に突然悲しい出来事が起きた。異母妹を子守の最中、誤射とはいえ政府高官(黒田清隆らしい)による妹の死は、貧困、母との別れに次いでの悲運であった。北海道開拓使官有物払い下げ事件(北海道長官、黒田清隆)~薩摩人への払下げ汚職事件。薩摩藩支配地域における彼らの都合の良いようにやりたい放題の状況下にあって、札幌師範学校を卒業し、教師の道に進みそこで戸田との出会いへと展開する。

、以下「越佐の偉人」より抜粋

・貧しい児童への家庭訪問に明け暮れる中を、自らの給金を使い給食制度を試みる牧口と、劣等生教育に情熱を燃やす戸田とのコンビはやがて、先に牧口がM36年10月「人生地理学」を世に送り出し、その後「価値論」に至り当時の文部省の反感を買い、一時は前田多門(新渡戸稲造の門下生)の助言を受けるも左遷の憂き目に遭い東京へ移る。その後東京で戸田との再会を果たし、三谷素啓の折伏により日蓮正宗への信者となる。

「価値論は信仰への梯子段」と捉え、信仰活動に至る。その後教育改革を目指し創価教育学体系出版へと突き進むのである。

・S5年11/18(1930年)創価教育学会発足。

”折伏だ、善か悪か、それは罰で決まる。正宗を謗れば、頭破作七分となる”寒かったら新聞紙をかぶると良いよ。なにバカにつける薬はない?違うあるんだよ。酒を飲んだら人と話すなよ。何合飲んだと首から提げておきなさい。宗教統制の最中、神札拒否(政府、軍部批判) ~ 軍国主義への批判(神本仏迹論の邪義に)”今こそ、国の過ちを諌めるとき、天皇(主権者)を折伏する事だ。”

 ・帝国主義を批判する。

植民地になりたくなければ帝国主義国になれ!それが愛国心だ。(当時は帝国主義が正義)特高による検挙者21人中3人(牧口、戸田、矢島)を除いて転向釈放された。

、「人生地理学」を読む

  世界を正しく認識するための書”

 ・人間と自然との関係「依正不二」 ~ 十方は依法(影)なり、衆生は正報(体)なり。”

 自然の存在の中から人生(人間生活)に対する関係性を見出し、これを評価しさらに人力を加え

 てその関係性を緊密化し増加させる事である。人工をもって、自然の配列を改め特殊の配列を

 なし、もって人生への有益性をさらに加えることである。その価値というものは、何もないところ

 から、自分で創り出すものであり価値消耗ではなく、価値創造であるとする。

 又、商業、流通、サービス部門に力点を置き、商業を悪徳視する自然保護、公害反対、有機

 農業等の運動団体に対し注意を促す。

 ・マルクスの労働価値説(価値論)や宇野経済学(マルクス経済学)ビクトーアーデイーテリッヒ

 (森林機能論)マックスウエーバー、丸山真男、中尾佐助、広松渉、アーサータンズリー 等を

 超越した存在感を示している。

 ・森林と漁業の関係において、木に縁りて魚を求めるとして、農業的林業を否定する。

 近代社会(現代都市)こそ森林を必要とし、パリ、ミュンヘン、ウィーン等の都市林業(森林公園)

 の推進を謳う。林業の機能として

  ① 木の生産機能

  ② 利水浄水機能

  ③ 防災機能

  ④ 環境形成機能 ~ 日本風景論(風致景観論) 志賀重昴

  ⑤ レクリエーション機能 ~ 森林浴、湯治場、温泉施設等

 ・生態系食物連鎖と植生遷移  ~  敵対的共存

 ・郷土論  ~  「地人相関」 人間の生活の場

 ・「山林有情論」  ~  人間主体主義の発想

 日本の農地は水田と焼畑とによると定義し、決して水稲栽培だけを意味していないのである。

 カルチャー(教養、文化、人間らしさ)とネイチャー(自然)との関係

 *特に驚くべき事は、牧口の教育思想を発展させ、しかも庶民が主役の創価学会運動(宗教法

 人)へと展開した弟子、戸田先生の偉大さは三代会長の池田先生へと見事に継承され創価教

 育としてSGIを通じ世界の人々の心に深く根を下ろしているという事です。

*柳田国男の民俗学。

 常民思想(定住稲作農民)は日本の先住人種を(山人)という扱い方で表現したのと同じく、彼

 自身の虚構の上に樹立した体系であり、考古学的認識による生きた化石を求めての山村調査

 の延長の域を出ず、あたかも”隠れ里”イメージで終わっている。遠野物語的な懐古主義文学

 者としての才能は認めるとしても、本格的な民俗学者としては、牧口の思想とは比較に値しな

 いものでありお粗末なり。よくもこんな学者に当時国家は勲章を贈り宣揚したものである。彼の

 弟子であった、今和次郎の「考現学」への反発に加え破門にした経緯からしても、後継者には

 恵まれず残念ながら評判倒れの学者で終わっている。

、「価値論」を読む

 私の学問の対象が常に実生活を離れない。”

