教 団 X

中村文則 著

「“われは考えて有る”という(迷わせる不当な思推)の根本をすべて静止せよ」

デカルトの“われ思うゆえにわれあり”を2000年も前に生まれた、仏陀が否定している。修行僧には執着が存在しない。善もなく悪もない。彼には煩悶が存在しない。

・聖者は何ものにも滞ることなく、愛する事もなく、憎むこともなく、戒律や道徳に拘ってはならない。「汝もまた信仰を捨て去れ」

中村元氏の注釈 ~ 「教義を否定したところに仏教がある」

絶対的境地~(涅槃、無、解脱)拘りがない。

・脳について

無数の原子(千数百億個)の結合体による化学物質。

身体は全部常に入れ替わるのに「自分」と云うものがあるのだと思い込んでる結合体(入れ替わりながら固まり維持されている原子の緩やかな結合体)

物理学では、一般的に「魂」の存在を否定します。

仏教そのものは、特定の教義と云うものがない。「機縁」に応じ現実の人間をあるがままに見て、安心立命の境地、無限の発展を可能にしてきたと捉える。

異端をさえも包容してしまうこの性格に由来すると言えようか。

・宇宙について ~ 「リグ・ウエーダ」の宇宙生成論

太陽系などの星の群れが集団として銀河系を形成

この宇宙がたまたま人間にとって都合がいい状態だったので、人間が生まれたとされる。私たちが正体の解っている物質、原子(エネルギー)素粒子などは約5%しかない。あとの95%は何なのか。そのうちの23%が「暗黒物質」

アインシュタインの相対性理論によれば重力は空間の曲がり(屈折)による。

元から原子たちは「意識」を作りだす能力が具わっていたとされ、 我々は三次元の世界の中にいるが意識そのものはこの三次元的意味とは異なる領域に属すると云われている。

人間の身体は焼かれても消滅しない。原子が拡散するだけでつまり地球上に常に存在し続ける、そして再び誰かの身体の構成物質になり得るとされる。

われわれの身体の材料は大昔からの使いまわしであり入れ替わり続けている。

・量子学

不確定性原理 ~ 自由意志などない。あたかも定められた人生行路というショーを見せられている観客とでも言えようか。

「運命」とは、確率と偶然と捉える事により自分はいつかは「死ぬ」という事を知っている意識の上に立っていると認識する事ではないだろうか。

人間はこの地球上で唯一「物語」を求める生物です。この一本の物語の中を原子の流れの中で身体に力を入れて通過しなければならない。それが生きるということではないだろうか。この「物語」の道は険しい。

一つは西洋の「神の試練」 ~ “運命”による試練

もう一方は東洋の「諸行無常」 ~ “一切は無に還る”

時には挑み、時にはすべていつか消えるのだと考える。

貴方のこの物語を支える物理法則;無数に流れていくこの原子のシステムは圧倒的に豊穣で贅沢なものであるとされる。

・ところで忌まわしい戦争で死にゆく兵士たちを宗教で焚き付けるというやり方は、今も昔も同じである。かってフィリピンの主要地(奥地)が奪われるのを手をこまねいていたと本土の大本営から非難されないためだけに送られていた援軍兵士たちは、死にくるための援軍と讃えられ、国家の名に恥じぬ戦をしたと本土に報告するために死なされる「援軍」死して靖国の英霊となると言いくるめられ、“単発銃と自殺用の手榴弾で戦えと”

この戦争を支えてきたのは“気持ちよさ”お国のためという“犠牲の美”という大義に呑み込まれることで役割を与えられる。自分たちは相手より優れていると錯覚できる善意、正義を隠れ蓑に、自らの凶暴性を解放することが出来た。

・思想は個人の全存在を拘束してしまうことがある。感情で頭が硬化し、反対思想をいくらぶつけられても、“理論で理性を変える事は不可能に近い”とはドストエフスキーの言葉である。

思想が硬化する。これが人類の“悲劇”の底にある、“幼稚の極み”なり。

あらゆる宗教の聖典は変更不能なり。新興宗教が盛んだったのは、高度成長期にあって現世利益を求めやすかったからだとも言えよう。その後新しい宗教はそれほど生まれていないようだ。

・昨今の宗教家たちは占い師のように変化し金銭を多く持つ個人を相手に集団であれば現世利益が明確であり、一人なら何とでも洗脳できるとする。

・グノーシス主義(エジプトの古文書)

キリスト教から異端視され聖書から外された禁書として存在。

・教主が多重人格障害(解離性同一生涯)の症状を見せる場合がある。

頭の中で幻聴として神の声を聞いたとする。人格も分裂してゆき果ては自分という個人の下劣さではなく“歴史的な神話的な一つの現象であるのだから仕方がない”という事にしようとしている。

・俺は自分を〇○様に捧げた、苦しみも、悲しみも、迷いもすべて。だから何も考えなくていい何も悩まなくていい、自分の事は全て○○様が決めて導いて下さるから言われるままに日々実践していく事で何と美しい日々でしょう。

