法華経の智慧第六巻

御書関連書籍等

池田大作 著

薬王菩薩本事品 第二十三

命を燃やさん、報恩のために!! “真の健康とは、「戦う菩薩」の生命”

・本化と迹化

・地涌の菩薩への別付属(神力品)、総付属(属累品)によって、釈尊滅後の人類救済の「バトンタッチ」の儀式は終了した。ところが、猶重ねて迹化・

他方の菩薩へのダメ押しのための六品

薬王品、妙音菩薩品、観世音菩薩普門品、陀羅尼品、妙荘厳王本事品、普賢菩薩勧発品の六品。これらは、私達本化の菩薩の「社会面」の姿である。

本化~迹化・迹化~本化という往復作業が実態

・師匠の恩に報いるのだ!~正法のために身を捧げる信心

*戸田先生の言葉

革命には弾圧も非難もつきものだ、なにがあっても恐れるな。命を賭ければ、なにも怖いものはなくなるのだ。牧口先生の殉教は、薬王の供養なのだ。

・魔につけ入らせるな!

薬王とは~広宣流布の地ならしの働き(本化の菩薩を守り切っていく使命)

・感謝と確信に薬王の生命は発動~我が生命に医王・薬王の力が!

*戸田先生の言葉

「人間には、胃がん、胃病、肺病になる体質を持っているのです。同様に病気を治す力も持っているのです。丁度坂を上る人が必ず坂を下りるようなものです。本当の決意を以て、御本尊に題目をあげるんです、御本尊にすがりつくのです。それを御本尊に御奉公もせずに、病気を治せというのは横着すぎる。仏には治してやらねばならない義務などは有りません~少しでもよくなったら感謝する事です。まるで御本尊に貸でもあるかのように考えているのではないですか。早く治してくださいと、御奉公もしないで要求ばかりしていると御本尊が愛想を尽かしますよ。」

・戒律は健康法ともいえる。

生命が健康であってこそ、永遠の生命を悟る素地が出来る。要は「死」の時に大宇宙のどこに、「何界」に溶け込んでいくかです。

・三世の生命から見るならば、不死の境地すなわち仏界・信心と云うものを、今世でどこまで確立できたかそれが真に長寿であったか否かの尺度と言える。

・盤石な日本の創価学会しか知らない私は、“草創の苦労”を体験できる喜びのほうが大きい。

妙音菩薩品 第二十四

社会に希望の大音声を

・妙音とは妙法根本の大文化運動 「光と音の菩薩」 「文化は境涯の表現」

・哀音と妙音の戦い

「人々を鋳型にはめて、ロボットのような人間をつくるのではなく、縛られた生命を解放するのが仏法です。

・牧口先生は、宗教が宗教の世界に閉じこもるのではなく、この現世を価値あるものに変革しなければならないと叫んで殉教されたのです。

・宇宙に包まれている自分が宇宙を包み返していく、それが妙音の勤行、唱題です。宇宙と自分の間に見えない橋をかける。

観世音菩薩普門品 第二十五(上)

指導者よ、民衆の声を聞け!!

・世音を観ずる慈愛と智慧を

・妙音菩薩が「東方」観音菩薩は「西方」

・妙音が声を発するのに対して、観音は声を聞く、両方でセット

「本門では;音声に関する名前が多い」~妙音品、妙荘厳王品

「迹門では;光に関する名前が多い」~日月燈明仏(序品)華光如来(譬喩品)光明如来(授記品)普明如来(五百弟子授記品)具足千万光相如来(勘事品)

薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり(P、1,049法蓮抄)

「今末法に入って日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉ることは、観音の利益より天地雲泥せり」(P、御義口伝下、観音妙の事)

*戸田先生の指導

油断は、「慢心」~信心しているからこそ、用心して無事故にするんだという自覚がなければ危険です。御本尊に御奉公もしないで、功徳だけを願うのは横着だ。「解脱」について、いろいろな条件に縛られ拘束された世界で、偉大な生命力を把握するならば、苦縛とせず楽しみとすることが出来る。

(親子、兄弟、友達関係、住居、交際、税金等における条件等)

「難来るを以て安楽と意得可きなり」(P、750御義口伝上安楽行品)

