日蓮仏法と池田大作の思想

松岡幹夫、著

2010年11/30第三文明社刊

<学会批判への疑問>

 世俗的なイデオロギーに関しては、右とか左とかは問わず「中道主義」の立場である。

 仏教学者は、理性使用に関しては、穏当なあり方をカントが理性能力を批判して、不可知の領 

 域には沈黙を守ったように、(カントとは違った視点から)自らに問いかけ先ずは熟考すべきだ。

 仏教研究における理性の役割は、仏教の真理を批判する事ではない。なぜならば「ありとあら

 ゆるものは、有にも非ず無にも非ず」といった考えが仏教の基本だからです。

 戸田会長の「生命論」に対する批判には、近代的理性(ヒュームやカントの不可知論)が本来

 持っていた自省的な謙虚さが微塵も感じられず、そこには科学万能主義的な傲慢ささえ感じ

 られ誠に残念である。

 ・現在SGIを通し海外192ヶ国、地域に会員を擁する創価学会の日蓮仏法の思想をどのよう

 に捉えるかは自由であるが、かって歴史学者トインビー氏が池田大作名誉会長との対談で

 理性を過信した西洋文明が人間生命の歪み、不協和をもたらし道具的理性が感情を支配し、

 やがてそれが感情が理性を操るシステムと化し、暴走させると言った近代文明の病を誘発して

 きたと憂慮されていますが、21世紀は西洋文明に代わり東洋文明にその転換を期待されてい

 ます。西洋の知性に対し、単に道具的あるいは客観的理性から自在的理性への転換を示唆

 したものでしょうか。

1、人間の全体性の復権

 知性、理性、感情はこの生命自体の表面の部分であって生命全体ではありません。生命と言う

 全体に奉仕すべき立場にあると捉えたとき、人間は知識人や大衆である前に同じ人間であるこ

 とを大前提に置かねばならない。そしてその人間の心を宇宙的な自由自在と見做すのが学会

 の仏教的人間観であり、日蓮仏法(南無妙法蓮華経)に帰依する所以はここにあるのです。

 妙法蓮華経には「徳」も「生命力」も「情熱」も「知性」も「福運」も「哲学」も全てが総合的に備わ

 っている。人間の全体性の復権を唱えて止まないのもご理解いただけるのではないだろうか。

 *牧口思想の 「価値論」は仏法の 智慧  ~  創価思想の   倫理学

 *戸田思想の 「生命論」は仏法の 真理(中道,縁起、空)  ~  哲学

 *池田思想の 「人間論」は仏法の 慈悲  ~  社会哲学(社会のあり方)

