「二十一世紀の宗教を語る」
池田大作 著
「哲学不在の時代」を超えて
・「経済成長から人間の成長」;「知識を使いこなすための智慧の飛躍的増大」
人間はどこからそして何のためにこの世に生まれたのか。
・法華経従地涌出品第十五 ~ 如来寿量品第十六
現代人の「無力感」に対極する法華経の一念三千の哲学、実践
拝金主義、物質主義、快楽主義 ~ 自由主義
・人間のための平和の宗教(仏教)
法華経は無力感を打ち破る宇宙大の心の秘宝を教えている。
「邪悪と闘う正義のドラマがある」その主張は宇宙的ヒューマニズム
自分は永遠の昔から仏であり、永遠の未来まで仏である。という真理を悟ったのです。そうはいっても、成程わかりましたとはいかないものだ。
「智慧」と云うものは、自分が体得するしかない。
・生命がキーワードの時代へ!
「戸田先生の獄中の悟達」~”仏とは生命なんだ”創価学会の原点「生命論」
生命には多様性、豊かさ、闊達さがある。それでいて法則的であり一定のリズムがある。この多様性の調和を教えたのが「一念三千」です。
仏の広大無辺の境涯とは生命の自由、開放、調和を最大限に表現した境涯
*戸田先生の指導
人生は悩まねばならぬ。悩んで初めて信心もわかる。人間革命とは成仏の現代的表現である。自分の中に「我」と云うものがある。我と云うものは宇宙の事であって、宇宙の生命と君らの生命と違うかというと、違うのは肉体と心であって生命には変わりはない。
丁度目を覚ました時に、昨日の心の活動の状態を今も又その後を追って活動するように、新しい生命は過去の生命の「業因」をそのまま受けてこの世の「果報」として生き続けなければならない。
海を大宇宙とするならば、現れては消え、消えては現れる波がわれわれの生命である。波と海は別々ではない、波は海の働きの一つである。
宇宙生命それ自体が変化を起こしている。
・無限の大宇宙 ~ 永遠常住の巨大な生命(仏とも妙法ともいう)
・法華経では「諸法実相」と説く。仏法の縁起(万物の相互依存性)
・DNAの大事な視点は、生命それ自体がDNA (デオキシリポ核酸)を作っていたのであり、DNAが生命を作ったのではない。
・今、世界は自由でありながら放縦ではない。精神性の豊かな社会を模索している。西側の「民主主義社会では物質主義」がありあらゆる種類の精神性の否定がある。二十一世紀を生命の世紀と銘打つ由来がここにある。
*民衆に呼びかける経典法華経
仏法は誰のために説かれたのか。差別され、虐げられ、苦しんだ人々を救いゆくための仏法の力、「法華経の智慧」
一切衆生の成仏が仏の一大事因縁(仏がこの世に出現した目的)
「如我等無異」 ~ 誰もが等しく成仏の可能性を持っている。
“信者ではなく、行者であれ”とは、牧口の先生の言である。
・宗教はリーダーが自己を見つめる事を忘れると自らが権威化し民衆から遊離していく危険を常に持っている。
信徒が自分の幸福や安穏を僧侶に拝んでもらっても意味がない。
序品①
「如是我聞」の意義;師弟不二の鼓動 ~ 全生命で聞き信受していく
「三種の法華経」
1法華経二十八品 2天台の摩訶止観 3日蓮大聖人の南無妙法蓮華経
・法華経は紀元一世紀の釈尊論ともいえようか。
・聞法の意義、声仏事を為す、之をを名けて経となす(P、708)御義口伝
此の娑婆世界は、「耳根得道」の国なり(P、415)一念三千法門
・人々はどのようなメディアの情報に騙されやすいか(新聞、ラジオ、テレビ)一番がテレビ、逆に3/4 の人が嘘を見破ったのはラジオであった。
映像には騙されても、耳、声には騙されなかったようです。
・法華初心成仏抄(P、557)題目こそ宇宙根源のリズム、尊極の音声