・マイナス情報を聞く ~ 聞くことが修行

「貞観政要」中国唐の太宗皇帝、(彼と臣下との問答)

・責任とは、応答する事~民衆の叫びほど、正しいものはない。

観世菩薩普門品 下

広宣流布こそ究極の人生 ~ 福智共に無量の嬉しさ

「正義の政治を正義の経済」を

・観音信仰とマリア信仰の共通点 ~ 優しさ、慈愛

・現世安穏・後生善処  現世利益も「世界宗教」の条件

・祈りは人間の崇高な証し

「現世利益批判」

自分の利益のために神に祈ったりするのはおかしいといった主張。

人間生活の価値創造に関わらない宗教は、無益の宗教であり、人を救い世を救うという現実の闘争を避けてそのほかに「聖」などといった別次元の高尚な価値があるかのようにいうのは偽善です。

・日本国憲法の根底には、ソフトパワーで平和を創造していこうという理想がある。ところが、一方で抵抗精神がなくなり、“長いものには巻かれよ”という雰囲気になっている。マスコミも現状追従の卑劣な国民性がつくずく情けなくなります。

・日本の宗教は、権力の奴隷 ~ 福沢諭吉

仏教界もはじめから権力者の庇護を頼み、権力者にすり寄り権力の余光を借りようとし、甚だしいのは政府から爵位を(貴族の位)貰って喜んでいる僧侶がいる。権力者と一体化して権力者を助けるのではなく、政治から身を引いて権力者を助けるのでもない「第三の道」それが日蓮大聖人の立正安国

・権力の奴隷にならない。これには弾圧があり、難がある。

「正義の経済論」拝金主義は強者を傲慢にし、弱者を卑屈にし両者の魂を空っぽにする。社会の根底の価値観が、変わらないままで未だに経済至上主義の夢を追っているとしたら、こんな不毛な事はありません。

「経世済民」という経済の本義に叶う道ではない。

陀羅尼品 第二十六

広宣流布の人を守ります!

・信心の炎を燃やせ ~ 守護の功徳の莫大を説く

・法華経こそが無量の諸仏を生んだ根源の法だからです。就中文底の南無妙法蓮華経の一句こそ一切諸仏を生んだ根源です。

・戸田先生は、社会が登り坂の時ならだれでもうまくいく。下り坂の時こそ勝負です。その人の本当の信心が試される。焦らず、忍耐強く希望の突破口を開いて貰いたい。この尊い自分の使命を自覚できるか否か、

それで人生は180度変わる。

「悩乱せば,頭破れて七分に作る」(P、法華経645)罰論です。自分が法にさからった結果です。法に則って生きれば功徳があるのと裏腹です。

「有供養者福過・十号」(供養する事有らんものは福十号に過ぐ)

「豁然と仏の力が湧く」

・広宣流布のために学会を守るのか、自分のために学会を利用するのか。根本的な違いがある。いざという時に自分中心か、師匠中心かわかってしまう。

増上慢の人間は、自分中心に師匠を見ている。高い山を下から見ているようなもので、頂上の事がわかるわけがない、それをわかったつもりでいる。

中途半端に仏法を知ったかぶりしているような増上慢が一番危ない。

一人立って、私が必ず広宣流布を致しますと誓願の題目を唱えていくのです。

妙荘厳王本事品 第二十七

盤石な家庭革命の勝利を ~ 実証に勝る雄弁なし

「永遠の三指針」

  • 一家和楽の信心2、核人が幸福をつかむ信心3、難を乗り越える信心

古いしきたりと、進歩の相克~息子が父を教化するというストーリー

権力者の邪見を破る戦い ~ 信心は感傷ではなく、勇気です。

「不可能を可能にする信心」

・実証・現証 ~ 人間革命の実証

信心している人は多くても、本物の信心をしている人は少ない。自分勝手な、我儘な仏道修行などない。それでは如説修行にはならない。

「自分の不幸を夫のせいにしている」、貴方自身が変わらなければ、福運はつかめませんよ。「仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば影ななめなり」(P、992諸経と法華経と難易の事)

・権威や財産や名声で自分を荘厳している限り、入信前の妙荘厳王です。

・虚像ではなく、実像の自分で勝負していくのが信心です。

・「一眼の亀の浮木の孔に値えるがごとし」(P、1391松野殿後家尼御前御返事)

