新自由主義 近代経営学についての考察と学び 馬留見_所感

1、新自由主義についての考察

(近代合理主義、人間主義、市場原理主義、グローバル主義)という実態の悪い面に目を向けずに、リーマンショックのその暴力性に手を焼いている。元々完璧な社会システムなどありえないことに加え、理路整然とした話に嘘の多いことを知りつつも、民主主義的装いの裏に見え隠れする部分にもっと注意を払う心構えをいやというほど今回は学んだ。

元来日本には、“分を知れ”という教えに沿って身の丈に合った経営理念が根強く存在し、“丁寧な物つくり”と誠実な商売が大切で、“損して得とれ”、「信用第一、信頼関係からの「互恵戦略」を尊しとしてきた経緯があり、「能力主義、成果主義」を重んずる「市場主義」とは一見異なる“終身雇用制、年功序列制”という労使協調路線という雇用システムを踏襲してきた。

21世紀に至り、経済流動化の流れの中で日本は今、一部の規制緩和の功罪半ばの状況にあって悪戦苦闘を余儀なくしている。

2、近代経営学の基本に学ぶ

全てを、利益、コストによって換算するのがその理念である。

よって進歩主義化の市場にあって、新自由主義思想は、金融や投資の世界で暮らす人々にとっては支配のツールであり、まさに歓迎すべき思想であった。

本来、商品の本質とは、再生産可能か否かを見極める事であったのが、労働、土地、貨幣を商品化したことで、マネーゲームの愚(為替、証券取引の投機)、土地の投機性(環境破壊)がもたらしたように、俄かに不幸の因と化した。

同じ人間の中に4通りの異なる価値を併せ持つ者同士が競争原理のもとでは、 消費者と投資家には充分に報いたかもしれないが、労働者と市民は酷い目に遭遇した。その結果、3人に1人が非正規労働者として扱われている。

誰もが納得できる政治を行うという、もっともらしき欺瞞に満ちた言動で政治家は巧みに国民に嘘をつく。誰もが納得するような政治など存在しないことぐらい国民は知っている。だから政府は市場に関わる必要はない。

所得配分さえ、きちんと公平にやってくれればよい。

以上 2013/08/04

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