日蓮の歩みと教え(佐渡期)

日蓮聖人の歩みと教え 一般書籍

《日蓮の歩みと教え(佐渡期)》

高橋俊隆 著

第一章、 佐渡配流


・寺泊に出立
「五人土籠御書(日朗他)」・転受軽受法門(受難・滅罪・成仏論理)
「佐渡御勘気鈔」
・佐渡ヘ出立 ~ (依知より直江津経由で佐渡へ向かう)
   「寺泊御書」 (佐前最後の書) ~ 六日間順風を待つ間滞留)
・「贖命重宝法門」」「或人難日蓮」
① 機根を知らずに荒々しく折伏するから難に遭う。
② 末法の位の低い者は摂受を行なうべきところに背くから。
③ 自分も折伏の義は知っているが、日蓮のように云わないだけだ。
④ 日蓮の弘通は教相の差別の一面ばかりを見て、重要なのは観心であり自分はそれを知っている。
*松崎から(一泊)多田・川内村(川内川に沿って)小倉峠を越え長谷寺を
すぎ寺田を通り佐渡国府守護代の本間六郎左衛門尉の守護所に着いた。
畑野町目黒町の台地、大野の郷、塚原(新穂村大野の根本寺ではない)

第二章、 佐渡在島


・塚原三味堂と「開目抄」
重連は、仏教の問答は法論で決着せよと印性房(念仏)を諭し塚原問答となった。生瑜房(律宗)~「法華浄土問答抄」
・「二月騒動」北条一門の内乱(自界叛逆の難の的中)
法華経の尊さは理解できるが諫暁の後に諸天の加護がないのはなぜか。
“日蓮御房は師匠にてはをはせども余りにこわし。我らは柔らかに法華経を弘むべしと云々”~(迫害に耐えられない弱さがあった)
「開目抄」から一ヶ月後「佐渡御書」「佐前佐後の法華経観」・値難を経験
・「八宗違目抄」 ~ 八宗の教えと法華経の相違
*本尊と一念三千について
・「本尊」
真言宗は大日如来、浄土宗は阿弥陀如来を本尊とするが、法華経に釈尊を父と説くことを知らない(不知恩)と批判。
・「一念三千」
  華厳宗・真言宗にも一念三千の義ありとするが、天台の教学が混入していると指摘、真実の一念三千は、天台の「魔訶止観」第五に示されている。
妙楽の「弘決」を引いてこのほかに別伝の法門はないとする。
・「開目抄」
法華経の行者としての責任から、弟子信者の不信感である受難の正当性を説くことが、「開目抄」の最大理由でした。
諸天の加護という疑問に関して述べたのが本書の主題で、死を覚悟の日蓮の心境に迫らなければ、「開目抄」が理解できないのかもしれません。
「報恩抄」に“一切衆生の盲目を開ける功徳あり、無間地獄の道を塞ぎぬ”
法華経に結縁し、信仰に導く事、謗法の怖さを知らしめることが前提となって「法の開顕と人の開顕」の二つが示されている。
・法華経の行者としての確信=上行菩薩としての開顕(人開顕)
・観心本尊抄は、観心の法門=題目一大秘法への開顕(法開顕)
開目抄に於いて本因本果の法門が解解され、本門の事の一念三千が成立

「三段十八章」


・第一段 序論 ~ 儒教・外道・仏教(法華経)
 (第一章)~「主師親の三徳」と「五重の相対」により仏教勝る・
 (第二章)~「一念三千」如来寿量品の文底に説かれている
 (第三章)~ 邪宗が蔓延したために善神が捨国した
・第二段 本論~法華経が末法の明鏡(日蓮が色読により証明)
 (第四章) ~ 二乗作仏(これがないと成仏しない)
 (第五章) ~ 「久遠実成」(本因本果の法門)難信難解である
 (第六章) ~ 受難を覚悟の「立宗宣言」
 (第七章) ~ 法華経の予言を身読
 (第八章) ~ 諸天の加護がなぜないのか一期の大事・この書の肝心
 (第九章) ~ 「迹化の菩薩」と「迹門の一念三千」
 (第十章) ~ 「本化の菩薩」の出現により、諸仏と菩薩は釈尊の弟子
 (第十一章)~ 諸宗の本尊の誤り(釈尊本尊を知らない)
 (第十二章)~ 厳愛の義と一念三千仏種
 (第十三章)~ 三箇の勅宣と二箇の諫暁にて法華経の行者を確認
 (第十四章)~ 三類の強敵があれば法華経の行者も存ず
 (第十五章)~ 立正安国論と三大誓願の確認
 (第十六章)~ 滅罪と忍難弘教の約束
・第三段(流通分)~法華経弘通について
 (第十七章)~ 末法は折伏の時
 (第十八章)~ 仏使の行いと悦び