「家族は皆善知識」

四人の仏法者 ~ 妙荘厳王一家

三人は仏道修行に専念、一人はその食事係りとして生きていく。三人は仏道を得る事ができるが、もう一人も三人を助けた功徳で生まれるたびに王になれたが、いつまでも功徳は続かない。やがて苦境に堕ちてしまうであろう。そこで三人は彼のおかげで悟りを得たのだから救わねばならない。しかし彼は今は欲望に執着して邪見である。そこで家族の愛情の鉤で救い出そうと相談しました。

一人は美人の奥さんになり、二人は聡明な子となり、王の家族となり、王を救った。~後に浄徳夫人は妙音菩薩、二人の子は薬王菩薩と薬上菩薩なり

「離婚について」

あくまでも、本人の自由です。最後は幸福になればいい人間革命出来ればいい。ただし他人の不幸の上に自分の幸福を築くという生き方は仏法にはない。

「幸福には、忍耐の裏づけが」

生活は現実です。だから男性は経済力がなければならない、そして女性の話を我慢して聞いてあげる事です。

「二十一世紀は哲学の時代」

政治も経済も手段です。目的は人間の幸福です。その目的を達成するにはどうすればよいか、実現できるのかという哲学が必要になる。

普賢菩薩勧発品 第二十八

広布の同志を仏の如く敬え

「普賢とは、智慧」  「勧発とは励まし」

形式主義、権威主義になってはならない。

「普とは諸法実相・迹門の不変真如の理なり、賢とは智慧の義なり、本門の隨縁真如の智なり」(P、780御義口伝)

・「不変真如の理」とは「原則論」「隨縁真如の智」とは「価値創造」

法華経実践のポイント(創価学会の実践)

  • 御本尊 ②題目 ③和合僧 ④広布前進

誠心誠意で人の心を満たす ~ 一人の人を大切に(目標を一緒に決める)

「実質主義で行け」と戸田先生は云われた。

「無駄な会合は悪である」~会合は手段です。会合をこなすための組織になっては、本末転倒です。いやいやながら報告させてもウソが多くなる。

悩める人を救うための学会です。信心は「心」です。形式ではない。

・いつも出てきていないからと相手にしないというのでは無慈悲です。これない人をどう励ましていくか、これができれば広宣流布は今の何倍も広がっていくに違いない。「思いやり」こそが普賢菩薩の心です。

「文殊の智」「普賢の行」

「序品」で三人寄れば文殊の智慧」というくらい有名な文殊菩薩、最期を「行」の普賢菩薩が飾る。

「人類に欠けているのは慈愛」

知性が欠けているのではなく、かけているのは慈愛をもった「知性」つまり智慧です。これを拡げるのが広宣流布です。

・「如・去」は師弟不二の信心

名誉会長だから責任はない、しかし役職は仮のものだ。信心は一生涯、自分自身の心の問題です。

法華経二十八品は全体を通して、「師弟不二」の行動を炎の如く呼びかけている経典です。「増上慢」と戦い続ける信心を永遠に継承

「無量義とは一法より生ず」(この一法が法華経)

ちょっと状況が悪くなったくらいで、へこたれたり、誰かを批判して自分を防御するような、卑怯な人間になってはならない。

「創価学会の大いなる使命」

人間主義という大事な言葉 ~ アイトマートフ氏(ロシア)

・不軽の実践に徹せよ

物質至上主義は、人類にとって最低の事態である。今こそ精神文明を呼び起こすべきである。 ~ ルネ・ユイグ氏

・「自分を低くすること」 ~ パールバック氏

牧口先生の教育論 ~「教育の目的は生徒の幸福」

自分が高いところにいて安穏に暮らしているだけならもう仏法は死んでいる。

「詮ずるところは天もすて給え、諸難にもあえ身命を期とせん」(P232開目抄)

・アヘンでない宗教

「民衆を目覚めさせる」いかなる権力にも屈服しない宗教、人間らしく、自由に生きる生きるためには、命を賭けて圧迫と戦う宗教。

「革命は、死なり、我等の死は妙法への帰命なり

以上 要旨記述 2015/10/30

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