魯迅の言葉 他 所見

*魯迅の言葉

 真実を語るには、むろん大きな勇気が必要である。その勇気がなく虚偽の上に、かりそめの生

 をむさぼる人間には新しい生命の道は開拓できない。

 日蓮は世界第一の法華経の行者である。この日蓮を謗り、怨む者の味方になるような者は、

 世界第一の大災難に遭うであろう。 ~ (撰時抄通解)

*人間革命第3巻 「漣の章」 ~ 日本正学館(戸田会長に師事した10年間の死闘)

 宗教、仏法の事が理解できて納得したのではなかった。宗教の持つ、教祖を頂点とするピラミ

 ッド形の息苦しい上下関係、多くの宗教団体が陥りやすい点に反発しながらも、戸田の人間

 的な魅力に対しては、どうすることも出来なかった。

*戸田会長というさまざまな貌を持つ宗教者

 1、受験の神様時習学館 ~ 推理式指導算術

 2、雲雀男 ~ 事業手腕に長ける。(下駄や、保険の外交、カツオ節の行商(妻))

 3、教育事業 ~ 進学希望の小学生向け「模擬試験」

*宗教への抵抗がある文学青年(池田青年)

 この二人が稀有の師弟関係を結びえた理由

 1、抹香臭さがない

 2、偉ぶらない(聖人君子ぶらない)

 3、法華経の講義が面白い ~ 煙にまくような厳かな説法でもない。

 4、生活法、哲学論、そしてユーモアの持ち主。

 冒険少年から少年日本の編集長を任される。当時のイラスト作家小松崎茂、西條八十、横溝

 正史、一世を風靡せるも昭和24年出版不況、インフレ、貸し渋り、の波には逃れられず、金融

 事業へと転業する。 ~ 1950年(昭和25年)理事長辞任

 1950年11月矢島周平が新理事長に就任するも、金、異性、権力欲と3拍子そろった人望な

 き人物として、抜け目のない物分りのいい顔をして若手青年部幹部の歓心を買おうとする、いず

 この組織にもありがちな先輩である。

 昭和10年(戦前)に初代牧口会長に助けられ、マルクス主義の思想犯としてのレッテルから日の

 あたる場所に戻された恩も忘れ、今度(戦後)は、戸田先生をも裏切る事となる。

*1951年(昭和26年)5/3 第2代会長戸田城聖誕生

 すべて人で決まる。人材育成の訓練の場として「水滸会」の発足。

 昭和27年5/3 池田先生結婚

 明治維新の革命は、遠視眼的であって、国家のみを考え、自分のことを考えていない。我々は

 正視眼を持って、国家のためでもあって、自分のためでもなければならない。

 人材輩出のためには忙しくさせる事です。組織を若返らせその中で人材が養成される。

 自分の悩む姿をそのまま見せてやればよい。決して偉そうな顔をしてはいけない。エリート主義

 の打破。政治体制の優劣よりも、民衆を幸福にする政治であるか否か。

 昭和23年昭和電工事件(賄賂工作)三当二落とまで揶揄された。

 昭和31年(1956年)大阪参院選挙公明党大勝利にマスコミ驚く。

*なぜ関西は強いのか ~ 常勝関西、東京への対抗意識からか。

 関西で勝ちあがれ。あらゆる企業、団体もしのぎを削った。学会が躍進する急所だった。学会

 と松下は共に関西から世界へ飛躍していった。(東の佼成会、西の天理教と言われていた)

 同じ目線で語りかける池田室長。かたや小ばかにして号令ばかりかける幹部。

 「もし信心していない人に信心してくださいと頭を下げて頼むような人が大阪に一人でもいたら、

 そんな組織があれば、担当の幹部は責任を取って辞めてもらっても良いほどですいいですか。」

 利害がない。信頼できるから推す。義務的にやらされた選挙とは全く異なる充実感。

 すべてに御書を通しての指導。ごまかしや、言い訳や逃げの通用しない姿勢に感服。

 仕事と生活に勝て。白木が勝っても、自分自身が生活に負けては、惨敗である。

 「選挙活動は自由です。自分で決めてください。どうか後悔のない活動をしてください。」なん

 と度量のある腹の据わった人なんだろうか。

 その後すぐに山口作戦(布教拡大)を展開する。

以上 2012/08/10

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