<第一段 序論>
第一章、主師親三徳と五重の相対により、仏教が優れている事を述べる
・「浄蓮房御書」
弥陀や大日などの諸仏は、主と師の徳はあっても親の徳を欠する
釈尊のみに三徳具備
・「五重の相対」:教えを比べて勝劣を論ずる手順を五重相対という
諸経と法華経の勝劣を論ずること 
1、内外相対~儒教は過去未来を説いてないので不知恩の者
2、外道も生死を離れることが出来ないのでともに成仏できない。
3、仏教は三世の因果を解き明かした釈尊真実の教えなり。
(外典外道に対すれば大乗なり)
1、 大小相対~大乗と小乗の区別、一切衆生悉有仏性・十方有仏を説く大乗が勝る。
2、 権実相対~釈尊の随自意である真実(二乗作仏・久遠実成)
法華経以外の権大乗は二乗作仏を説いてないから、二乗・悪人・女人は成仏できない(歴劫修行)法華経は二乗作仏を説くことにより、十界互具、一念三千の法門が成立、実大乗と云われ勝れている。
3、 本迹相対~「但此経に二十の大事あり」
本門十四品と迹門十四品;久遠実成が明かされてこそ論理が成立する
迹門の釈尊は始成正覚、有始有終の仏(本因・本果・本国土)の実体を顕していない。本門の久遠実成の開顕により、法、仏ともに無始本有(本因本果の法門)一念三千の出処は略開三之十如実相なれども義分は本門に限る~「但し真実の依文判義は本門に限るべし「本勝迹劣」
本門如来寿量品にあり
4、 種脱相対(教観相対)~「文底秘沈の法門」
・教相  本門八品・一品二半の如来寿量品の文上
・観心  如来寿量品の文底秘沈、一念三千・妙法蓮華経の五字
*日蓮正宗大石寺、日寛師 解釈
第二章、一念三千は如来寿量品の文底に説かれた
第三章、邪宗が蔓延した為善神が捨国した。
法相宗・真言宗・華厳宗は天台の一念三千を盗用し印と真言の事相を加えた。伝教はこれらを論破し天台宗に帰伏させ比叡山の末寺とした。しかし時代と共に邪宗に移り、諸天善神は正法の法身を失ったため、威光を失い国を捨て去り国中に悪鬼充満せり
第四章、二乗作仏がなければ私たちの成仏もない(法華経は衆生皆成仏)
第五章、久遠実成(本因本果の法門)~難信難解
釈尊の生命は肉体を持つゆえ有限です、その釈尊が永遠の生命を説た。
日蓮は、広範な経典に比べわずかに湧出品・寿量の二品のみを真実とし、その他の諸経を方便として棄捨することは難解であると述べる(難信難解)
天台・伝教・日蓮は「爪上の土」として正法護持の難しさを強調した。
第六章、受難を覚悟して「立教開宗」~三類の強敵・三障四魔
第七章、法華経の予言を身読した
末法に入って二百余年「白法穏没・闘諍堅固」仏記によれば流罪・死罪。
天台伝教を信じて忍難慈勝の弘通をしたのに諸天の加護がないのはなぜか。
だが厳然と立証できることがあった。法華経の予言(未来記)を実証したことであった。法華経第五の巻、勧持品の二十行の偈 
日蓮なくばこの一偈の未来記は虚妄となりぬ。(三類の強敵の迫害)


