属国日本論

副島隆彦著

≪具体事例≫

Ⅰ、1996年、「米日安保共同宣言と沖縄問題」

・ナイ・レポート戦略

Ⅱ、1993年、「北朝鮮核疑惑と韓半島情勢」

・ノドン1号騒ぎ(国防総省)~日本をびっくりさせておこうする。

・米朝合意(核枠組み)~金体制の崩壊をアメリカが支えた。

・偵察写真(スパイ衛星)による日本向けミサイル配備。

Ⅲ、1996年、「台湾海峡情勢の裏側」

・キッシンジャー外交 ~ ソ連の対中核攻撃が有り得ることを示唆した。

なんにも知らされていない日本の政治家たち

・中国海軍のミサイル演習

中国封じ込め策としての東アジア戦略を充分に見抜いている中国。

Ⅳ、19977月、「円安戻し政策」の舞台裏。

・円高是正の奇妙な動き ~ 1ドル100円

・ルービン財務長官・榊原氏交渉

・橋本首相がルービンにアメリカの国債を処分するよと云いに行った結果、1ドルが100円台になり、日本経済は一息ついたのである。

リチャード・クー氏(二重スパイ)の提言によるとされている。

Ⅴ、日本の空の管理

・日航機墜落事故を巡る空の管理 ~ 米軍による空の管理

彼らの国益とするものは何か。日本人の命ではない。米軍が日本に駐留し続ける事の戦略的意味合いにこそアメリカの国益がある。日本当局がどう動こうが、人命がどうなろうが最終責任は日本人にあるとする。

*衝撃的事実は、この墜落した日航ジャンボ機の尾翼を壊したのはアメリカ空軍の練習機なのである。米軍の練習戦闘機が日本の飛行機を標的にして訓練を行っていて、ミサイルを誤射して当ててしまったようだ。

*57000人ものアメリカ兵が駐留する理由

ソ連、中国の共産主義の脅威から守る事

①「ビンの栓理論」~反共の防波堤賭しての位置付(日本、韓国、台湾)

②日本脅威論~大東亜共栄圏構想(ASEAN諸国は駐留を歓迎)

なぜ6200億円のおもいやり予算を計上してまで駐留を認めるのか。

Ⅵ、其の他

①エイズ薬害問題 ②O-157大腸菌問題(遺伝子組み換え実験による牛肉輸入)③エノラ・ゲイ号を巡る資料展示公開の中止問題等

*なぜ原爆投下を急いだのか?

1945年ヤルタ会談後に参戦してきたソ連に対し「日本を降伏させたのはアメリカだ」という実績を必要としたからだ。

現行の世界の諸国家の枠組みである国民国家及び国家主権体制はこのあと100年ぐらいは壊れないだろうし、国家対国家の利害関係を巡る争いと交渉事を中心に動いてゆくだろう。

・伝統保守派 ~ 民族の優秀性を誇示する。

・世界保守派~アメリカによるグローバル(新自由主義)資本主義経済体制。

①親米派はアメリカの窓口、受け皿としてコントロールする。

情報操作、(真実を伝えない)

②自民党政権(吉田茂以来)では、国民を交えないで、議論もせずに外交問題を処理してきた伝統がある。

佐藤栄作の「非核三原則」の密約後の沖縄返還(1972年)

“隠ぺいするな、事態を語れ”

*佐藤栄作のノーベル平和賞

「歴代の受賞者」

シュゥバァイッアー博士、マーチン・ルーサ・キング牧師、キッシンジャー博士、アンドレ・サハロフ博士、マザーテレサ女史、ダライラマ14世、ミハイル・ゴルバチョフ氏

沖縄返還交渉 ~ ニクソン、キッシンジャー国務長官との交渉

米中大接近を生み、「ソ連挟み撃ち戦略」。「沖縄の核抜き、本土並み返還」

「メースB」の撤去は中国へのサインだった。(戦略家ニクソン)

