池田大作 著
第1回、生死一大事の法
師弟不二の大闘争で全民衆に真の幸福を!
・「断見」、「常見」を超える仏法の智慧
死ねば無いとする見解(断見)と不滅の霊魂を説く見解(常見)
いずれも偏った見解と釈尊は退け、それを離れたところに真実があると説く。
法華経では、仏の出現目的を「一大事因縁」即ち万人の成仏にありとする。
その意味で、「断見」は、死への恐れや不安をもたらし、「常見」は、わが身を惜しむ生き方の一つとなる。
・「妙法蓮華経の生死」
我が身命を惜しまない生き方、(佐渡御書を通し)、仏法のために身を惜しまない生き方、行動を担い示す、「師」としての「上行菩薩」 “成仏の血脈”を伝えるこの師との「師弟不二の信心」によってのみ「生死一大事血脈」が成り立つ。
・久遠実成の釈尊と皆成仏道の法と我等衆生の三つに全く(差別がない)と信じて妙法蓮華経と唱える信心においてのみ「生死一大事血脈」となる。
・広宣流布の大願と師弟の関係
法体の広宣流布の師匠は末法の御本仏日蓮大聖人、この日蓮仏法を世界に弘めてきたのが創価学会(仏意仏勅の和合僧団)であり、この精神を不惜身命で実践されたのが牧口初代会長以下三代の会長です。
・血脈の本義=信心の血脈~本抄の結び
“信心の血脈なくんば、法華経を持つとも無益なり”
・「妙は死、法は生」なり~是くの如く生死も唯妙法蓮華経の生死なり、釈迦、多宝の仏も生死の二法なり、然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法と我等衆生の三つ全く差別がない~
・所詮、「臨終只今」にありと解りて信心を致して~
・過去の生死、現在の生死、未来の生死、三世の生死に法華経を離れ切れざるを、法華の血脈相承とは云うなり~
・総じて、日蓮が弟子檀那等、自他彼此の心なく水魚の思いをなして、異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉るところを生死一大事の血脈とは云うなり
・日本国の一切衆生に法華経を信ぜ占めて仏に成る血脈を継がしめんとするに
・過去の宿縁追い来たって今度日蓮が弟子と成り給うか~
「在在諸仏土、常与師倶生」よも虚言候はじ~
・只南無妙法蓮華経・釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給え~
・相構え、相構えて強盛の大信力を致して~南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給え、「生死一大事の血脈」此れより外に全く求ることなかれ「煩悩即菩提」「生死即涅槃」とは是なり、信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり。
第2回、真実の血脈
妙法の智水を流れ通わし全人類の「生死」の苦から救う
対告衆;最蓮房(元、天台宗の学僧、佐渡にて帰依)
・妙法蓮華経こそ「生死一大事血脈」の大法
・「法華経の血脈」の正統性
虚空会の儀式(万人の成仏)・上行菩薩への付属
・釈迦、多宝、上行が担う役割
釈迦仏;「法の正しさ」、「適切さ」・多宝仏;法の普遍性(過去仏)・上行菩薩=根本法を所持し顕わし弘める「主体的実践者」
色相荘厳の菩薩では、凡夫の仏性を触発し、成仏させていくというリーダーにはなり得ないという事です。上記の三要素が揃った虚空会の儀式における血脈相承こそが、「生死一大事血脈」となるのです。
・「衆生本有の妙理」を目覚めさせる、地涌の菩薩の使命(信心の血脈)
・妙法を顕わす「心の力」とは~上行菩薩(智慧の力)・地涌の菩薩(信の力)
・妙法を弘める「実践の力」~「志念堅固」「大忍辱力」「巧於難問答」
「救われる人から救う人へ」~創価学会員
この「心の力・実践の力」を引き出せるのは、信心しかない。
第3回、本有の生死
「生も歓喜・死も歓喜」で真の自由と希望を我が生命に
・生と死は根源の妙法に具わるリズム
・大海原と波のたとえ
