川田洋一S、59年10月
妙法尼御前御返事
”されば先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし。”
現代人は、六道輪廻の苦楽に埋没して死の事実から眼をそらし、臨終のことを忘れようと努めて
いるかのようである。
人間は生きてきたようにしか死ねないものである。死して後人生を反映して苦しみ、痛みを味わ
うようである。”この世からあの世”への「通過儀礼」なるものがあるとすれば、それは誰人と言え
ど避けて通れません。
外科医、河野博臣博士の試み、~ ユイグ流の夢分析による精神療法。
日女御前御返事(P、1243) ~ ”仏法は海の如し、唯、信のみ能く入る。”
死に臨んで、信の善心が起きれば、煩悩が浄化され善心が湧き起こる。苦しみが和らぎ、生命
全体に慈悲と智慧のエネルギーが充満する。
「ガン」の心理療法の第一人者 サイモントン博士の開発
怨みを克服するイメージ療法(仏法で言う慈悲に転換しようとする試み。あくまでもイメージ)
始聞仏乗義(P、982)
”父母の精血、赤白二 和合して一身となる。悪の根本不浄の源なり。”
此れ苦果の依身は其の根本を探り見れば、貧、瞋、 の三毒より出なり。この此の煩悩苦果の
二道に依って業を構う。此の業道即ち是結縛なり。例えばかごに入れる鳥の如し。如何ぞ此
の三道を以って三仏因と称するや~答う~我この事を弁えず、但し付法蔵の第13天台大師
の高祖竜樹菩薩、妙法の妙の一字を釈して、たとえば大薬師の能く毒をもって薬となすが如し。
毒というは何ものぞ。煩悩、業、苦の(三道)。薬というは何物ぞ(法身)。毒をもって薬と為すと
は何物ぞ。”三道変じて三徳となすのみ”
日寛上人の 「臨終用心抄」
四有 ~ 本有、死有、中有、生有、のプロセスを経る。
生死一大事血脈抄(P、1338)
「相構えて、相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経 臨終正念と祈念し給へ」
*正念を乱すものとして
1、断末魔の苦しみ 2、魔の所為、3、妻子眷属の嘆きの声や財宝等への執着。臨終の場
で今度は、自らを責めることと為る。~生涯における煩悩悪業が断末魔の苦を招くことに
なるのである。其の苦しみは、骨と肉とが離るるなり。
三世諸仏総勘文抄(P、569)
「実に己心と仏心と一心なりと悟れば臨終を狂乱させるような悪業も有らず、生死に留まるべき
妄念も有らず」 ~ 日常の唱題による仏界の大生命の湧現
光日上人御返事(P、932)四大(地、水、、火、風)の解体の仕方に違いがある。
悪道に堕ちる生命と、善趣に向かう生命。
悪人は風と火が先ず去り、地と水が留まるがゆえに、人死して重たきは地獄に堕ちる相なり。
善人は地と水とが先ず去り、風と火留まり重きものは去りぬ。軽きものが留まるゆえに軽し人天に
生まれる相なり。臨終に際して重病等の場合は正念を失ってしまう事がある。このような悪条件
が重なったり、突発の出来事が起きる場合も考えられよう。しかし題目の大善業は謗法を犯さ
ぬ限り、いかなる悪環境に遭遇しても必ず常寂光土に赴く事が出来るのである。
魔の本体(元本の無明)は元本の法性によって対治する以外にない。唱題し抜いていけば
御本尊様の仏力、法力により魔の創りだす幻覚であればたちまちの内に消滅する。
以上 要旨記述 14/11/14
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