対話 馬留見_所見

6/12「考える会」 岩浪敏之

戦争は同じ人間を特別扱いする「線引き」から始まる。

ブッシュJRは、戦争や経済制裁を正当化するため、ある国を「悪の枢軸」と呼んだ。フランスのゲットーで幼少期を過ごし、イスラエルでアイヒマンの裁判を傍聴したユダヤ系アメリカ人哲学者ハンナ・アーレント女史は「ナチス」と云う状況は誰もが条件によっては潜在的に作り得る「悪の凡庸さ」と表現。

身近な人にも、誰しも自分の中に在る悪の芽が増幅する瞬間がある。

例えば話をしている時、自分の話を全部伝えたい、理解してほしいからと自分の話を夢中でしてしまう衝動に駆られる場合がある。

相手の聴く状況や何を求めているのかを確認せずに、一方的に自分の話をするのは、右翼の凱宣車のようなものだ。しかしそういう人は意外と少なくはない。

自分の話は相手よりずっと高い価値があると感じるので、限られた時間内に相手の異論、反論をさしおき、問答の暇も小さく抑え自論を拡散したい熱望を抑えられないからだろう。

すなわち、「安倍晋三」は特別な人と云うよりは、身近な人で自分の中にいるかもしれない。だから、代わりはいくらでもいる。雨後の竹の子のように。

対話とは、お互いの(人間としての対等な価値)を認める事から始まる。

以上 2014/06/15