彼等が望んでいるのは、唯この教団を維持する事だけです。

・内面を揺さぶられそうになったときの対処法

一つは内面の揺れを味わう事の出来るタイプ、もう一つはそれをシャトアウトし深く考える事を避け自己を護るタイプに二分される。

要は反対意見に耳を貸すか貸さないか、どっちのタイプかだ。

だから組織に忠実な人も、組織に疑問を持ちながら結局のところ同じ行為をする人も結果的に同じだから共に“正義の顔”をするのはやめた方がいい。

お互いただ君の内面が異なるだけの事である。

・インターネットが人々の不満のはけ口となってくれている。人間がネットの中で(ツイッタ―)いかに幼稚になれるかのサンプルである。

この国を右傾化するには、格差によるそんな不満が必要なんです。

・なぜ裁判官が死刑を言い渡せるのか。判例主義だからです。司法への不満を逸らすため裁判員制度を導入した。過酷な負担を分担し、量刑の不満も云われなく済む。もしも不満が出てでもメディアを巧妙に使い世論をコントロールする。つまりこの国は官僚天国です。

・なぜ貧しい国が存在するのですか?

それは裕福な国々が彼らに貧国を望んでいるからです。国の王や政府は賄賂にまみれた悪人であることが望ましい。王に賄賂を与えて資源を手に入れる事を有利に運ぶという手法は最早、“日常茶番事”でもある。

ODAという名の公共事業(外交手法)

・自分たちの国で得る安い物は貧しい国の農家たちの劣悪な賃金の下に、裕福な国によって意図的に作りだされているとも考えられる。

・企業の暴走をコントロールできれば理論上では飢えはこの地球上からなくなる。~ 多国籍企業には監視機関を同行させるべきとする意見もある。

企業広告と関連のないメディアの出現を望みたいものです。

・これまで典型的になされてきた手法ではあるが、古代から宗教は信者獲得のため争いごとを繰り返してきた。国は内政が行き詰まると決まって国民の眼を外に向けさせ一体感を与えようとしてきたのである。

・大国に汚点あり、一点の汚点もない国など存在しない。

・靖国神社は戦争を可能にする宗教としての機能を十二分に果たしてきた。

兵士たちを「祭神」として祭り「英霊」として顕彰しているのだろう。

・国の右傾化を憂いながら、選挙においては各党候補を立てて一つにまとまらないで票を分け保守政党が利するようなことを繰り返している。

・我々が何をしても、中国と韓国という敵さえ与えておけば我々を擁護してくれる。彼らは強い権力側に身を置き何かの思想の中に入って他を攻撃することが好きなのです。我々のような保守を否定することは絶対にない。一度信じたものから距離を置き、これまでの自分を疑い新しく生まれ変わる勇気を持つことが出来る人間などそう多くない。我々が巧妙に与えた思想を、自分の考えとして思い込めればそれでいい。彼らはそれらを取捨選択はしないしできないのだ。何故なら彼らは大きなものに取り込まれたいからである。そして国は右傾化し武器産業が儲かる仕組みが出来あがるという歴史的にもあまりに典型的な保守の国の作り方である。

・神の名を語る詐欺師たち

世界的な古き宗教と云うものは、それぞれの文化によってその神の見え方が異なっているだけです。個人より全体、国家を崇めよ、そしてその熱狂の中に身を置くことには一種の快楽があった。人々は自分の卑小さを忘れることが出来、大きな大義を得る事で自分の人生を自分で考えなければならない自由という権利を得ようとする苦役から解放されることを望むのだ。あの全体主義による気持ちがいいという状態を人類史から駆逐する事だ。

日本人はこのシステムが出来上がるともう止め立て出来ない。気持ちがいいという状態のまま平和国家としてのバランスを保つのは不可能に近い。

今の政治家にそんなバランスを保つ力用は期待できそうにない。

・理論に理論をぶつけても、その人間が変わることは極まれです。代わりに別の思想を得なければ彼らは絶対に変わるることがない。紛争の裏には何かしら大国の思惑が絡んでいる事を見落とさないで頂きたい。

・我々はなぜ生きているのか。

それは「物語」を生むためであるという説がある。人生と云うものは比べるものではなく、あたかも一本の道を生き切ることである。誰かの生き方を参考にするのは別にいいし影響を受ける事だって構はない。でも比べすぎてはだめ。どんな人生であっても、問題はそれをどう生きるかなのです。たとえ時々辛いことがあっても誇り高く最後まで生き切ればいいのです。

・アイヒマンという男を知っているかい。ヒットラー政権下に於いて、数百万人のユダヤ人虐殺に関わったとされる政府の役人だが、理由を付ければ人間はどのような事もすることが出来る理由を創る事に長けている人間には特に。

スイスが永世中立国なら日本は平和追求国家になるべきだという人もいる。

以上

コメント