第八章、諸天はなぜ法華経の行者を守護しないのか
松葉ヶ谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難などにて(一期の大事)難を逃れたのは、偶然だったのだろうか。
“月のごとくをはせし物、江の島より飛びいで使いの頭にかかり候いしかば使い怖れて斬らず”(妙法比丘尼御返事)
“天より明星の如くなる大星下りて前の梅の木の枝にかかりてありしかば~”
(種々御振舞御書)
第九章、迹化菩薩と迹門の「一念三千」
釈尊が無量義経を説いたとき(72歳)諸菩薩・天人が真実の教えを聞こうとする。
第十章、本化菩薩の出現により、諸仏・菩薩は釈尊の弟子となる
宝塔は二仏並座して虚空にあり(虚空会)~「二処三会」
地涌の菩薩が大地より出現~「動執生疑」
すなわち釈尊は、諸仏とその弟子も従える師徳を具備した本師なり。
第十一章、釈尊本尊を知らない諸宗の本尊の誤り
“華厳宗、真言宗は釈尊を下して虞舎那・大日等を本尊とし天子たる父を下して種姓もなき者法王の如くなるにつけり。浄土宗は釈迦分身の阿弥陀仏を有縁の仏と思って教主を捨てたり、禅宗は下賤の者一分の徳あて父母を探るが如し、仏を下げ経を下げ此皆本尊に迷えり”~「人皆禽獣に同ぜしがごとし。寿量品を知らざる諸宗の者畜同、不知恩の者なり」
諸宗の本尊は誤りであると述べます。
第十二章、厳愛の義と一念三千仏種
「父母の厳愛の二義」
第十三章、「三箇の勅宣」と「二箇の諫暁」によって法華経の行者を確認
法華経の諸仏・菩薩・十羅刹女は当然の事として浄土宗の六方諸仏・二十五菩薩・真言宗の千二百等、七宗の諸尊・守護善神は、「日蓮を守護し給うべし」と述べています。末法濁悪の時代に法華経を弘める行者を守護すると諸天善神などは誓っています。二処三会の座にましましし日月等の諸天は、法華経の行者出来せば磁石の鉄を吸うが如く、月の水に還るがごとく須臾に来て行者に代わり仏前の御誓を果たせ給うべしとこそおぼへ候に~
自己は行者ではないという懐疑と罪悪感などの反省を含みつつ念仏宗や禅宗など法華経に敵対する者は悪知識なのか謗法の者としそれらの正体を明かし過失を顕すと述べます。
・「生盲は力およばず」謗法とは何かを明かすのも「開目」
“六難九易”を自身の経験として「身読)「
・釈迦の教えは「依法不依人」私情による勝劣の判断や邪見による立義は禁止すべきことを述べる。
・天台伝教の教学は、慈覚・智証・安然・慧心により密教化、禅化、念仏化され法華経を宗としながらも実態は法華経の教えを失っていた。これらの諸師が獅子身中の虫とされた理由である。
・提婆品の悪人成仏と女人成仏は「涅槃経」の現実化と認知するよう述べる。
(提婆達多は一闡提なり)~ 順次生に必地獄に堕べき者は現罰なし
第十四章、「三類の強敵」あれば法華経の行者も存在する
謗法を暗示し、謗法の怖さを知らせることも開目の意味
折伏にも行証と教証の両面あり。俗衆、道門、僭聖増上慢について説明。
不惜身命の行動に出たならば必ず受難にあう。(菅原道真大宰府に移封)
第十五章、立正安国論と三大誓願の確認
“詮ずるところは天も捨て給、諸難にもあえ、身命を期とせん~善に付け悪につけ法華経をすつるは、地獄の業なるべし~智者に我義やぶられずば用じとなり、その他の大難風の前の塵なるべし、ちかいし願いやぶるべからず”
法華経の行者を証明されたことは「上行菩薩」の自覚
第十六章、滅罪と忍難弘教の約束
摩訶止観第五に云く“行解既に勤めぬれば三障四魔紛然と競い起る乃至随うべからず畏るべからず之に随えば人をして悪道に向かはしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ等云々
・三障とは煩悩障(貪・嗔・痴)業障(妻子等)・報障(国主・父母等)
・四魔の中に天子魔と申すのも是の如し今世に於いて護法の功徳による罪業消滅を期待する
“我ならびに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし天の加護亡きことを疑わざれ現世安穏ならざることをなげかざれ我が弟子に朝夕教えしかども疑いを起こして皆捨てけん。つたなき者のならひは約束せし事をまことの時わするるなるべし。~”
妻子との別れは必ず来ることです~今度は霊山浄土から導いてあげることが大事です。
第十七章、末法は折伏の時であると諫暁する(流通分に入る)
「折伏」:」謗法不信の者を強制的に正法に入信させる(涅槃経)
「摂受」;温和に説得教化(安楽行品)
第十八章、仏使の行いと悦び
仏道実践者の行動(願いは令法久住)
・釈尊;寂光土から娑婆忍土に生まれ九横の大難を受けながらの化導
・羅什三蔵;亀茲国に生まれたが拉致されて中国に連行、後に西安にて経典の翻訳編纂に従事
・伝教;(最澄)遣唐使として渡航。(義真を通訳とした)~忍難弘教
・「身軽法重」
