御義口伝 薬草喩品第五 授記品第六 化城喩品第七

薬草喩品五箇の大事

第一 薬草喩品の事

 四大声聞が一乗の譬えを聞き、三乗方便、一乗真実の哲理を知って領解したが未だ三乗五乗の別の有ることを説いていない。そこで一歩進めて三乗五乗の法に分かれることを示した。「三草二木の譬」~三乗五乗の機根

第二 此の品述成段の事

 法界三千(あらゆる森羅万象が皆成仏道)すなわち妙法の当体であり、不改本位の覚体であるという事を領解し(弟子)又承認(仏)したことである。

(師弟不二)三周の声聞の成仏、正説、領解、述成、授記

大通智勝仏以来の結縁を説いた化城比喩品は因縁周の正説であり、五百弟子授記品と授学無学人記品は領解、述成、授記の三つを明かしている。

・御義口伝に「今日蓮等の類、南無妙法蓮華経と領するは述なり、日蓮が讃嘆するは成なり」すなわち述成とは師弟不二、境智冥合。

「我々の指導のあり方の根本は、大聖人の御精神のままにすべて本人の正しい信心、幸福になるための境涯を大きく開かせるための指導でなければならない。又、教育においても唯義務的に講義を繰り返すのみではなく、自分と同じ境涯まで向上させようと理解させる姿こそ真の教育といえる。」

第三 雛一地所生一雨所潤等の事

隨縁不変の起こる文。二十八品は有差別であり、妙法の五字は無差別である。

御本尊は無差別、平等の慈悲である。

*妙法の妙について

「幾億万の星の存在、地球の発生、さらに生命の誕生等々因果の理法に非ざる物はないはずである。それらの根幹を指して妙という。~不思議とは無という事でもない。一つの法則が有り得ぬという意味でも決してない。非常に思議し難き大法則という意味を一口に妙と説かれたものである。この実態の本源をば不思議というのである。現代科学では説明できぬ。

衆生世間や国土世間の世間とは差別の義なり。いかなる差別があっても、成仏は疑いない。

第四 破有法王出現世間の事

日蓮大聖人(御本仏)が日本に出現されて、謗法の者を折伏される。

三界六道を二十五種に分ける。この世に厳然と実在する作用活動をば「有」というのである。あらゆる意味で我が生命活動に影響のある実在を妙法の原理とするのである。

第五 我観一切、普皆平等、無有彼此、愛憎之心、我無貧著、亦無限 の事

九識心王は己心の本尊なり。

・日女御前御返事(御本尊相貌抄)P1244

「此の御本尊全く余所に求る事なかれ、只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団におわしますなり、是れを九識心王真如の都とは申すなり」

五識とは、眼、耳、鼻、舌、身の識によって意の識が含まれぬがゆえに行動それ自体と言えよう。雨が降り、風が吹き、雲がわく外界の状態それ自体を感ずる姿である。これに意識が加わり通常の日常心が六識である。

第九識とは最高の識すなわち我が己心の仏界、我即宇宙の一念にも通ずる。

<授記品第六>  (授記品四箇の大事)

第一 授記の事

 末法今時における真実の授記は三大秘法の本尊である。古今東西の哲学思相

もみな大仏法の序分であり、流通分に過ぎない。

四大声聞とは我らが生老病死の四想なり

第二 迦葉光明の事

 真実の光明は南無妙法蓮華経なり。迦葉は頭陀第一、実践第一と言われた。

 頭陀とは物を払い去るという意味で、謗法の余行を一切払い去って、もっぱら南無妙法蓮華経を唱え、自行化他の修行にはげむ。宝塔品の「此経難持」の経文をわれらは身、口、意の三業で読み切り、今世の使命をりっぱに果たし、霊山にて大聖人のお褒めを頂きたいものである。

第三 捨是身己の事

 「還帰本理・一念三千」事の一念三千、南無妙法蓮華経の大御本尊に帰命するという意味。妙楽大師が「当に知るべし、身土一念の三千なり、故に成道の時この本理に称うて、一身一念法界に遍し」

 「不自惜身命」とは帰命する事、捨てるのではなく、捨(ほどこす)意味。

第四 宿世因縁吾今当の事

 下根の声聞(因縁周)のために宿世の因縁を説く。次の化城喩品第七で大通結縁の下種にもとずく因縁、五百塵点劫の下種にもとずく人生の目的である永遠の生命の会得、すなわち生命の本質を覚知せよ。

<化城喩品 第七>  (化城喩品七箇の大事)

第一 化城の事

 化城即宝処~「化城は皮肉、宝処は骨なり」色心なり。即の一字は南無妙法蓮華経なり、念々の化城、念々の宝処なり、仏界の湧現。唱題、九界即仏界

 化城は観念であり、宝処は生活である。

第二 大通智勝仏の事

 大通覆講三千塵点劫の其の昔、十六番目の王子が釈尊とされる。

第三 諸母 泣の事

 諸母とは元品の無明、又は邪宗を信ずる人々のことである。母を殺す、父を殺すとは、あくまで生命に潜む悪を破すと読む。

 報恩抄に「仏教をならはん者は、父母、師匠、国の恩を忘するべしや」と、

 御義口伝(上)の「序品七箇の大事」に「南無妙法蓮華経の剣を取って、貧愛、、無明の父母を害して、教主釈尊の如く仏身を感得するなり」

第四 其祖転輪聖王の事

 転輪聖王は、金輪、銀輪、銅輪、鉄輪(生老病死)三世常恒、永遠の生命の中で生老病死と巡りゆく事を顕わす。

第五 十六王子の事

 十界と六根を意味する。八方作仏~八方の国土に二人ずつ生じて成仏した。

 (全世界)八苦が即菩提と開く。

 ・宗教は崇高であり現実社会は汚いものである。そこで宗教を現実の社会と切り離して考えるべきと思い込んでいる傾向がある。生活を離れた宗教、信心は絶対に有り得ないのである。

第六 即滅化城の事

 生命を今世限りとすれば化城であり、不滅の城と知見し、永遠の生命を確信すれば宝処になるのである。「化城即宝処」なり。

 寿量品(P506)に「而も実には滅度せず」と説く。

 同志、後輩を激励することはまだ化城、この激励により起ち上がり信心が進み境涯が開けば、それ自体は宝処である。

第七 皆共至宝処の事

 「如我等無異」~一切衆生を仏と同じ境涯に入らしめる。

以上 要旨記述 2013/08/16

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