沖縄返還~ニクソン訪中~米中合作(佐藤氏ノーベル平和賞)~ソ連衰退

*佐藤栄作がアメリカから資金提供を受けたわけ(1957年)

政治にはお金がかかる。選挙資金として「親分が子分の面倒を見る」といった方式でお定まりの構図が国家の最高レベルとされる政界では露骨なまでに簡単に展開されている。

一国の首相がアメリカの外交官にグチをこぼしてメモ一枚で交渉にあたる。

1991年ソ連崩壊後の対日戦略用のアメリカの公文書の中で、日本の保守勢力による左翼勢力への批判対策として資金提供をしてきた事が明るみにされた。

朝鮮戦争の時アメリカのCIAの前身グループが児玉誉士夫と組みタングステンを密輸し(1000万ドル)戦略物資の横流しの事実が公開文書で明るみにされた。尚ソ連も日本共産党を見限り社会党一本に絞り資金を流し続けた。

1965年沖縄立法院選挙支援を1996年の米公文書公開でCIA、自民党の資金計画の裏付を朝日新聞が報じている。

1994年米外交文書の公開の意味するところは、CIA から自民党への資金援助と云うアメリカ側の態度は自民党を見限った。という事を意味する。この前年の93年に細川政権(連立)が誕生している。

この細川政治改革政権は守旧派勢力に攻められ倒される。その後「反小沢」路線で「村山、自社さきがけ連立政権」へと進む。

まさにこの時期に自民党と社会党と云う反米の統一戦線を組んで刃向ってきたと感じたのではないだろうか。

このあと「河野談話」としてモンデール大使との間で、全てがうやむやにされてしまう。政治資金規正法で禁止されている外国からの資金援助は自民党も社会党も法律違反に当たる。ところがモンデール大使は特に異論ははさまなかったという表現ですべて終わりである。共産党さえも騒がない。自分たちも、かってはソ連からの支援で活動していた集団であったことを蒸し返されるのが嫌だったからだろう。

*世界覇権国アメリカ

世界政治の中心ワシントンDC ~ 「シンクタンク16」

1,各国の地域研究(政治、軍事研究)

2,産業統計やマーケテイング戦略、人口動態調査等

国家戦略研究所(日本にはまだ存在しない機関)などのアメリカのシンクタンクは政府にくっついている付属機関ではなく、公務員官僚ではない。

日本版総合研究所の類は本来のシンクタンクとは似て非なるものに成り果てている.「日米対等、太平洋のかけはし」、などとおだてられそれを鵜呑みにしてきた日本では国際的な政治戦略分析は全く行われていないし、どちらかと云えば経済分析(景気予測)や企業委託のマーケテイング、リサーチに力点を置いている。そうした意味で国際的政治分野への思考や論文作成をする人材を抱えていないのが現状である。

そこで日本の大企業はワシントンに駐在員事務所を置き大手シンクタンクやロビイストに高額のコンサルタント料を払い経営の安全をほしょうしてもらっている。(いいカモである)

A、ネオ・コン=グローバリスト派 ~ ユダヤ系理論家(新保守主義者)

対日対策においては、どれだけ平和協力金を絞り取るかの研究。

アメリカの力と指導によって経済的、政治的、軍事的に世界の秩序を維持すべきと考えるグローバリズム(地球主義)を日本人には未だ解かっていないようだ。日本は独自に国家戦略研究をしない様に封じ込められてきて、しかも反共の防波堤としての役割もさせられ大事にされてきたものだからどうも真実は自分たちで決められないように、マインド・コントロール(洗脳)されているようだ。

