・「三世を識るを仏という」~“永遠の生命”“生命の尊厳性”を表わす。
“人はなぜ老いて死ぬんでしょうか”~答えは簡単。(生まれてきたからです)
生がなければ老死はない。四苦(生老病死)・八苦の苦しみ(誰人も避けられぬ)
では「生」は何によるものか。仏法では「無明」が根本原因と説く。無明
とは、生命の永遠性、真実に対する無智、すなわち無明によるさまざまな(無知の)流転がやがて老死に至るわけですが、そこで「無我」の教えが説かれ、この“我の執着”を断つために出家僧等の歴劫修行なるものが必要とされる由来となる。
しかし法華経において仏は、いかに不幸を生み出す煩悩を幸福を生み出す智慧へと転換させるかが大切であると説く。
“心こそ大切なれ”とは、教主釈尊の教え。
「蔵の財より身の財、身の財より心の財第一なり」
“人の振る舞い”の大切さ。菩薩の行(仏法実践の意義)
・“善からんは不思議、悪からんを一定と思え”
人間生命に内在する、善悪両面を併せ持つ「十界」の生命。
生命の浄化、仏の慈悲(成仏)=人間革命・生命尊厳)~ 仏法 (内道)
生命の悪化、魔の働き(無慈悲=自分だけ・今だけ) ~ 生命軽視(外道)
・遺族からも見放されたような方だからこそ、放っておけないと世話を買って出る菩薩の命、実践が尊いのです。(なかなか出来ない事です)
・“死んで仏に成る”「往生する」
といった類の子供だましのような幼稚な教えとは全く異なる捉え方、
又は人間の外側に唯一絶対神を立てて崇め奉るようにと自然をも支配しようする宇宙生命軽視の西洋思想のダマしのテクニック。
*最早、創価学会を単なる新興宗教の類と捉えるようでは見当はずれも甚だしい。「木を見て森を見ず」の譬え、心してゆきたい。
以上 2015/12/14
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