海中のうねりが海面に表れて波となり、また海中に没して見えないうねりとなる。生として現れた生命の波は死によって妙法の海に溶け込み、見えないながらもうねりを持続し、何らかの機縁に応じてまた新しい生命の波として出現する。・晴れ晴れと仲の良い久遠元初の世界・「因果具時」の蓮華の法
*因果の法則
1、因果応報の次元 ~ 善因楽果・悪因苦果
2、因果具時の次元(蓮華の法)~ 仏界、仏性を開き、成仏の果を得る。
・宇宙は本来慈悲の行業
第4回、妙法蓮華経の生死
全人類の仏界で包む慈悲と希望の生死観
・「生死の二法」 ~ 生死の無限の可能性を示す。(妙法)
・「当体蓮華」 ~ 生命変革の可能性を示す。因果具時・十界互具
・一念の転換を説く因果具時(依正不二)
・妙法蓮華経の生死 ~ 万物の生死、変化
・釈迦・多宝の二仏も生死の二法
釈迦仏とは教主釈尊~(方便現涅槃);多宝仏とは古仏~(法華経を証明)
・「仏界の生死」
大宇宙に溶け込んだ死後の生命は大海の中のうねりのようなものであり、大宇宙の生死のリズムに合わせて宇宙に遍満しながら動いている。
私達個々の生命は、大宇宙という大海から生まれた「波頭」に例えるならば、波が起こることが生命の生、又、大海の一つとなれば生命の死にあたります。
・妙法蓮華経の生死にあっては、死は恐れる必要はありません、「仏界の死」だからです。仏と同じ振舞い(人を敬い、万人を救済する振舞い)を無上の喜びとして生き抜いていくのです。
第5回、妙法蓮華経の受持
民衆救済の誓願に生き、永遠に「仏界の生死」を!
・迷いの生死から仏界の生死へ ~ 安穏の大境涯を(万人の成仏)
・生死一大事血脈のための信心の要件
久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生の三つ全く差別なし
- 「仏界の生死」を体現した久遠実成の釈尊
- 「仏界の生死」に生きぬくことを教えた皆成仏道の法華経
- 「一体・無差別」であると信解し、「仏界の生死」に生きる衆生
「法華経を持つ」真実の生き方
第6回、臨終只今・臨終正念
今が三世永遠の勝利を築く
一生成仏を人生の目的とし人生の根本的な希望を持つことです。何の悔いもなく、自身の人生を深く肯定し、大満足で臨終を迎えられるかどうか。逆に後悔と自責の念で終幕を迎えてしまうのか。次の生への輝かしい出発に際し、「臨終只今」の人は、「生も歓喜、死も歓喜」
・心の財を築く重要性
広宣流布に戦い、鍛え抜かれた生命が破壊されることは断じてありません。
「解りて」とは「生命奥底の自覚」~障魔を打ち破る
第7回、生涯不退の信心
今世の信心の確立で、三世永遠の幸福の血脈を
・三世の生死~仏法の三世の因果は現在が中心。不退転の信心が三世を決める。
・信仰の深化とは、祈りの深化~信仰者のライフスタイル
第8回、異体同心
広宣流布大願の絆で結ばれた和合僧に真の血脈が通う。
1、一生成仏を確信する信心
2、臨終只今にありとの覚悟
3、生涯持続の信心
・「万人成仏」と「世界平和」実現が広宣流布
・「和合僧と師弟」 ~ 異体同心の「和合僧」
“総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思いをなして異体同心にして、南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事血脈とはいうなり”
・自己中心の獅子身中の虫(名聞名利、我執)
・異体とは、個性、特質、立場等が異なること
・同心とは、目的観、価値観が同じこと
- 広布大願 ②同志を尊敬する心 ③師弟不二の信心
第9回、師弟不二
広布大願に生きぬく師弟の絆は三世永遠
・広布大願に不惜身命が不可欠
・難を乗り越えて法華経を受持する真金の人
・師弟は三世の宿縁 ~ 「在在諸仏土、賞与師倶生」
第10回、本化地涌の利益
生命本有の妙法の力で、万人を救う真の菩薩行
・実践こそ仏法の生命線
・「五大の力用」によって、地涌の利益を示す
「地、水、火、風、空」の「五大」の力用は、そのまま「妙法蓮華経の五字」の力用であり、さらに地涌の菩薩の利益であると明言されている。