B、伝統保守、リバータリアン保守派 ~ 反福祉、反官僚、反税金

NATO軍からの撤退だけではなく、韓国、日本の極東地域からの撤退。

自分の事は自分でやるべきと主張。外国領土からアメリカ軍を引き揚げさせアメリカ独自の国内での平和活動を主張

日本としては、後しばらくはアメリカの戦略の枠の中にいる事で軍事的保障の下で生きてゆくしかないが、個人的にはリバータリアン派の自助努力の思想に興味がある。

1,ブルッキングス研究所 ~ 民主党系グローバリストの牙城

2、 CSIS (戦略国際問題研究所) ~ ネオ・コンの本山

3、 AEI(アメリカンエンタープライズ研究所)~ネオ・コン派の牙城

4、 ケイトー研究所~リバータリアンの本山、反官僚主義、公務員抑制政策

財政赤字の元凶を取り去る。レーガノミックスの呼び名。

5、 ヘリテイジ財団 ~(伝統保守派の正統)草の根気風

6、 カーネギー財団 ~ ネオ・コン

7、 CFR(外交問題評議会)~グローバリスト、日本の経団連に似ている。

8、 ランド研究所 ~ 軍事研究の老舗

9、 フーバー研究所 ~ 伝統保守派

10、IDA(防衛分析研究所)~グローバリスト(国防省の子会社的存在)

11、CDI(防衛情報センター) ~ 伝統保守派、軍縮と反戦を主張

12、ジョンズ・ポプキンズ大学SAIS (高等国際問題研究所)

ライシャワーセンター~(グローバリスト)

13、IIE (国際経済研究所)~ グローバリスト(国際金融通貨政策)

14、リーズン財団~リバータリアン(カリフオルニアを拠点)

15、ロックフオード研究所 ~ 宗教右派(シカゴを拠点)

16、ジョージメイソン大学IHS ~ リバータリアン 

各国の力の均衡の上に現状を固定させて、その上からアメリカが支配する。

*「分断して統治せよ」

世界の各地域の国同士を決して仲良くさせないで、互いに対立、反目させることでバランスを取るのである。

アメリカの中東への政策オプション(選択肢)は70年代にキッシンジャーによって国務省に提出していたものを20年かけそれを実行に移したのが湾岸戦争である。あの湾岸戦争は、クゥエートを侵略したイラク軍を国際的強制執行としてクゥエート領内から叩きだす行動だった。国連の平和執行活動としてソビエトも、中国も安保理も拒否権を使わなかった。内側で進行した真実のストーリーは全く別の相貌をしていた。中東にくさびを打ち込むというアメリカの選択肢(政策)であったのである。

同じことは、極東地域における中、日、韓、朝、台5か国を決して仲良くさせないで、アジア諸国だけで連合するような事にでもなればアメリカは許さないであろう。属国たちが共同したら自分に刃向ってくるというのが、ローマ帝国以来の原理である。アメリカはこのようなわけで同盟国(友好国)群を管理する。

「諸国家間の政治学」としてモーゲンソー博士の思想、この戦略理論「バランスオブパワー」(力による均衡理論)

キッシンジャーを育てたのは、ロックフエラー。キッシンジャーに育てられたのがロード国務次官補(東アジア担当)である。

ドイツのハンナ・アーレント女史(思想家)はロシア革命とフランス革命は失敗したがアメリカ独立革命は成功したとネオ・コン派をたきつけた。ソビエト共産主義知識人の弾圧やドイツのユダヤ人強制収容所の存在に強く反発していた。イギリスのアーノルド・トインビー博士(歴史学者)はソビエト封じ込め政策を実質的に推進した人であり、グローバリズム(ユダヤ商人の思想)の抵抗者でもあった。

*日本人の腹の底を覗き込むことに一生を懸けた地域研究者たち

マイケルグリーン、エドワード・リンカーン、ケント・カルダー他

1950年代社会科学者、民主党リベラル派の学説を社会に応用しようとした

*ブレイン、トラスト(頭脳集団)シンクタンク思想

失業、貧困、人種対立(社会の病気)を治療する。

80年代に入り結局無理と知る。理性がすべてとする西洋哲学の限界を知る事となる。ここに人間革命を核とする仏法(慈悲)の必要性が問われてきた。

1946年SWINCC(国務省陸海軍省合同委員会)からマッカーサー司令部宛の文面に天皇制に対する人間化する指令書が届き、「以上の事は日本国民に認知されてはならない」という管理教育されてきた日本人の姿である。

