開目抄講義(下)

池田大作

第11回、三類の強敵(上)― 元品の無明から現れる迫害の構造

障魔に勝ち切ってこそ法華経の行者

  • ・見宝塔品第11 ・提婆品第12 ・勧持品第13(20行の偈)
  • ・開目抄は全編が勝利の凱歌を謳う
  • ・当世をうつし給う明鏡 ~ 俗衆、道門、僭聖増上慢「無知」、「邪智」、「悪心」から起こる迫害の数々
  • ・末法は世が衰え、人の智は浅く、聖人、賢人が隠れ迷者が多くなる時代人々は権威化した宗教や思想に囚われ従属してしまうために、法華経のような深き宗教、思想を退けるようになり、生命の歪みが増大していく。

第12回、三類の強敵(下)― 迫害の元凶 僭聖増上慢を見破れ

俗衆・道門増上慢の悪

  • 法然ら念仏の僧らは「邪見の者」「無戒の者」であって道門増上慢
  • ・一切の悪人を摂する極楽寺良観
  • ・一闡提は僭聖増上慢の本質(仏眼でのみ見破り得る「究極の悪業」)
  • ・諸宗とは(八宗)~南都六宗+天台、真言
  • *「開目の真意は師を求め、師とともに魔性と戦い抜く自分自身に目覚めよ」

第13回、なぜ大難に遭うのか― 根源悪「謗法」と戦う法華経の行者

 大難を戦い抜く中に、真の安穏が

  • 1,諸天の加護 ~ 現世安穏、後生善処
  • 2,迫害者は現罰を受ける

*諸天の加護のない理由

  • 1,過去世に謗法の罪業がある場合(罪業がない場合は、現罰あり)
  • 2,一闡提には今生では現罰はない(来世には必ず堕地獄、冥罰だから)
  • 3,諸天善神が国を捨て去っているため。

・仏法は因果の理法

  • 過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ~大事なのは、現在です。
  • ・宿命転換を可能にするためには、自分自身の中に大難の因を見いだしていくといった捉え方 ~「宿命転換と立正安国」
  • ・法華弘通に生きぬく誓願と実践 ~ 戦う人間の魂を創る日蓮仏法

第14回、われ日本の柱とならむ ―「一人立て」、不二の誓願に立て

門下の根源の迷いを払拭

  • 根源の迷いとは、「謗法」に対する無知
  • 世間や門下の人々がこだわり執着するものを越えて、大聖人が戦い取ろうとされたものとは、最高善である万人の成仏と広宣流布にほかなりません。

・不退こそが信仰の真髄

  • 濁悪の娑婆世界(謗法充満の悪知識)の中で三障四魔、三類の強敵と戦いながら信仰の実証を示す事は、常に自己の生命の無明と戦う練磨が不可欠です。無知、悪心、邪智ゆえの反発の中を御本尊に真剣に祈り、唱題を重ねる中で“あの人にも仏性がある”“あの人の仏界に届け”と、さらなる対話を続け自己の境涯を拡大していく尊き実践。

・「法華経を捨つるは地獄のごうなるべし」(p232)

  • 悪知識は生命を無明へ陥れ、権威に従属させようとします。それに紛動されてはならない。悪知識に敗れて、法華経不信が芽生えて退転するのです。

・「善につけ悪につけ」 ~ 悪知識は善悪両面から責め立てる。

  • 退転者、反逆者は、増上慢となり、名聞名利に流され、誓いの精神が腐って惨めにも敗れ去っていきました。だから“心こそ大切”なのです。

・「一人立つ精神」

  • 「不退の心」「誓願の心」を貫く、精神の柱、思想の眼目、救済の大船

第15回、転受軽受 ― 全人類救う宿命転換の仏法

法華経の行者の功徳 ~「転受軽受」「不具自得の成仏」

*「常の因果」と大聖人仏法の「大いなる因果」(成仏の因果)

・「常の因果」・八種の苦報(苦難) 

  • 1軽んじられる 2姿かたちが醜い 3衣服が不足する 4食べるものが粗末 5財を求めても得られない6貧しく身分の低い家に生まれる 7邪見の家に生まれる 8王から迫害を受ける

・護法の功徳力 ~(折伏の実践による護法)

  • あえて謗法を責め出すという戦いこそが、宿命転換の直道なり。そのためには「勇気」が必要です。
  • 大変な時ほど、苦しい時こそ人間革命が出来る。~「苦難とは生命の鍛錬」

第16回、我並びに我が弟子 ―「まことの時」に戦う人が仏に

師弟の精髄を明かした一節~不借身命が師弟の絆

 “我並びに我が弟子等諸難ありとも疑う心無くんば自然に仏界に至るべし天の加護なきことを疑はざれ現世の安穏ならざることをなげかざれ我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・起こしてみな捨てけんつたなきもののならいは約束せし事を・まことの時は忘るるなるべし~“

