平成;日本の政界 所感

1987年、10月、竹下内閣(右翼によるほめ殺し)~ 田中への謝罪要求

1989年、リクルート事件、6月に宇野内閣(わずか2か月足らず)

海部内閣発足、 12月、マルタ会談~ブッシュ・ゴルバチョフ対談

1990年、イラクがクウェートへ侵攻(中東問題) 湾岸戦争へと発展。

PKO協力法[海部内閣]、 安全保障問題~小沢(当時幹事長)発言。

「アメリカなしでは、日本は成り立たない」

1991年、国連多国籍軍による空爆、やがて地上戦へと拡大

都議選に於いて小沢幹事長は自民党、公明党、民社党との共同推薦者を立てるが、自民党都連は鈴木(現職)を推し勝利する。

11月に宮澤内閣が発足。

1992年、8月佐川急便問題 ~ 金丸信へのヤミ献金問題。

経世会の分裂 ~ 羽田派と小渕派

1993年、7月、宮澤内閣、衆院解散総選挙(嘘つき解散)

小沢・細川会談(1、1ライン)~ 改新(社会党抜きの統一会派)

「新生党」、「新党さきがけ」、「日本新党」、

8月、新生党細川内閣(連立)発足。土井衆院議長誕生させる。

新進党、切り崩し作戦の推移。野中広務(当時自治相、国家公安委員長)

野中・西口副会長会談 ~ 新進党への合流を一時中止となる)

神崎武法(当時郵政大臣)に対し、宮本憲治(共産党)宅、盗聴事件を

追及。当時オーム事件の捜査に絡み、宗教法人法の改正を目論む。

静穏保持法の制定(右翼の街宣活動を禁ず)

1994年、4月、羽田孜内閣(連立)~6月、社会党村山内閣発足

政策転換に踏み切る。北朝鮮の金日世氏死去

1995年、阪神淡路大震災復興の最中、地下鉄サリン事件、

国松警察庁長官狙撃事件。 都議選に於いて青島氏が当選する。

1,996年、1月橋本内閣 ~住専、北海道拓殖銀行、三洋証券、山一證券

10月、衆院小選挙区比例並立制による総選挙(消費税3%~5%へ)

  公明(旧公明党参院議員と地方議員とで構成)代表の藤井富雄(都議)の暴力団後藤組組長との「密会ビデオ」問題のことで権藤恒夫(旧公明党国対委員長)から平野貞夫氏(新進党参院議員)に相談。

  後に小沢・藤井会談 ~(新進党への合流)を図る。

  当時、自民党の野中と亀井は反学会キャンペーンの渦中の人であった。

住専国会を機に野中は、旧公明党衆院議員らに中選挙区制(3人区)に戻す用意があるので公明党を復活させないかと持ちかけていた。

  一方で梶山静六(官房長官)と小沢の間で自民党改革派と新進党との「保・保連合」を呼びかけていた。政局がらみの混乱期であった。

1997年、12月、小沢・秋谷会談で、新党に合流させる事となる。

  神崎代表(公友会)ら30人で「新党平和」として反小沢グループ結成。

1998年、7月小渕内閣発足

  参院選比例区での上位当選の人選で新進党との間でこじれ、参院は公明党を復活させたらどうかと提案された。  尚、 野崎副会長と平野会談

自民党からの「静穏保持法」を取る事で新進党との合流を取りやめにした。

野中・秋谷会談(加藤紘一の仲介)で新進党の旧公明グループは「黎明グループ(参院18人)」から「公明」に合流。

当時の公明党を取り巻く状況

村山政権時  野中、亀井らの「四月会」による熾烈な反学会攻撃 

橋本政権時  宗教法人法改正と池田証人喚問問題

小渕政権時  自由党(小沢党首)との連立構想~「1・1ライン」

矢野委員長のスキャンダル他、砂利汚職、リクルート事件、明電工事件

都議選、参院選、衆院選に於ける3連敗という危機感

学会と小沢を引き離そうという動きの中で、「このまま自民党と対立していたら何をされるかわからない。」として、自民党に接近していった。

*二つの大きな問題点

  • 密会ビデオ問題
  • マネーロンダリング疑惑(裏資金処理としての長銀金融再生法の成立を以て、法的処理しなかったとされる問題)

冬柴幹事長談~“与党になれば与党としての存在感を示し、影響を及ぼせる”とした。

1999年、4月石原慎太郎都知事誕生

10月、自・自・公連立 ~ 野中幹事長が仕切る(竹下のシナリオ)

  地域振興券のアイディアを藤井富雄に提案させる。

浜四津敏子代表代行の談話

  98年参院選で反自民で戦ったのになぜ連立なのか?