宇宙それ自体が持っている「慈悲」の働き。地涌の菩薩は妙法の本有の力用もって衆生を利益する菩薩ゆえに、御義口伝には、「地水火風の四大」の力用として、四菩薩「上行=火大」「浄行=水大」「無辺行=風大」「安立行=地大」
四菩薩の行は「生老病死」の四苦を超えて「常楽我浄」の四徳を開く地涌の菩薩の実践を表わしていると拝する。要するに、「煩悩即菩提・生死即涅槃」という衆生自身における生命の変革の働きを表わしている。
・「菩薩仏」の境涯
「法性の淵底、玄宗の極地」「菩薩仏」~内証において妙法を悟った仏界の生命
・末法の救済は、上からの即ち天空から降り立つ超越仏による恩寵では不可能下からの即ち大地の底から湧現してきた地涌の菩薩を目の当たりにしてこそ、無量の力を知ることが出来るのです。
・牧口先生は、大聖人仏法の本義は「菩薩行」であることを見出し、 当時の宗門にはない菩薩行を、現実に生きる人間の姿を通す「現証」によってしか証明できないと卓見され御自身が自ら体現なされたのです。
“地涌の菩薩の出現に非ずんば、唱へがたき題目なり”
・この実践を貫いてきた教団は唯一、創価学会(SGI)だけです。
第11回、上行菩薩
万人の内なる力」を開く民衆勝利の究極の先駆者
・釈迦、多宝から上行への付嘱の意義 ~ 本果妙の仏から本因妙の仏へ
・「本果妙」の仏や教えは、結局は「比喩」としての意味しかない。
白米一俵御書」で仏の心が“澄んでいたり”、“清らか”なのは、あたかも月や花のようなものでいわば「比喩」のごとき教えである。それに対して
・「本因妙」とは、現実の人間に即して究極の成仏の因果を説く教えになり、
現実の人間として出現する菩薩なのです。(もっと人間を知れという事です)
・「因果倶時の妙法」こそが真実の「仏種」
法華経の理想であり、仏の誓願である「万人成仏」実現のためにはどうしても「本果妙から本因妙」への大転換を必要としたのである。
・本因妙の仏法の核心(魔性との闘争) ~ 教主の交代と教法の転換
人間(日蓮)が、あらゆる魔性に勝利し「日蓮が如く」生きる事で弟子が力強よい生き方を貫く事を教えられた「師弟の宗教」「人間のための宗教」
誰もが実践できる「唱題行」による仏界涌現の道を開き「無明」を破る。
第12回、「煩悩即菩提・生死即涅槃」
迷いと苦悩の我が身に確信と歓喜と希望を開け
・自身が変わる ~ 人間革命から出発。血脈を受け継ぐ信心の要諦
(自身の生命変革が血脈の根幹)
・即身成仏の境涯
「相対種」の因果と「変毒為薬」の妙法~「悪は悪を生む」「善は善を生む」
始聞仏乗義(弟子富木常忍に与えた「相対種」という考え方)
「相対種」とは、結果(成仏)とは反対のものが(煩悩など)成仏の原因
(種子)になるという意味。
悪と善を区別する考え方では、悪世の中で生きる凡夫は結局のところ、希望を失わざるを得ないのが実情です。
通途の仏教が現実から遊離し、修行僧等の一種のエリート主義に陥ったのは善と悪を別物として捉え、濁世に生きる人々の「希望の源泉」とはなり得なかったからではないでしょうか。
・悪が善に転換するという「変毒為薬」の表現
「三道即三徳」~煩悩、業、苦の「三道」が法身、般若、解脱の「三徳」へ
第13回、信心の血脈
民衆のために、不自借身命で闘う「師弟不二」の実践に成仏の血脈
・信心の血脈の全体像
- この一生で「即身成仏」できると信じていく事
- 臨終只今の覚悟で、悔いなき信心「臨終正念」
- 「異体同心」(師弟不二)の信心
・生命は永遠か?~有限か、いかなる状態で存続するのか。(仏法の生死観)
・阿仏房の師を求める信心から学ぶ。
・南条兵衛七郎への御指南 ~ 死に直面した門下への成仏を示された御指南
宗教の五網に即して、法華経の行者の精神と実践を教示されている。
病苦、死苦に心揺らぎ、過去の信仰の名残が現れて、信心に「二心」があるようなことであっては、どうなっても知らないよ。と
・最高の正しい人生に生きる誇りを胸に !!
以上 要旨記述 2015/08/22
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