提婆はインドの外道に殺され、獅子尊者は断首、薬王菩薩は肘を焼いて燈明にかえた。聖徳太子は手の皮を剥いで外題に書いた。釈尊は過去世に供養のために自分の肉を売って資金とした。楽法梵志はバラモンの云った通り骨を筆として血を墨とした。これら二十行の偈文を色読する者を法華経の行者と 呼び日蓮はその使者であることを確認されたのが開目抄です。
第二節、一谷と「観心本尊抄」
・一谷入道(豪農)近藤氏の事で重連の配下、名主ではなくその下の身分
・中興入道(中興次郎入道)家族ともどもに日蓮を外護したとされている。
「日妙聖人御書」鎌倉から佐渡へ幼い少女を連れて日蓮を尋ねてきた女性。
幼女は後の乙御前のことで「乙御前御消息」があります。
・御本尊(曼荼羅本尊)
広式(十界勘請の曼荼羅)・略式・要式(一遍首題)と分ける。内容と目的によって、お守り本尊・祈祷本尊・弟子(寺号)本尊などの種類。
・文字曼荼羅(法華曼荼羅)髭曼荼羅ともいわれた。~(佐渡に於いて初めて図顕された始顕本尊)十界を網羅し互具を示した「文字曼荼羅」です。
・「観心本尊抄」
「如来滅後五五歳始観心本尊抄」
五箇の五百年目に当たる末法の時と捉える。唱題修行を重視し成仏のあり方に視点を置く「観心抄」と「本尊抄」を重視し曼荼羅を相承するときの儀軌を重視するという捉え方がある。
本尊の主体である本門の釈尊と事の一念三千の相貌が示す(本門の本尊)
第一章、 一念三千は天台大師の究極の教え
魔訶止観第五の文 ~ 教相の「五時八教」観心の一心三観・一念三千
第二章、 草木国土の成仏(百界千如と一念三千の違い)
木画を本尊とする。(これは草木に色心因果を認めた草木成仏)
第三章、 理具の十界互具を示す
自己の十界を知見するには法華経と魔訶止観の明鏡が必要であり、十界互具・百界千如・三千世間そして一念三千を知見出来るとする。
第四章、 妙法五字を受持することが事具の一念三千
十界互具論は難信難解であり、諸経と法華経の違いは、「未顕真実」「二乗作仏」「久遠実成」を説くか否かを判別することにある。
・一念三千仏種(法華経)
「内鑒冷然」~竜樹・天親の大論師は知っていたが敢えて説かず。無量義経は法華経を母とし、釈尊を父とした仏種論を説いている。
釈尊の因行果徳(妙法五字)を自然譲与 ~「無上宝珠不求自得」
第五章、本時の娑婆世界と本尊の相貌
今本時の娑婆世界とは釈尊と共に久遠常住の浄土に生きるということです。
この本時の世界を顕したのが曼荼羅と云えます。虚空会の会座(儀式)を本尊の相貌として述べられ、信仰の象徴となる曼荼羅の根拠となります。
第六章、末法付属の妙法五字
本門の涌出品から勧発品の中に深い教え「一品二半」涌出品後半から寿量品一品と分別功徳品の前半を指す。
第七章、地涌の四大菩薩に付属
妙法蓮華経の五字を授与し、滅後末法の弘通を付属した。
迹門の百界千如は有情界に限られていますが本門の国土世間は非情界の互具を顕しているとその相違を述べます。
「己・今・当」の三説に超過した隋自意の教えであり、難信難解なり
一念三千論の全貌に迫ったと述べそれを竹膜の隔てた程に近づいたと述べたのです。竹膜ほどの差異とは教相と観心の違いを云います。「一念三千の法門は、但法華経本門の文の底にしづめたり」
寿量品の久遠仏を識らない者は禽獣のような者であって、主師親の三徳を弁えない不知恩の者である。一品二半以外は、久遠常住の仏を知らない禽獣に等しいとして諸経による結縁を畜種に譬え成仏の正因とはならないとする。
日蓮は二乗・菩薩よりも凡夫を正機として受け止め、時に関しても末法の始めを正意とみて(白法穏没の時)釈尊は説き留めているのだとしている。
第八章、本門の題目と本尊を弘通せよ
末法に必要な弘教法は何か。弘法の用心として五綱を心得て邪智謗法の衆生が充満するときは折伏を前とす。謗法の堕地獄観は折伏による救済に繋がります。勧持品二十行の偈を折伏行の実践と認識し証明したところに日蓮の弘教の独自性があります。「三類の強敵」の迫害を忍難して弘教することが折伏です。(迫害者に抗戦する事ではなく)教理に対して強く謗法を縛めることが折伏です。僧形摂受の意図は何かということになります。日蓮は武力をもって抗戦はしていません。二度にわたる流罪(王難)に服従しています。
国主に対しては受け身なのです。権力者に対しては逆らえない、(それが誤りであったにせよ)しかし自分の信念は変えることはない。佐渡に於ける日蓮の身体は摂受と云えましょう。つまり僧の立場は摂受とするが、相手が順縁ならば摂受の化導、逆縁ならば折伏の化導と捉える。
第四節、流罪赦免(53歳) 3/13~3/26
佐渡出立(極秘の離島)米山峠 ~ 直江津経由 ~ 善光寺街道を護衛の兵を増員しながらも鎌倉の北条時宗を諫暁せんがため旅を急いだ。
当時越後、信濃の念仏者たちは、日蓮に敵意を持っていたとされている。

第三章、 赦免後の鎌倉


  「鎌倉に打ち入りぬ」 三度目の諫暁 
「三諫不容」     鎌倉を去る決意

以上