学校では教えてくれない日本史の授業
井沢元彦 著
<目からウロコの12講義>
- 江戸の三大改革は改革ではない
- なぜ黒船はそんなにもショックだったのか
- 佐賀藩の科学力が勝敗を決めた!
- 憲法17条に隠された話し合い絶対主義
- 国譲り神話が明かす日本らしさの原点
- 遷都はなぜ繰り返されたのか
- 源氏物語は怨霊鎮魂の書だ!
- 琵琶法師がなぜ平家物語を語るのか
- 武士は穢れ思想から生まれた
序章、日本史理解のキーポイント
何故教科書では「歴史」は理解できないのか
第1章、なぜ「徳川幕府」は滅亡したのか
“貴穀賤金”と“鎖国”から脱却できないトップリーダー
第2章、「大和朝廷」と「和の精神」の謎
日本人は「みんな仲良く」が好きなのはなぜか
第3章、“桓武天皇”と“藤原氏”は怨霊を恐れていた
なぜ日本では「敗者」がこんなにも称えられるのか
第4章、「武士」が天皇家を滅ぼせなかった本当の理由
何故日本人は「軍隊」を嫌うのか
第5章、なぜ無謀な戦争に反対できなかったのか
危機管理ができない日本人の欠陥
序章のまとめ
- 「耶馬大国と大和」 ~ 発音が同じ、両者は同じ
- 「安土桃山時代」 ~ 信長、秀吉「安土大阪時代」と呼ぶべきだが、史学の中心が東京大学と京都大学にあって大阪が無視された。
- 「因果関係」の捉え方 「日本通史学」という学問が存在しないため、全体像が解らない。
- ・徳川綱吉の「生類憐みの令」は当時の生命軽視の空気を変えようとした。
第1章のまとめ
- 江戸の3大改革(享保・寛政・天保)は成果に乏しく、田沼意次の財政改革が評価されていない。(コメの増産により、武士の給料が減ったことによる。)幕府の財政を悪化させた理由は、コメをカネに換える「石高制」に起因するとされる。田沼は商工業を重視、その他に勝海舟や坂本龍馬らによる「日本海軍」の創設などは当時“貴穀賤金”(朱子学思想)という商業を卑しいものと捉える思想による。
- 強い者、ズルイ者が勝つという戦国時代にあって、朱子学が重用された。
- 農民は土地のない者を流れ者として儒教による「士農工商」という身分制度に定着
- 徳川将軍は「覇者」なのか「王者」なのか 王者は「徳」で天下を治める。松平から徳川へ 「万世一系」尊王思想(朱子学)~天皇こそ王者なり。 260年後反幕府勢力(薩長)への大義名分となる。明治維新後、岩崎弥太郎、渋沢栄一らによる国が商売すべきとする「商業主義」が台頭
- 「薩長土肥」における「肥」の役割は、アームストロング砲なる科学力
第2章のまとめ
- 競争が嫌い ~ 話し合い(選挙も話し合い)談合体質
- 「憲法17条」“和を以って貴し”天皇の下に支配を秩序づける官僚の心構え
- 「五か条の御誓文」 ~ 1200年以上の間話し合い絶対主義
- 「神話」に見る「大和族」のルーツは弥生人 大陸からの渡来人らしい。“鉄器”を用いて“銅器”を用いていた「出雲族」を駆逐したとされているが、是が「国譲り」の実体ではなかったのか。 歴史上からも鵜呑みにせずに学ぶべきこと多し。 現代における護送船団方式なんかも、当時体力の弱い銀行に合わせて金利を設定し、護りあってきたわけである。“競争しないで談合しようぜ”
- 「独断専行型リーダー」は嫌われる(柳沢吉保、田沼意次、大久保利通) 話し合いは見えるような場で。一見話し合いのようであって話し合いではない。天下を取って安定したらトップは自己主張せずみんなの意見に従う(合議制)タイプの方が組織の維持にとって都合がよい。
- 5代将軍綱吉は「将軍」と「老中」の間に“側用人”というクッションを設け、自分の思い通リの政治を可能にした。 現代における、企業における“稟議書”なんかも時間と労力をかけてハンコをもらう制度も話し合いの代替え行為と云えよう。 責任者を特定できない事と追求できない面がある。《薬害エイズ問題》 いずれにしろ、判断スピードの遅れは否めない。