 思想は人格のフイルターを通してさまざまな顔を見せてくれる。思想の存在価値は人間の主体

 的なあり方に依存する。池田思想はあらゆる思想、宗教に新たな光を当てそれぞれの存在価値 

 を最大限に高めようとしているのである。大海の如くすべてを生かすのが仏法です。

 仏教倫理の要となる中道は主体性の理想を説いている。理性に拘らず、人間が自由自在の主 

 体性を持って自己の精神活動を最適な状態に仕向けていく。これが中道の生き方である。

 縁起、中道、空といった根本教理は元来、何ものにもとらわれない無執着の境地を示している。

 近現代の文明における人間の行動原理は理性と欲望であった。池田思想は智慧と慈悲に代

 えようとしている。一人の人間革命は、全人類の宿命を転換する。

2、日蓮の他宗批判

 古来より、日本という国は、法華経の真理が深く浸透した国として聖徳太子や伝教大師等により

 法華経尊重の長い伝統が築かれてきた。ところが平安朝末期に天台(最澄)が法華一乗として

 大乗戒壇が建立されたあたりから鎌倉期にかけて、法然念仏や真言密教が法華経に敵対し

 念仏は法華経を「捨てよ」、真言は「戯論」であると排撃してきたので日蓮はそれを宗教の正道

 を欺く「謗法」と見做し、当時の社会的、宗教的、思想的な応戦を意味したものです。

 そこには当時の諸宗教の堕落ぶりは正道を外れ権力にその身を移し聖職者としての本来の使

 命を忘れ、しかも権威の欲しいままの政道に加担するといった体たらくであった事を忘れては

 ならない。法華経を誹謗中傷する排他的法然の念仏主義に対する戦いが主であり,広宣流布を

 破壊する仏敵とは絶対に妥協してはならない。徹底して破折し、打ち負かしその末路を歴史

 に刻んでいく事こそ真の慈悲である。「思想には厳格、人間には寛容」

3、折伏精神について

 時代を現代に移し、戦前戦後の日本における諸宗教の動きについては国家神道は国を滅ぼし

 既成宗教界は全てにおいて堕落衰亡の道に陥り、新宗教界に到っては、例えば霊友会、立正

 佼成会は日蓮仏法のお題目を盗用し、日蓮思想の清流とは全くかけ離れた独善的な教義を勝

 手に作り上げ人々を惑わせ、天理教に到っても反法華経の域を出ず非仏教的見解に固執して

 きた。そんな中を創価学会は日蓮の後継者たる自覚の下でこれらの集団的な排他主義を繰り返

 す思想的、社会的な動きに対し応戦してきたために、それ相応の摩擦は避けられなかったもの

 と受け止めている。戦後の学会再建期には強引で感情的な布教活動を行った会員がいたのも

 事実であろう。この点の監督責任は免れず反省すべきであるが、折伏は慈悲の行為であると指

 導された戸田会長の本意は、宗門論争でもなく拡張のためでもない、ましてや池田会長の折伏 

 の強引な弊風を排除されようとされた行為は決して排他主義とはいえないだろう。

4、組織主義への批判

 組織化する形態自体は社会改革に必須の要件である。一部の世俗主義者達が宗教団体の

 社会参加に異議を唱えるのは支配勢力が不気味な恐怖感を覚え、特に学会に対しては、その

 リーダーである池田会長を追い落とそうとする動きにつながっている事は窺い知れる。

 現実社会で組織に深く帰属しない学者や評論家、一部のジャーナリスト等あまり組織を知らない

 一匹狼的彼等には、池田体制をフアッショ独裁と写るかもしれない。

 学会精神としての「師弟不二」は権力者への盲従ではない。師と向かい合うのではなく、師と同

 じ方向を見ながら師と共に生きる事が弟子としての哲学なのである。師を選び、師に仕え、師に

 尽くす実践を説くのである。

5、政教一致批判に対して

 学会は戦時中、国家神道による壊滅的打撃を受けた経験こそあれ、戦後政教分離の原則に

 進んで適応し、それを生かそうとしてきた。政治倫理といい、中道政治の標榜といい、大衆福祉

 の追求と言い、人間の幸福のために国家と宗教が理想的に協調することを見据えてきた。

 但し、その動きの中で一部党と学会の組織的な立て分け方に誤解を招く点があったり、宗教法

 の理解が不十分であったりと言った過去のトラブルはその後における社会的適応度を上げる

 ために避けることの出来ない経験でもあった。

 一般大衆の声を代弁し、生活者の立場に立つ中道の政党(左右どちらのイデオロギーも、自由

 自在の主体性に立ち、使い分ける)公明党。仏教の慈悲と中道の主体性に重点を置き、その

 行動指針を政策的には平和と福祉の推進に当たる事には、社会に生かすその実践段階で思考 

 錯誤を伴う事は理の当然であったと見るべきであろう。

 尚、学会の私的な宗教儀礼(唱題行や利他の実践)は、広く大衆の社会貢献の促進とその善意

 に報いる行為に値するものと確信するものである。

6、創価学会三代の会長に見る師弟不二論

 大半の宗教は、人間存在の弱さや醜さを凝視し聖なるものと人間との間に断絶を設ける。そして

 小さき自己を恥じる謙虚さを人々に求める。これに対し日蓮仏教では 「我らと釈迦仏とは同じ

 程の仏である」と説く。

 「卑下が時としては、虚飾にほかならないと見られることもある。」 ~ アリストテレスの言葉

 虚飾に満ちた自己卑下よりも、真実味ある自己確信のほうが中庸の徳にあたると言っても差し支

 えない。池田名誉会長が国連からも一貫した一連の支援活動に対して感謝され、各国政府から

 も、民間外交の功績を称えられ、世界の一流大学、研究機関からも対話運動に対する共感の

 顕彰が相次いでいる。とするならば、学会の三代の会長の功績を自ら内外に宣揚する事は真実

 性に適った正当な自己確信と見るべきでなかろか。

   牧口 ー 戸田 ー 池田三代の師弟不二にして 「永遠の指導者」と規定する。

  *牧口は 「法則の信仰」を教えた教育者

  *戸田は 「使命の信仰」を訴えた宗教的使者

  *池田は 「自己の信仰」を築いた前代未聞の人格者

7、自他共に生かす活用の仏教(中道的実践)

 大乗仏教思想の中で、「悟り」の真理を表現した言葉に(仏性、常楽我浄、実相、真如、如来)

 これらは全て生きた概念とは言えない。

   悟りへの道

     自制の仏教 ~ 欲、怒り

     瞑想の仏教 ~ 執着心、愚か

     献身の仏教 ~ 慈悲、抜苦与楽

   悟りからの道

     欲望活用~執着を明らめて使い切る境涯(執着を振り回すぐらいの自主体性を確立せよ)