・「不具自得」の成仏とは

  • いわゆる仏の生命が必要な時に適切な形で表れてくる。なんの妨げもなく、妙法の力を人間の力として呼び顕わすことが出来る。
  • 妙法の力が現れ出てくるのを妨げているものは、実に私たちの心の中の
  • 根本的な迷いすなわち「無明」であるという点です。
  • 衆生は妙法の当体であり、仏界の生命をもともと具えているという。
  • といっても ~ 単に形ばかりの題目を唱えていればいいかというとそうではない。ましてや僧侶に唱えて貰うなどというのは論外です。
  • ・「一人立つ勇気、耐える力、苦境を切り開く智慧、慈悲の心」
  • 「無疑 信」~「元品の無明をたいじする利剣は信の一字也なり」
  • ・涅槃経の貧女の譬え ~ 不借身命、我不愛身命
  • 「一念三千の玉」~「仏になる道」まことの時に無明との闘いを忘れるな!

第17回、折伏 ― 善を拡げ悪を責める大慈悲の師子吼

法華経の厳愛  ~ 「仏種の一念三千」

・争う心の「修羅道」か、戦う心の「菩薩道」

  • “他宗を責めるのは仏教らしくない、和の精神と違う”。そういった非難の声が他宗からも門下の者の中にも多く、仏教に対する誤った認識が根深く横たわっていることが、ここに潜む本質的な問題であった。

・一般に仏教と云うと、現実の苦悩の世界から離れて理想卿を求める思想と捉えられているが、

  • 真の仏教は現実変革の思想であり、現実世界の中でいかなる嵐も乗り越えていこうとする強靭な生命を獲得することを目的とする。折伏を「修羅道」に堕ちる行為とする批判は誤りであって、折伏は「慈悲」であり人々の悪縁となる誤った思想、宗教と戦う末法での「菩薩道」です。末法における邪智、謗法の国は折伏を第一とする。

・民衆を救う智慧にこそ真の寛容の精神が宿り、

  • 排他主義や独善主義とは根本的に異なる。

・「慈無くして詐り親しむは彼が怨」~「慈悲」の対極にあるのが「詐りの心」

  • 自身に潜む惰性、油断、臆病などといった生命の錆を落とす実践。

第18回、末法下種の主師親(上) ― 濁世に慈悲の薫風を

慈悲は真の悟りの証し

・法華経に説かれる三徳 ~ 御義口伝 寿量品自我偈の文(p757)

  • 我此土安穏(主の徳)・常説法教化(師の徳)・我亦為世父(親の徳)

・法華経の行者(大聖人)に具わる三徳

  • 1.立正安国の実践(主の徳) ~ 一閻浮提広宣流布(仏法西還)
  • 2.折伏行の実践(親の徳) ~ 菩薩道
  • 3.成仏の大法(師の徳)~ 南無妙法蓮華経を御本尊として顕わされた
  •   万人が慈悲の実践を ~ 折伏行と唱題行

*戸田先生の指導

・人間は仏の智慧を啓発して真の「慈悲」に生きるのが一切の幸福を獲得する根本であり、その智慧は「信心」によってのみ得られることを深く銘記すべきである。「折伏行」に生きゆくことで一人一人が慈悲の体現者となり、慈悲の行為を世界に弘めていく事を教えられている。凡夫は慈悲の代わりに「勇気」を出すことが出来る。

・「慈悲」の世界の「破壊者」との闘争無責任の傍観者が破壊者を生み出す温床となる。本来立ち上がるべき時に立ち上がらず、かえって「謗法」の軍門に下り、果ては「牧口先生」を切り捨てようとした戦時中の宗門こそ、この「大怨敵」の末流である。

第19回、末法下種の主師親(下) ― 人間革命の宗教の確立

普遍的な法を万年に流通させる深き戦い

・報恩抄(p329)に

  • 日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし ~日本国の一切衆生の盲目を開ける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ。

*なぜ下種仏法に力があるのか

  • 無明から信へ ~ 衆生本有の仏性を南無妙法蓮華経と名ずけられました。

・大聖人の三徳は創価学会に脈打つ

  • 牧口先生、戸田先生も共に下種仏法の本質を体得された方々でした。

第20回、生死不二の大功徳―戦う人生に大いなる歓喜あり

無道心の者は生死の苦に沈む ~ 闘争即歓喜の成仏の境涯

・「一生成仏抄」(p384)に

  • 只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり、之を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又おこたらず磨くべし、如何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを是をみがくとは云うなり。

・病苦・老苦・死苦をも悠然と乗り越える

  • *世界広宣流布の草創期  ~ 「門下よこの日蓮に続け」   

以上 要旨記述 2020/05/11

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