柳田国男と牧口常三郎

村尾行一 著

第一章、[虚像の「常民」と実存の「生活者」]

1、柳田国男の「常民」とは

1、 普通の百姓 ~ 中農クラスの農民

2、 大家、親方

3、 (漂泊者)諸職、諸道~道心坊、鍛冶屋、桶屋、

要するに「常民」とは、無知蒙昧の徒のことで読み書きを日常にしない輩。

読み書きを一般化したのは、明治初年の小学校令以後といっても少しも過言ではない。とまで言っているが江戸幕府が軟文学の弾圧を行ったのは「民、百姓」乃至「百姓、町人」がそれらを読んで楽しんでいたからではないか。

「春本」とその挿絵、浮世絵、好色川柳等は江戸文学として存在した。

日本における文字の普及は14世紀~15世紀平安期から鎌倉期の宗教の布教と関係しているとする捉え方がある。

  • 農民の自給経済説 ②稲作栽培を日本人の特徴 ③職人を漂泊民

柳田氏は農政学を専攻した(帝大、農商務省)学者で内閣記録課という古文書に便利なところに在籍しているからには、この言動は不思議である。

「遠野物語」「後狩詞記」は常民文学ではなく「柳田文学」としての作文。 “寒戸の婆”の話は、「常民伝承」を意識した偽作ではないだろうか。

闘う農民組合の批判に至っては、当時の東北地方における昭和飢饉(昭和6、7、9年)への無関心や大逆事件の影が全く見当たらないのが疑問。

2、牧口常三郎「実存の生活者」

徳育は知育の一環と捉え、経済的利育を美育とともに知育としている。

私的生活も充分に満たされない身で、公共的生活に奔走するごときは、生存の最小限度の欲望に満足できる境地に達した偉人においてのみ許されるところであって、他は概ね社会の寄生虫とならざるを得ない。

なぜ真理は価値ではないのか?

真理とは不変なり。創造することが出来ない。何故かなら、人間の生命の伸縮に関係ない性質のものだから価値を生じない。

価値とは生命に対する関係概念を基礎として存在する。しかも人によってのみ創造され成立する。

・マルクスを超えた牧口の価値論

マルクスの資本論 ~ 商品とは他人のための使用価値

マルクスの価値観では(農業、工業の生産労働観)を重視して、サービスを無視した結果第三次産業(商業等)が反サービス化し旧態然たる儘に現代社会主義諸国の生産を質量ともに低劣化させてきた。

・牧口は、幸福の価値と美の価値(創造)を結び付けて最も大切な要素に

健康(癒し)を強調する。「慰安」を求める要素を加えた。

第二章、「日本は稲作の国」か?

1、稲と日本人 「大和民族」は水田の民か

弥生文化イコール稲作文化ではない~ 縄文時代の晩期に朝鮮半島南部から北部九州に伝来したとされる。

2、牧口の「地人相関」論における栽培植物

*照葉樹林文化とは、   中尾佐助(民俗学者)が名付親

東アジア(中央部)を東西に横切る東南アジア、中国、朝鮮、日本等の温暖帯

焼畑農耕(雑穀、根菜型)地域。    (1,500m~2,000m地帯)

[食文化、物質文化]

ワラビ、クズ、ヒガン花、野生のイモ類、アク抜き技法、カイコ(マユ)から絹糸をつくる技法、ウルシの樹液で漆器の技法、柑橘類、シソ、麹を発酵させる酒の醸造技法、等々。

尚、サトイモ、ナガイモ、アワ、ヒエ、ソバ、オカボ(陸稲)雑穀類。

大豆発酵食品(ミソ、納豆)、こんにゃく、鮒ずし(滋賀)、ナレずし(和歌山)

モチ文化(チマキ、オコワ)儀礼、接客のハレの食材

・柱や梁で屋根を支え壁は柱の間に吊り下げるハンギング・ウオール(吊り壁)の家屋構造

・(壁で重量を支えるレンガ造りや校倉造りとは異なる技法)