  選挙結果に於いて、国民は公明党にキャスティングボートを与えた。   自民党による単独政権は終わった。保守、中道政治を志向している。

  自民党による単独過半数を支持しないが、比較第一党として認知するという審判を国民は下した。

  • ①利権体質を変えるための連立
  • ②「権力」の中で「権力の在り方」を「国民のため」に変えていくため。

軍国主義、国家主義、への歯止めとなる連立。

神崎武法氏の談話

  保守、中道の立場から連立樹立にあたっては、内閣の一員として、その責任は共有すべきである。

公明党の路線変更の経緯

 1、過去の野党時代(社,公、民)~ 反自民、親小沢、政権交代路線

 2、1999年以降、反小沢、自民党と連立。これより「政権交代を阻止する」

   (行動と主張)を10年以上継続するに至っている。

 3、非自民の政権を目指す公明党の行き方とは矛盾するのではないか。

1993年、市川雄一氏の談話

  選挙結果によって自民党と組むことは公明党にとって自殺行為ではないか。

・浜四津「新党平和」氏の談話

自民党の国民に背を向けた自分たちの権利のための政治、利益誘導の政治それにはっきり「ノー」と言っています。そうした自民党の補完勢力になるつもりなど全くありません。

二大政権党もしくは二大政権勢力が日本に存在することが望まれる。

 4、コンプライアンス(法律遵守)が叫ばれる中で、「危険なことはしない」

  という風潮に変わってきた。無難に事を運ぶことが優先し、リスクを負っ

てまでチャレンジすることを避けている。

  選挙には金がかかる。そのために小沢は資金を必要とした。

  陸山会(政治資金管理団体)への東京地検特捜部の強制捜査と鳩山首

沖縄普天間基地移転問題での迷走等。問題の本質が見えにくい。

2000年、4森内閣発足~「密室談合」疑惑(青木、森、野中、亀井、村上)

  神の国発言。 11月加藤の乱(不信任決議案)野中の切り崩し工作。

2001年、4小泉内閣発足 ~ 平成研(経世会)への挑戦。

 新自由主義構想  脱規制、競争原理重視経済財政政策担当大臣(竹中平氏

起用)財務省対策  経済財政諮問会議の設置外務省の構造改革に挑む

(田中真紀子)失敗。

・「道路公団の民営化」に挑む。 官僚制社会主義

・「911全米同時多発テロ」発生。 国際テロ組織「アルカイダ」との対立。

 アフガンへの空爆開始

2002年、「辻元疑惑」秘書給与流用問題。  「鈴木宗男疑惑」問題。

2003、鳩山・小沢会談(合併構想) 管・小沢会談(民主党)

 3月イラク戦争

 衆院選の選挙区で公明党は民主党を支援していた。

2004、9月郵政民営化の基本方針  2005年 7月衆院で採決

2005、8月参院で否決  9月衆院郵政解散総選挙で公明党は、民主党

支援を禁じた結果自民党の大勝。

2006年、9安倍内閣発足。青木幹雄(参院のボス)に負い目の安倍

・組閣における大臣ポストを参院より2人

・ガソリン税収入問題(道路特定財源)~平成研の主張を通す。

・郵政民営化造反組の復党問題~参院選の為の復党。

2007、地球温暖化問題

「宙に浮いた年金記録」 ~ 長妻昭氏の追及(民主党)

7月参院選 ~ 民主党が過半数に迫る大勝利。

 7月軽井沢での方針(全国研修会)

 基本的には、自公の選挙協力は維持し、民主党との関係作りを進める。

・9月安倍内閣辞任し、福田内閣発足。(背水の陣内閣)

 公明党は参院選比例区で86万票の減少。選挙区では愛知、埼玉、神奈川

現職3氏落選。F票の減少が敗因とはいえ、学会員自身が公明党に投票し

ないで、民主党に投票した結果である。学会員の一部に公明党離れか。

・自民党と連立して10余年、平和、福祉を党是とする政策推進に反する

・坂口厚労相の(後期高齢者医療制度問題)冬柴国交相の(利益代弁問題)

道路特定財源問題で暫定税率維持するとした冬柴発言への非難の声。

・11月福田・小沢大連立構想(白紙撤回)

小沢代表が17人の参院議員と自民党と絡むと参院でのねじれがなくなるまで、

代表を慰留させた。

2008、7月軽井沢(全国研修会)自民党との連立に拘るな、民主党政権

に備えろ。9月福田退陣(私は自分自身を客観的に見ることが出来るんです。

あなたとは違うんです。)9月麻生内閣発足(解散総選挙内閣)

2009、7月衆院解散、8月総選挙公明党比例代表並立性全国11ブロック

得票総数805万票*2012年、12月の比例得票総数711万票と減っている。

(学会の選挙のやり方は、人の心を知らないでダメだ)

9月鳩山内閣(3党連立民主党、社民等、国民新党)による政権交代

308議席獲得の民主党 ~ 政権交代

2010年、6月管直人首相

以上 2016/03/07

コメント