養老孟司 所感

人間社会も都市化の中で平和で安全が理想とするならば、それは、大量に飼育されるその条件として、常に食糧が与えられる家畜と同じであって、「まともな生き方」が、果たして可能といえるだろうか。

「人生苦あり、以て、楽しむべし。人間死するあり、以て、生くるを知る。」

なぜ生きてゆくのは苦しいか。なぜ苦しくとも生きてゆかなければならないか。

いろいろと悩むこと多し。予知能力を持った人間はこの悩むことからは逃れられず、悩んで当たり前です。悩めない人もたくさんいますが、そういう人は、バカと呼ばれています。

ところで、悩みには元来一定の答えなど無いこともこの際知るべき時期でしょう。

大切なことは、悩んでばかりいるのは、本来バカバカしい事であって、時には肩の力を抜いて、リラックスする事です。

出来ることなら、少々我が儘になることでしょうか。病気の方から、逃げ出したくなるくらいに我が儘に~  この意味が、解る頃には、悩みが悩みでなくなっていることでしょう。ここまでは、「バカの壁」で有名な解剖学者養老孟司氏の指摘です。要はストレスを溜めない生き方が肝腎なのです。所詮生き方の問題が問われているようです。

仏法を学んだ同士の一人として、味わってみてください。

又、彼は職業柄、人間の死に関して独自の立て分け方をしていて興味深いので、ここに紹介したいと思います。

  • 一人称の死(俺の死、私の死)存在しない死。
  • 二人称の死(悲しい身内の死)死体でない死。
  • 三人称の死(アカの他人の死)死体(物体)としての死。

ここでは自分の死だけは確認しようにも確認のしようがない。だから死んだ後のことまで余計な心配をしたって無意味である。

私自身若い頃とは違い、危険な一元論(原理主義)に陥らずに、正義の押しつけがましさを多少感ずる年頃となり現在は、趣味の陶芸にハマッテいます。   

参考までに 2013/08/09

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