・報恩抄(P、328)“声も惜しまず、唱うるなり”
唯一声に呼び顕わす無量無辺の功徳がある
序品②
「二処三会」~ 永遠と今との交流
・列座大衆 ~ 法華経ドラマの、舞台と登場人物の紹介
「序品」の大衆は仏の己心に包まれた九界の衆生
九界の代表菩薩界、声聞界、天界、修羅界、畜生界の衆生
・霊鷲山から虚空へそして再び霊鷲山へ
・法華経の舞台は、始めと終わりが霊鷲山、中間が虚空(虚空会)
二つの場所で三つの集会があったので、「二処三会」
・序品から法師品第十まで霊鷲山を舞台に舎利弗らの声聞界
・見宝塔品第十一(宝塔が空中に浮かぶ虚空会の儀式)から属類品第二十二
・薬王菩薩本事品第二十三から普賢菩勧発品第二十八(終章)まで霊鷲山で
菩薩界への説法である。
*虚空会の儀式 過去仏(多宝如来)現在仏(釈迦如来)二仏並座
未来仏(上行菩薩)への付属
・前霊鷲山(悟り以前の現実)虚空会(悟り)後霊鷲山(悟り以後の現実)
現実変革をめざす仏法 ~ 日蓮仏法(慈悲の行動)
多くの宗教が社会の現実に妥協し埋没するか、隔絶し逃避して別世界をつくろうとする。そのどちらも誤りである。
・釈尊の「従因至果」の仏法 (因に従りて果に至る)
・大聖人の「従果向因」の仏法(果に従りて因に至る)
御本尊への唱題によって即座に得られた仏界(果)を根底に現実の九界(因)の場へ向かう。(滅後の弘法を託された)
「直達正観」山へ登ってきた迹化の菩薩ではなく、すでに頂上に立ち(仏果を証得)社会へ降りていく地涌の菩薩
・信心の実践でいえば、日々の勤行、唱題が「従因至果」で再往はそれ自体が即仏界へと連なり、現実生活に妙法の智慧と慈悲を拡げていく、「従果向因」の活動
・現実の社会を離れての仏法はない。「仏法即社会」
・生命の全体像としての「二処三会」
・「宇宙即我」 ~ 小宇宙と大宇宙との交流ドラマ
「色心不二」「生死不二」 生―死―生 「妙=死、法=生」が不二
方便品① *方便とは ~ 巧みなる「人間教育」の芸術
随自意・無問自説 「開示悟入」の四仏知見「法華経は秘妙方便」
悟りの境地から現実へと近ずく。その悟りを現実世界に説明し表現していく方向。方便とは技術であり教育 ①法用方便②能通方便③秘妙方便
そうした言葉にもならず、考えることも出来ない真実を言葉で説いたり、何らかの形で表現すれば、これはもう「方便」としか言いようがない。
説くことのできない真実を慈悲ゆへにあえて説いた。
*戸田先生の指導
成仏とは自分が仏であることを知ることで、これは秘密にされ「妙」が隠されているのです。これを「秘妙」という。仏が凡夫の姿で苦労させる為につくられたのです。皆さんは地涌の菩薩です。この原理が心の奥底でわかれば方便品が読めるのです。凡夫がそのまま仏、これは不思議です。(思議し難い妙です)
法華経を信じない人にはとても分からない「秘」「罰も功徳も方便です」
・妙法蓮華経の身読
妙法の喜びを楽しく味わっていく、苦も楽も、信心という大きな高い境涯から悠々と見下ろしていく「願兼於業」です。妙法の力を証明するための宿業(方便)です。だから絶対に悩みを乗り越えられないわけがない。
いまだ妙法を持たない人であっても、本人は知らないだけで(秘)実は妙法と一体(妙)である。ゆえに生命の奥底では妙法を求めているのです。
・仏法の「方便思想」は、そのまま最高の教育思想だという事です。
人間を幸福にする教育の結論として到達したのが法華経。教育革命の実現には、「法華経による宗教革命」以外にないとされたのが、牧口先生です。
・人間教育と仏法は表裏一体、牧口先生は教育から出発して法華経に至り、私(池田)は法華経を根底に教育、文化運動を繰り広げている。
