R帝国

中村文則 著

通常人類が目指す戦争とは、自国民の命が戦争で死なせない状況を指す。

だが日本の場合は国民の命の数など、はっきり言って関係なかった。

目的は、“勝つ”それだけだった。

・沖縄戦

住民たちはアメリカの捕虜になるくらいなら“自殺しろ”と教えられていた。

住民たちはそうするしかなかったのだ。女性は強姦されて殺され、男たちも激しい拷問に遭い酷い殺され方をされると言われていたのだ。

つまり最初から民間人の犠牲を前提に作戦され、実際に平穏無事に暮らしていた地域が、日本軍の移動するにつれ戦場化していった。

日本が考えていたのは、“勝つ”ことだけであって、“勝つ”目的のみを考えるなら、当時の日本の戦略は最も論理的であった。

自爆攻撃の特攻隊なども、若き精鋭兵士が何人死のうが、“勝つ”事だけが目的なら関係ない。アメリカ側には降伏を期待する通常の戦争であったのだが、

降伏のない日本の戦争が後には、原爆投下に至る悲惨な歴史となる。

軍事が肥大化した国ではよくあることだが、軍需産業の企業を活性化させる為に定期的に自国のミサイルを使って減らし兵器も壊す必要がある。

戦争はそのまま兵器の見本市でもある。

・「9・11」

アフガンという国を支配していたタリバンというグループに保護されていた

アルカイダという組織(ビンラディンという指導者)がアメリカの高層ビルに飛行機で突込んで破壊した。当然のことながらタリバンは攻撃されアフガンの支配権を失う事となった。なぜビンラデインはアメリカを攻撃したのだろうか。

アメリカをサウジから出ていかせるためであると言っていたようだが、テロで撤退するはずはないだろう。むしろ攻撃され結果戦争になり、軍需産業が莫大な利益を上げた。あまりにも大きな出来事は、少し奇妙でも何だか進んで行ってしまうようだ。

テロリストと呼ばれる連中がいる。彼らはほとんどが職業でテロリストをやっている。メンバーらはそこに掲げる偽りの主義や信条を信じているが、幹部から上は職業でやっている。

テロは世界的に需要がある。テロにより国民は激怒し、戦争参加に反対の声は小さくなる。テログループがやたら自分たちの「非道行為」を世界中にアピールするのは、ああやって超富裕層達にもアピールしているのだ。

我々は、こんなに非道な事を躊躇なくやることが出来る、どうです使えるでしょう。資金を下さい。 ~ きっとあなたが嫌な宗教の連中をあなたの代わりにこれからも苦しめる事ができますよと。

歴史的にすべての戦争は、自衛のためという理由で行われている。

ナチのヒトラーすら一連の侵略を自衛のためと言っていた。

国民を納得させる為にこういう「陰謀論」が罷り通るから感情的に反論するものも出てくる。いやそれでも何か腑に落ちない気持ちを覚えるのが人間だ。

その疑惑を払拭する手段は多々ある。

まずこの出来事には怪しいところがあるという情報をわざと流す。それに対し

陰謀論を粉砕する証拠を別の情報筋から出させる。これを二、三度繰り返せば、真実が明らかになりそうになっても「どうせ陰謀だろう」という事になる。

この様な自作自演行為は、完璧にやらないこと、わざと「脇を甘く」設定し人間の持つ全体心理を把握し、メディアを使えば大抵の事は可能となる。

「何か変だった過去の出来事」としていずれは消えていく。

・宗教の利用

党も教会も上層部も教義を語りながら宗教を利用している。

国民が最も必要とするのは、富、優越感、良心の満足そして承認欲求だ

無意識下の罪悪感に許しを与え、治療してくれる存在ほど貴重なものはない。

国家としての道徳を求めれば国民の利益は減ることになる。では党はその悪を被ることで苦悩しているだろうか、してはいない。なぜならそれは国民のためであり、自分たちに特権意識を持たせそれを相殺している。

そして党は、図太く、タフで、無神経にできていて国民にとっても都合の良いようにできている。

我々支配層は、その悪を被る対価として国が得る富の大半を支配する権利があるから、“貧しくても充実して生きられる”“金持ちは下品で本当の幸福を知らない”といわせる「ライフ思想」をメディアを使い拡げてやることで、国民の多くは、自分たちを惨めとは思わずにいられる。又、彼らにはプライドも与える事で、貧しいけれどプライドを保っていられるのだ。

テロをさせる事で憎しみを発生させ他国への戦争も可能となる。

又、宗教に勧誘されるとき、優しくしてくれるという承認欲求から入信するケースが多い。心地いいのだよ!人間にとって何かに認められるというのは。

他人種を見下す、つまり現代人は疲れているのだ。

立派であることに、知性に、自立に、善に、共存にそんな人間にとってハードルの高い事にみんな疲れたのだ。

常に何かが気になり、常に接続状態にないと落ち着かない。そもそも個としての存在不安の表れなのか。

世の中の文化レベルを少しずつ下げていく。国民たちを愚かにすること。

あんな真面目くさったまともな事を、ストレートに言われて世界が変わると思うか。人々はプライドが高いから「説教」と捉えてしまう。

世界が変わらない証拠がある。

素晴らしい芸術品、素晴らしい言葉がこれまでにどれだけ生まれてきたでしょうか。なのに世界の現状は未だにこの有様だ。

悪を善の殻で覆うといういやらしい心理、テクニックを覚えただけだ。

つまり人間は変わらない。メディアでさりげなく権力者を擁護し続ける恥ずかしいコメンテーターたちの輩。

国民に全体主義の一体感を持たせ、熱狂させ、戦争で荒廃させ、財政破綻させ破滅させるという流れ ~ 戦争とは外交の失敗である。

神という言葉が嫌ならしかるべき流れともいえるし物理学的運動ともいえる。

虐げられてる人間たちを善と決めつけるのは、間違いだ。彼らが支配層になっても同じことが起こるだろう。

ものを豊かに安く手に入れることが出来るのは、それだけ貧国の労働者たちが劣悪な環境下でそれらを作っている可能性が高い。

・嫉妬という感情

内面に闇とやらを抱えて、生真面目な顔で大勢に流されないその気丈で正しい精神とやらでもっと僕を軽蔑してくれ。

元々教会は党を全面支援し集票もし、献金もしてきた。国民を一つに束ねるのに宗教が一番いいと思った。

国民の大半は本当の教義を知らない。唯神を信じて戦没者を敬い、年末年始に地域ごとの教会に参拝する程度。

自由、多様性、男女平等、非差別そういった概念には「正しさ」がある。

教会の人間たちは内部の人間に優しい。この優しさを受け入れてくれる場所を手放す事は出来ない。

権力者は「正しさ」を振りかざすリベラルのインテリたちを憎悪し気に食わなくなって彼らを攻撃することで胸のつかえが取れるような開放感を伴うようになった。

以上 2017/10/27

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