・伝統的民俗行事、慣行、習俗~正月のサトイモ、8月15夜の月、等等。

・山の神信仰、羽衣伝説、花咲じじい、サルカニ合戦、昔話

ナラ林文化(ブナ林文化) ~ 縄文文化

漁撈文化(サケ、マス)、堅果(クリ、クルミ、トチ、ドングリ)採集文化

狩猟文化(トナカイ、シカ、クマ、海獣)等の生業生活中心。

アク抜き、魚油、獣脂、竪穴住居(定着村落)ブタ飼育、カブ、ネギ、ゴボウ

ブナ林文化

サケ、マス文化、牛馬飼育(施肥) ~ 東北地方が牛馬の生産

コナラ、クヌギ、カシワ、アカマツ落葉広葉樹(堆肥用)薪炭(タタラ製鉄)

稲作と養蚕、製岸の発達(近代化)酪農と高原野菜~リゾート化(スキー場等)

*地方学を否定する柳田

ナラ林(ブナ林)文化と照葉樹林文化との相違は、日本の地域的な差異として多元的、多様性を持って現れている。だから、柳田流の一国民俗学では到底解明できない。

*柳田の天皇信仰・実学なき農業論

天皇潜幸の諸国口碑が、ことごとく平家谷系統の移住譚から発生したものでないのはもちろんである。宮中のお祭りと村々のお宮のお祭りとは似ている。~ 日本は家族の延長が国家になっているという心持が一番はっきりします。(民俗学の話)もはやこれは天皇信仰のイデオロギーである。

それに比べ、天照大神(天皇家の祖神)の神札を拒否し、「天皇陛下も凡夫である」と公言して不敬罪に問われた牧口とはまるで人種が異なる。

尚、畠の多い高地農では、雨乞いばかりする。低地の水田専門農は、照り込みを願っている。(日本農村史)ことは全く逆であり、柳田は農業の現場を知らないのではないか。

我が国の「民俗学」は柳田国男以来、究極的には常民の精神世界の理解を主要な関心としてきたと思われる。日本人の世界観の理解と言い換えてもよいであろう。 ~ そのため、民間信仰の研究であり、口承文芸、人生儀礼の研究があったわけである。その意味からして、生業としての農業そのものの理解よりも、農業を営む人たちに関心の目が奪われていた。

よって生業としての農業についての知識に乏しい。

第三章 なぜ「山村」を想うのか?

1、柳田と山村 ~「山人」幻想

南方熊楠の柳田批判 ~ 孤立村説の否定

2、牧口の山林効用論 

森の文明  ~ 家屋、橋梁、船、鉄道の枕木、電柱、薪炭

「森は魚の恋人」「森が消えれば海も死ぬ」

森林の自己施肥機能  山林の水源涵養機能  山の美学

3、山と文化・文明 ; 「山は文明の源泉」

山国と平原国の差異

4、島国根性を棄て海国気風に!

海は天下の公道

「海国気風」とは!

17世紀のポルトガル、18世紀のオランダ及びイギリスに見る海国民の進取的気象は、島国の保守的気象に対し、この快活さに代表される。だから、今の日本人がまま思い込みがちな「島国根性」を宿命的に持つのではなく、要は「パラダムチェンジ」なのである。

第四章 二人の「郷土」を問う意識の違い

1、柳田はなぜ郷土を問うのか?

2、“陰画”としての「漂泊民」

「漂泊民論」非農耕民は皆漂泊民としたが南北朝時代以降は、鋳物師(職人)のように漂泊から定住へと移行した。その典型が鉄砲である。種子島という離島で鉄砲が製造できたのは、優秀な技術者の地方定住は日本全国に見られ、城下町には多くの職人が生活していた。

地方市の賑わい~鍛冶、鋳物師、金銀銅の細工師、炭焼、木こり、轆轤師、塗り師、蒔絵師、紙漉き、笠張、蓑売、廻船人、海女人、商人、酒売、壁塗、猟師、狩人、猿楽、田楽、獅子舞、傀儡師、琵琶法師、傾城、白拍子、遊女、薬師、陰陽師、絵師、仏師、縫物師、武芸、相撲取、僧侶、行者、儒者、学士、等実に多種多様な人間がいたものである。

3、牧口にとっての「郷土」

4、牧口にとっての郷土科の必要性

終章

* 二人に対する対照的な国家の処遇

  日本国家は、柳田を文化勲章を以て遇し、牧口を獄死を以て遇した。

*その弟子

  柳田と早川孝太郎、今和次郎(のちに破門)

牧口先生  殉教精神・戸田先生  生命尊重の原水爆禁止宣言

池田先生  SGIによるイスラムとの対話路線他(世界広宣流布)

「人道的競争形式の時代」の到来なり。

以上 2016/03/10

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