  *法華経は活の法門 

    ご本尊への感応妙による信力、行力(唱題)が仏力、法力を活用させる。

 *戸田先生の宇宙生命論  ~  仏とは生命なり”と悟達

   生命とは宇宙とともに存在し、宇宙より先でもなければ後から偶発的に、あるいは何人かに

   よって作られて生じたものでもない。宇宙自体が生命であればこそ、いたるところに条件が

   備われば生命の原体が発生するのではないか。

   「無量義経の三十四非」を媒介とし、南妙法蓮華経をひたすら唱える中で誕生した生命論は

   仏教的倫理の新展開と捉えるべきであろう。

   「無量義経の三十四非」は中論と同意であり、法師功徳品の「一  一句を聞くに無量無辺の

   義を通達らん」

   仏教の「無執着」「空」は生命の肯定的な表現であり、釈尊の無執着の実践が広大な内面

   世界を表現し、天台はその一心に一念三千の宇宙を捉えたと表現し、そして心と仏と衆生と

   を統一する無差別の法、これはすなわち現代的に表現するならば、生命の探求であったと

   池田先生は説明される。

   法華経は諸悪をも円満に生かす円教なのである。この円教に徹する時、池田先生の如く自ら

   自由闊達な人間性が現れてくるのである。仏教の実践には悟りへの往路と悟りからの復路が

   ある。真に完成された実践は、「悟りからの復路」にこそ存在ずる。そこでは、往路で示された

   禁欲の倫理が活用の倫理へと止揚される。低劣な感情さえも生かすのが「悟りからの復路」と

   しての大乗的実践なのである。

  *池田先生の大我論  ~  宇宙的主体性を奉ずる思想”

   小我即大我の中道~小我の人間生命を大我の宇宙生命と相即させ人間の宇宙的主体性を

   確保する。宇宙的主体性とは、無執着、空の境地。現代的に言えば、自由自在の主体性。

   日々に妙法の本尊に向かって「読経唱題」に励むのは、自由自在の主体性を得るためであり

   「仏界」という真の自由を表現する事なのである。

   「生老病死」も「運命」も「社会の束縛」も「荒ぶる自然」も何ら障害とはならない。それらと闘うも

   よし、耐え忍ぶもよし、味わうもよし、前進のバネとするもよし、とにかく何をやっても生命の

   強さゆえに楽しい。”苦をば苦と悟り楽をば楽とひらき、苦楽共に想い合わせて~”

   ・カントの「自由とは自律である」とする道徳的法則を遥かに超えた仏教の本源的な自律への

    道(全生命的な智慧)

   ・仏教は脱文明的な宗教である。よって文明的制約を超えた全生命的な直観の意義を示す。

   ”存在へ向かう理性”こそ西洋文明の核心であり、宇宙当為へ向かう直観に重点を置く東洋

    文明も共に自由自在でなければならない。

    全てを生かすとは、自己のみならず家族を生かし、隣人を生かし、地域を生かし自国を生

    かし他国も生かし、全人類も生かし、動植物も生かし、自然環境までも生かす力を有す。

   ・創価=価値創造(万物の価値を引き出す力) ~ 不可思議な中道の実践における力

   ・マスメディア報道においても、宗教家にあるまじき態度と捉える池田先生の多面性を秘め

    た人格の偉大さに、一日も早く気ずくべきである。

8、人間への信仰

   ・宗教を超えて人間へ  ~  凡夫即仏(平等思想)

   ・宗教理解

    1、排他主義 ~ キリスト教の宣教運動、ヒンズー教の至上主義、イスラムの原理主義

    2、包括主義 ~ キリスト教的包括主義

    3、多元主義 ~ 何かを何かとして経験する(ウサギとアヒルの絵)

  人間が絶対者を仰ぎ、絶対者が自己のうちに人間として現れる(双方関係)

  従来の多元主義に人間中心の観点を注入する。二乗作仏、女人成仏、悪人成仏、久遠

  実成といった思想形態が示される。

  ”私は美人を愛するほどに道徳を愛する人をまだ見たことが無い。”  論語の至言

  ・「正邪、優劣」をつけるのは、道徳や知識の次元であって、人間の智慧の次元になると全ては

  自在に生かした結果が重きをなすため、智慧の無限性を正しく認識する事には、少々無理

  を生ずる事も起きてくる。しかし反戦行動に正邪優劣はないと同じように、対話、諫言、提言

  デモ、抗議等世界の宗教者が進んで他宗教の人々と出会い互いの智慧を尊重しつつ謙虚

  に学ぼうとする中に各々が持つ「究極の真理」に固執しない人道的競争関係が芽生えてくるも

  のと確信したい。共存共栄の理念のための拡張であれば歓迎すべき事であり、強要による

  服従とは根本的に違った方向に向かうであろうと確信する。そういった意味で、池田思想の

  「内発性、」「ソフトパワー」「漸進主義」は多くの方面で受け入れられてきている。

  ・人間救済を掲げてスタートした宗教が、異教徒を迫害、弾圧したり戦争行為を引き起こしてい

  るのは非常に残念な事である。一日も早く人間の原点に立ち帰り、対話による解決の道を望

  むものです。人間生命の尊厳という共通の基盤に立って人類平和のために対話し、協調して

  行くことは、イスラームも、キリストも仏教にしても宗教としての当然の使命でもある。

  ・”イデオロギーを超えて人間へ”

   トインビー氏、米キッシンジャー氏、旧ソ連ゴルバチョフ氏、キューバのカストロ氏、インドネシ

   ア元大統領A、ワヒド氏(イスラーム組織の精神的リーダー)、中国周恩来氏他多数との対話。

以上 2014/02/02

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