・「如我等無異」~人材育成の心、自分以上の人材に育てよう。
方便品② 「開三顕一」「師弟の道から師弟不二の道へ」
法華経の意義は、未熟な人類を賢き人類へと変革させていく事にある。
仏界という一人一人の内にある最高の境涯を開発することにある。
現代は文明社会全体が科学技術に頼り経済競争に目を奪われ、自然を破壊し、殺りく兵器を作り不信と欲望をエスカレートさせている。(幼児が危険な火器を弄んでるようだ)「一仏乗」こそ人類が志求すべき最高の境涯を教えている「三乗(声聞、縁覚、菩薩)は方便、一乗こそ真実」
・「一大事因縁」~「開示悟入の四仏知見」
二乗作仏の意義 ~ 十界互具、二乗の修行の理想は、「灰身滅智」
救うべき人々を見捨ててしまっては、もはや仏法ではない。またそれでは自分も救われないからです。二乗作仏ならば仏ですら仏でなりえなくなる。仏の中の二乗界が成仏しないからです。法華経にはその十界の因果の互具が説かれている。
“法華経とは別の事無し、十界の因果は爾善の経に明かす今は十界の因果互具をおきてたる計りなり”(P、401)一代聖教大意)
他の衆生の事はあくまでも「他人事」であった。それが「十界互具」になって“人の成仏は自分の成仏、人の不成仏は自分の不成仏”
・生命観、世界観の大変革~他人だけが不幸」自分だけが幸福も有り得ない。
人を差別することは、自分を差別することに為る。
人を尊敬することは、自分の生命を高めることに為る。
・“権教は不平等の経なり、法華経は平等の経なり”(P、816御講聞書)
南無妙法蓮華経の大乗平等法の広宣流布の時なり云々
・薬草喩品第五 ~ 汝たちの修行するところは菩薩の道である
・五百弟子授記品第八~多くの菩薩たちが声聞、縁覚となって、多くの衆生を教化する。彼らは内に菩薩の行を秘め、外には声聞であるという。
・「一仏乗」とは師弟不二の道 ~ 師弟から師弟不二へ
師弟の境涯の違いは致し方ないとしても、師と弟子の心が、願い、哲学が仏と同じ道に入り、根本の一念において目的を同じくする同志となり、不二の道を歩む先輩と後輩の関係になる。
師弟の道を歩むのは易しく、「師弟不二」の道を貫くことの困難さ。
・「諸法実相」の心 ~ 現実変革への限りなき挑戦
・「撰時抄」(P、259)“前代未聞の大闘争・一閻浮提に起こるべし”とある
*池田先生の指導
第二次世界大戦を以て前代未聞の大闘争としょう、どんなことがあっても第三次大戦などもっての外だ。
法華経を信ずる人のあるべき姿として、「善は善、悪は悪」として正しいことを説かなければならない。それでこそ“実相と相違背せじ”となる。
元々、あらゆり機構は人類福祉のため考えられ採用されたものであったはずである。ところが反対機能の場となった理由は一国こぞって「正法」に反対し之を説く者を迫害しこぞって「誹謗正法」の罪を作っているところにある。「立正安国」の教えに背いている。
・「諸法実相」とは現実を変革する哲理です。個人においては「一生成仏」
社会においては「立正安国」の実現。“法華経を信ずる心強きを名ずけて仏界となす”
・中央の「南無妙法蓮華経、日蓮」は実相を顕わし、左右の「十界」は諸法
御本尊は諸法実相を写し出す鏡です。“以信代慧”の法門で悟る、智慧です。
・かけがえのない個々の生命
個の中に全体が含まれる。宇宙生命自体も「十界」を具している。
「一念三千」の信仰とは、自分一人いれば全てを変えてみせるという大確信ともいえる。“一人立つ信心”です。一人の中に学会という全体がある。
以上 要旨記述 2015/10/03
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