 庶民の生活は、怒り、嫉妬、貪欲,愚痴、懐疑、傲慢、が充満し、皆悩んでいる。

 「人生の(生活者)指導原理としての価値論」を世に出した。

 ・マルクスの「価値論」 ~ 利の価値創造のみで、美、や善の価値がない。

 ・マックスウエーバーの「価値論」 ~ 没価値論はマルクスを超える。(職業としての政治)

 ・牧口の「価値論」 ~ 人間の生命と対象との関係性

 価値とは目的に対する手段の関係に立って、実在(物事)がその目的を達成させる力の総量を

 いうので、人生(生活)の目的である生命の保全に対して有利と判断される各々の種類、程度に

 則して善と言い、利と言い、美と言う。例えば休養は美の創造に当たり、食事や音楽も美の範疇

 にはいる。休暇をとってレストランで美味しい食事を採りながら好きな音楽に浸るひと時にストレス

 の解消と言う利を感じるのではないか。

 ・マルチンルターの宗教改革 ~ 西洋思想史に於けるローマ教会の「免罪符」の扱い。

 営利悪徳観念がもたらす歪み。 ~ 金儲けを目的化することから起きる利の価値化の歪み。

 日本では武士道精神が道徳化され営利を悪徳化してきた結果、逆に政商と目す悪徳商人を

 生み、幾度かバブル経済を形成してきた。

 又、偽善の聖職者が政治権力に取り入り、時の行政と財政を権力者の意のままに操る歴史は

 どの国においても行われてきた。日本における宗教界では、鎌倉、室町の世にあって何ら民衆

 の救済などの教義を持たない禅宗なるものが中国を経由して日本に入り、したり顔した僧侶らが

 対中国や対朝鮮との外交を担う事を装い、その文化などを輸入し深く国の行政を担うまで増長

 した。庭園、茶道,華道等の文化の輸入の功績は認めるとして、これらは全て一部の人のためで 

 あって多くの庶民の利に適っていただろうか。元々が宋の国が滅び元帝国が興こり宋の禅宗の

 亡命僧侶らではないか。何ら力の無い教えの者達を何故に重用したのか、国に人無きか。

 ・歴史に学べ”とは言うが、「地理思想」がなかったら歴史思想は無いのである。

 ・地理教授の方法

  「立憲思想の涵養」 と 「体外思想の確立」

 ・一番の教育家、革命家はルソーやデユーイでもなくヘルバルトだと牧口は言う。

   ”五段教授で汗流し、今日もお腹がヘルバルト”

 ・教師は、教育技師である。 ~ 教授法の技術(専門職)

  * ヘルバルト教授学(実在論)  ~  カント主義の哲学者

  * デュルケム社会学

  * キルヒネル教育学  ~  偏差値的詰め込み主義は止めろ。

、創価教育学を読む

 ・教育の目標は、子供達が大人になってから真面目に考える事の出来る人間を育てる。

 ・教育改革論

  1、 郷土教育

  2、 良い教師(検定制度)

  3、 教育研究所の設置

  4、 教育参謀本部の設置

 学制改革案

 学校民営化論

、大きな度量と慈悲に満ち溢れた創価学会。

 イスラム教のように独善的宗教と言う根強い偏見(テロ)に対し、同じように見られている日蓮仏法

 に対する反論として、どんな異教徒であろうとも又、無神論者を自認する者であろうとも、ひとた

 び対話を重ねるうちに、仏法の素晴らしさに納得し、賛同の眼を向ける事を知るが故に、対話

 の重要性と可能性を確信するものである。その根底には、どこまでも卑劣な国家主義と真っ向

 から闘い子供達の未来を開くことを信じて疑わず創価教育実践に殉じた牧口教育の真髄を

 実感させられるからである。

以上 2014/02/02

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