日本人には、自民党が良く似合うという。しかしアメリカは、日本を含め他の東アジア諸国に対してそれぞれの課題を課しながら、従属国として抑え込んでいる。世界的普遍価値が民族的固有の価値を超えるとしてきた。

例えば、沖縄基地問題などはアメリカの国内思想闘争を中心に据え直すべきであり、日本国内だけではどうにもならない問題である。アメリカのグローバリスト官僚は日本人は思考分裂を起こしていることを実によく知っている。

1996年、日米安保共同宣言における有事研究「集団的自衛権の行使は憲法違反としてきた政府見解を日本は見直すべきかどうか」これらはアメリカ側グローバリスト官僚たちが外交協議の議題(アジェンダ)として持ち出してきたものである。アジェンダが次々と天から降ってくる。天とはアメリカの事でありこれが米日関係の真の姿なのである。日本は最早官僚OBたちの研究所であってはならない。本物の国家戦略研究所をめざし、自分たちの命運を自分たちで本気で考え予測できる国にしていかねばならない。

*外交交渉が前に進まない時どう対処するか

自由貿易体制(フリートレードシステム)は国家の生命線である。国内におけるあらゆる既得権益を握りしめている組織や国体それに巣食う特権階級から特権を剥奪してでも、世界基準の国づくりをしなければならない。

1990年以降のバブル崩壊による国家損失1000兆円。今後もユダヤ系ハゲタカフアンド資本の攻撃を受けて餌食にされることに為るだろう。

しかし依然として日本は従来通り変わろうとしないで現状維持を続けて、世界の嵐が頭上を通りすぎるのを待つという自民党体制が幅を利かせている。「世界で最も重要な二国間関係」と云うまやかしの関係で騙され続けている。

世界帝国の例からして、いう事を聞かない属国は軍事力を背景にねじ伏せられる。日本は従順な属国としての対処の仕方でいつまでいられるのか。

外交交渉を通して何とかソフトに運営してゆこうとしているようだが、アメリカの真意を分析し見抜くための智慧をどこに求めたらいいのだろうか。

中世日本における、禅宗、朱子学、等の宋文化を政治思想として有難がってさも解ったふりをして自分勝手な解釈で権力者にすり寄り、江戸期においては儒学者どもに振り回され現代世相への影響力のなさに気付くのに世界の動きから大きく後れを取りやがては外圧により開国へと向かわされた過去の事を知るべきである。日本を開国へと導いたのはアメリカである。

しかしこの時期アメリカは国内問題としての南北戦争があり一時手を引かざるを得なくなり、日本の強制開国はアメリカからイギリスへと移った。

アーネスト・サトー(通訳)等3人の外交官による。

*ここで世界帝国の流れを振り返ってみたい。(紀元前の歴史は除く)

1世紀~4世紀ローマ帝国を経て、唐、宋、明などの東アジア帝国を経て

13世紀~モンゴル帝国(中央アジア一帯)、16~17世紀スペイン、そして19世紀~イギリス帝国(江戸期から明治にかけて)20世紀~アメリカ帝国(昭和から現在に至る)

これからの日本はアメリカの世界戦略に見合うように行動し、感情的、心理的な反米主義に走ることなく、日本の国家戦略研究を開始せねばならない。

欧州諸国、ドイツ、イギリス、フランスさえも戦後アメリカの属国になったことを再認識すべきである。

19世紀から20世紀にかけて対ロシア(ソ連邦)への脅威はイギリス、アメリカ両覇権国と云えども気の抜けぬ冷戦状況に変わりはなかった。

21世紀に入り中国の台頭が大きな問題となり、いよいよもって日本の置かれた位置が重要視されだしてきている。

日本は歴史の転換期に重大な思想転換を起こしてきた。

明治維新の指導者たちが、尊皇派から開国派への政治転向を起こしている。

1991年のソ連崩壊前後の社会主義[左翼]者たちの政治転向は何を意味するのか。20世紀に入り対ソビエト包囲網の極東における役割分担を受け入れた(日米同盟)日本は、いわゆる知識人層自体が大きな真実を見抜く知識、情報に欠ける体質を引きずったまま現在に至る。

