池田先生の指導 恩師戸田先生を語る

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恩師戸田先生を語る

創価学会の目的は、民衆を幸福にする以外のなにものでもない。これ真の民主勢力であり、平和勢力であり、「仏の軍勢」である。

この進出を食い止めようとする者は、いかにうまいことを言おうがその実態は、反民主主義勢力であり、保守反動であり、「魔軍」である。

「悪は善の敵となり善は悪に攻撃される」これは永遠に仕方のないことである。

~ 善をなす勇気がなければ悪を助長し、結局は悪に通じよう。

人権を守る勇気ある行動には、人間性の極致ともいうべき崇高な輝きがある。

反対に他人の人権を無視し蹂躙しながら自らの勝利を築かんとすることほど

非人間的なものはない。いかなる世界であれ、勝者が弱者の権利を奪う権利などない。 ~ 「悪と戦い、勝ってこそ善は証明される。」

この世で、最も忌むべきことは、誤ったことを正しいと信ずることだ。

正邪、善悪を不問に付して、いかにも平然としている。

ここに救いがたい不幸の根源があるのだ。仏法の本義をゆがめ、その精神をないがしろにする人物が内部にいる時こそ最も恐れなければならない。

せっかく大聖人の法門を聞きながら、「自分は難を避け、苦労を避け、悪口を言われることを避けていい子になって学会を利用している。」

そんな人間は「泥棒信心」であると戸田先生は厳しく言われたのである。

日蓮大聖人は全人類の未来のために妥協なく戦われました。戦ったからこそ弾圧され佐渡に流罪されたのです。

ところが、その姿を見て弟子たちが「師匠のやり方はまずい」あんなやり方だから迫害されるのだ、私たちはもっとうまく柔らかに法華経を弘めよう、こういって批判して、牧口先生の時も同じでありました。

広宣流布はどうなったらできるか。予言して置く、それは三類の強敵が現れた時にできるのです。とりわけ「僭聖増上慢」が出た時が広宣流布する時です。

「僭聖増上慢」は怖い、しかしこれが出れば私は嬉しく想う。皆さんも嬉しいと思ってもらいたい。その時こそ敢然と戦おうではないか。

師弟不二について

仏法の究極は、師弟不二であるといっても過言ではない。師は原理を示し、弟子は師匠の教えを微塵も誤りなく実践し、応用化して師匠の理想を身を以て実現していくのである。ゆえに、師匠と一緒に、本当に成長し、それぞれが第一線で活躍していかなければ意味がない。ところが、何でも一緒についていけばいいのだ。それが師弟不二なのだからといったイエスマンの姿であっては本当の師弟不二とは言えない。

師は弟子を自分以上にしなくては師ではない。弟子も師と断絶があってはならない。一人の人間に盲目的に追従する事ではまったくない。

師弟の関係は、あたかも師匠は針で弟子は糸である。針は着物を縫う時には先頭を切っていく、最後に針は不用になり、後に残った糸が価値である。

師も弟子もともに偉大にして崇高なる使命に生きるとき、道はおのずから師弟不二となる。

ソクラテスは、青年との対話に終始し、その著作は残さなかった。その弟子プラトンがその思想を後世に伝えたのである。 ~  すべて後継者のいかんで思潮の興廃は決まるといって良い。

以上 2013/08/29

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