- 日本の原住民は「縄文人」か。出雲族として“銅器”を用いた「狩猟民族」で、大陸から「農耕民族」の弥生人が“鉄器”を用いて渡来してきてから大和族として日本に君臨した。そうした意味で天皇も他民族の扱われ方をする考えが存在する。
第3章のまとめ
- 怨霊、祟りを恐れた「藤原氏」は“遷都”を繰り返し“鎮魂”に努めた。 聖武天皇が、男子誕生を(皇統維持)目的に“東大寺の大仏”を奈良に造立。
- ・「源氏物語」は源氏を鎮圧した藤原氏の時代に源氏への怨霊鎮魂の為であり、“道長”が“紫式部”という藤原一族の女性に書かせたとされる理由も成り立つ。「賜姓源氏」~ 嵯峨源氏・清和源氏(武家の源氏)
- ・「平家物語」は仏教への期待感から“慈円”(比叡山延暦寺の座主)がプロデュ-スし、琵琶法師による弾き語りは、当時の人々に広く親しまれたわけは、仏教の“無常観”を背景に平家の興亡を描く盲目の僧によるとされ、時の(幼帝安徳天皇)までもが平氏の滅亡に殉じたことは仕方のないことであった。“耳なし芳一”の語りなどは、仏教の呪力に期待している所作である。
- 保元の乱(崇徳上皇の流刑)による上皇の呪いを鎮撫(御霊信仰)~怨霊の魂を神として祀る。(後に恨み、非業の死を遂げた人をも弔うという)
- “禅譲”という血縁のない者に地位を譲るという中国の考え方。 日本には女性天皇は何人もいるが女系天皇は未だかって一人も存在しない。 道鏡事件~宇佐の八幡神に、“道鏡坊”の即位の神意を聞くため和気清麿呂を使いに出すが結果は逆の神託とされる。
- 最澄(比叡山延暦寺伝教大使)と空海(高野山金剛峰寺弘法大師) 共に「唐」へ新しい仏教を求めて留学
- 風水と仏教により、佐良親王の祟りから都“平安京”を守ろうとした。
- 菅原道真を祀った「天神信仰」
- 藤原氏の権力構造の中でも“関白”という天皇の代理人制は特異である。
- 「太平記」は講釈(後の講談)
第4章のまとめ
“汚れとは違う穢れ”~農耕民族にとっては、穢れ、毛枯れ、作物を枯らす
高級貴族は死を扱う穢れた仕事は絶対やりたくない。貧乏貴族に警察の仕事をやらせて、都を守護させた。“検非違使”
- 頼朝は、最高権力者天皇を殺すことは出来なかった。~「朝幕併合」の流れ 「武士」は穢れ思想から生まれた。
- 罪は水に流す ~ 死の穢れ(宗教を無視)
- 実権を握ることを希望した「武士」と、必要としない“穢れ仕事”を武士に押し付けた「天皇家」とで利害が一致した。朝廷と幕府が併存できたわけ。
- 狩猟文化と農耕文化の違いアイヌの「イヨマンテの祭り」と天皇家の「新嘗祭」
第5章のまとめ
- 「言霊信仰」が太平洋戦争へと導いた ~ 悪い予想は口にしてはいけない。負けると言ったら非国民扱い。
- “大本営発表”~ 希望的観測をまるで事実であるかのごとく報道する。危機管理が下手であり、起こってほしくないけれども起こり得る事に対する策を講じない。口に出せない事だから十分な対策を講じることが出来ない。
- 「現場監督」は戦争を“するかしないか、あるいはやめるかやめないか”ということに関しての権限は一切有しない。出来るのは上からの命令に従うだけだ。陸軍の参謀本部、海軍の軍令部は共にするかしないかの決定機関。
- 根拠のない“勝”は希望的観測に過ぎない。「言霊信仰」に支配されている“希望的観測”と“論理的予測”の区別が苦手。
- 「キリスト教」を理解しないと「西洋史」が解らないように「日本史」も「言霊」がわからないと理解できない。
- 言霊の世界では現実と逆になっている。空襲警報が鳴るとB29がやってくる。ガン告知においても、病気でないということが最大の治療法(先生取り消してください)今なお、「日本の報道」は言霊信仰に支配されている。
- 「記者クラブ」は大手マスコミに情報操作されている。 “世論調査”という報道規制。小沢一郎が嫌われて総理になれないのは、この記者クラブを無くそうとしたからと言われている。
以上