司馬遼太郎の小説に見るような虚偽のイメージがまかり通る日本。

日露戦争後伊藤博文は山県有朋に国内を任せ、大英帝国のロシア包囲網とし   て朝鮮、満州を防波堤として考えていた。ところが大東亜共栄圏構想に突き進み中国に進出したので英米の逆鱗に遭い阻止され大敗北を被る事となる。

「明治の元勲」伊藤博文といえども、当時のロスチャイルド家の「上からの眼」で全て見透かれていたのである。

・当初は日英同盟に始まり日露戦に勝利して有頂天の日本に対して世界覇権を巡るイギリスとアメリカの対立に気づかずしかも大東亜共栄圏構想なる地域的覇権主義としてルーズベルトの介入により叩き潰される運命を辿る事となる。アメリカは日本に対し当初は、中国から手を引けと要求した。だが日本はその要求を飲まずに真珠湾攻撃へと打って出た。とても飲める状況ではなかったようだ。

*国際社会における強制退去の事例としては、以下のような事例が存在する。

ユーゴ(ボスニア)問題、パレスチナ問題、そして1991年の湾岸戦争に見るような他国への侵攻には必ずと言って犠牲が伴うという事を学習したい。

小室直樹氏の云う「日中関係とは日米関係の事である」に詳しい。

この時期アメリカはスペイン領(18世紀の覇権国)からフイリピンやカリブ海諸島を奪っていたのである。それを知ってか知らずか日本軍の南方方面進出には疑問が残るだけではなく、当時の世界情勢が見えてなくイギリス覇権の衰退とアメリカへの乗り換えが上手くいかず国の舵取りが失敗していた。

*ザ・グレート・ゲームについて

ユーラシア大陸をぐるりと取り囲むように半円を描いた東の端に日本は位置する。西の端がフインランドである。

東ヨーロッパ各国と北海沿岸バルト三国はソビエト連邦国家群として久しく

併合されてきた。西欧諸国の中でもイタリア、ギリシャ、トルコは良く似ていて日本の政治の不安定さがそっくりである。

世界史の大きなうねりの中にキチンと納まるようにして日本もまた存在してきた。だから日本だけが独自に存在することは今後もあり得ないという事を知らねばならない。中央アジアを巡るイギリスとロシアの闘いの中に中国が介入してきている。

いつの時代も、軍事的な実効支配があるかないかが領土問題(国家主権支配権)の実体である。だから北方領土も尖閣諸島問題も実効支配権の及ぶことが重視されるのである。中々綺麗ごとだけでは収まらない問題である。

*ところで日本の指導者たちの中には、アメリカの言いなりになり開国派よろしく覇権国の下に屈服させる役割を演じる者たちが出現してくる。自己保身優先で、組織集団内の立ち回りが上手な人種はいつの世にも存在する。

小心者で他者へのレッテル貼りと噂話だけが得意な者たちである。

*日本の近代史について

1,1543年鉄砲伝来~西欧社会から初めて発見された国として舞台に出る

2,間宮海峡とシーボルト

3,「脱亜入欧」論  福沢諭吉~学問のすすめ

4,国際連盟からの脱退 ~ 進路を誤った中国進出

*シーボルトについて

1823年、オランダ商館の勤務医として日本に派遣されたドイツ人。日本の情報を広くヨーロッパに学者として公表することで生計を立てていた。

当時、伊能忠敬が完成した日本地図(国家機密)の写しを国外に持ち出した。

後にアメリカのペリーがそれを持ち歩いたようだ。

*薩長連合による武力倒幕路線を描いたイギリス

イギリス公使館襲撃事件~尊王攘夷派武士(高杉晋作、伊藤俊輔、井上聞多、久坂玄瑞、品川弥二郎等)による事件。事件後どういうわけか急激に思想転向して開国論者に転じている。

*トーマス・グラバー商会(長崎商人)の存在

秘密結社フリーメーソン会員。当初は転出用の再製茶業から高杉らの外国行きの旅費の立替や、後には軍艦、大砲弾薬に至る武器商人となる。

戊辰戦争の幕開けとされる、鳥羽伏見の戦いでアームストロング号という当時最新鋭の野戦大砲が勝敗を決したとされている。

討幕軍(薩長軍)のために働いたのち、なんと2年後に明治維新政府の誕生と同時にグラバー商会は倒産している。おそらくジャーデイン・マセソン側が他のヨーロッパ諸国からの疑いの眼そらすために、イギリスの日本管理戦略を悟られないように跡形もなく消してしまったのではないだろうか。

その後は、岩崎弥太郎の三菱財団に引き継がれている。

*兵器こそが薩長連合を成立させた。アームストロング号の射程距離は当時において約4㎞、対する幕府側の大砲は800m~1㎞程度

この時期から日本はイギリスアメリカの支配下に入ったのである。

幕府側にはフランスが付き、薩長の討幕側はイギリスが担いだ。

ジョン万次郎のアメリカからの帰国は、ペリー来航の2年前に当たる。このタイミングの良さには驚きを超えて敬服さえ抱かせる。

*余談として、ジョン万次郎と勝海舟、坂本竜馬、後藤象二郎をつなぐ線が浮かび上がってくるので紹介したい。

J・万次郎は漂流漁民としてアメリカの捕鯨船に救出され本土に於いて英語教育を受け10年後に琉球(薩摩藩)に帰される。そこから鹿児島に連行されその後長崎で取り調べを受け故郷の土佐に帰された。ここで岩崎弥太郎と出会いその後江戸に渡り幕府の翻訳方として、ハリス公使との交渉通訳として働いた。1,860年条約の批准書交換のために幕府使節としてサンフランシスコへ渡る。その時に勝海舟、福沢諭吉等と同船している。土佐では、坂本竜馬も教えを乞うている。竜馬はこの時期、後藤象二郎と和議が成立して海援隊を組織するが資金に困り薩摩の援助を受けていたので、対長州藩説得の代理人となりイギリス戦略のメッセンジャーボーイよろしくグラバーの下で動いていたであろう。一介の脱藩浪士が何の後ろ立もなく薩長同盟などと云った政治力を持てただろうか。日本対策班だったグラバーとイギリス外交官たちが控えていたと考えるべきであろう。当時竜馬はイギリス戦略には反対で、慶喜首班とする公武合体路線(大政奉還)を実行していた。

・寺田屋事件と情報戦

将軍慶喜公は公武合体路線を更に推し進めようと先手を打ち大政奉還を宣言。

これに対して倒幕派は朝廷から「密勅」を取り軍事クーデーターを企てた。

天皇と朝廷は、安泰に存続できるようにと云う行動原則を1千年の間に身に着け相争う両勢力の両方に対して顔が立つような矛盾した行動を歴史的には取ってきたのである。この動きの直前に、薩長同盟成立の2日後に至り竜馬は邪魔者扱いされて寺田屋事件を経て暗殺されるのである。

・吉田松陰と佐久間象山 ~ 開明期における思想と先見の明

・大村益次郎と後藤象二郎~戊申戦における「薩長土肥」4連合軍と軍事資金

・岩崎弥太郎(三菱財閥)~軍事政商、後にロックフエラーと繋がる。 

*私の日本の国家戦略は次のままである。

「日本は、今後もアメリカの保護の下で生きてゆくしかない。しかしなるべくなら自立して自分の力でやれるだけのことはやりたい。従って駐留米軍についても、ひとまず撤退して頂きたい。しかしこの安全保障の問題で実際のところ日本には自力で国家を防衛する力が足りない。足りない分については助力をお願いしたい。その分の費用については細かく計算した上でお支払いしたい。従ってそれ以上の無理な要求はしないで頂きたい。」

以上 2014/03/18

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