吉川英治 著
< 地 の 巻 >
・御政道をではない
領主と民の間に介在して禄盗みも同様な、奉公ぶりをしている役人根性へ云うのだ。「領主に仕えて忠、民に接して仁、それが史の本分ではないか」しかるに~公務の出先、閑をぬすみ酒肉を漁り君位を笠に着て、民力を枯らすなどとは悪史の典型的なる者じゃ。~・唯権力がそうさせるのだな。純朴な民ほど官憲を怖がるあまり自分たちの土から兄弟らを郷土から追い出そうとする。
・果たして、憎いと思う人間どもに~領主の法規、そして自分自身に勝ち切れるかどうか。~・自然の理、世の掟に背いて勝てる人間は一人もありはしない。偉いのは掟だよ。
・そんな枝葉の問題ではない。大体お前の肚(性根)根本の考え方が間違っているから、いかに侍らしい真似をしても何もならんのみか却って正義だなどと力めば力むほど身を破り、人に迷惑をかけ自縄自縛というものに落ちるのだ
・そうだ、そうだそれくらい怒って見なければ本当の生命力も、人間の味も出ては来ぬ。近頃の人間は怒らぬことを以って知識人であるとしたり、人格の奥行と見せかけたりしているが、そんな老成ぶった振舞を若い奴らが真似るに至っては、言語道断じゃ。若い者は怒らにゃいかん、もっと怒れ ~
・たとえば、おぬしの勇気もそうだ。今日までの振舞は、無智からきている命知らずの蛮勇人間の勇気ではない。ましてや武士の強さはそんなもんじゃない。
怖いものの怖さを知っているのが人間の勇気であり、命は惜しみ労わって珠とも抱きそして真の死に所を得ることが真の人間というものだ。~文武二道というが、この二道とは二道と読むのではない。二つを備えて一つの道だよ、武道の悪いところだけを学んで、智慧を磨こうとしなかった。
・俺は今から生まれ治したい。人間と生まれたのは大きな使命を持って出てきたのだということが今わかった。解ったと思ったら途端に、悲しいかな樹の上に縛られている命じゃないか ~・そうではない。役人どものうちにお前のような者がいればずいぶん助けておいて世のためになる人間もあろうが、縛るのを史務だと考えている奴ばかりだから困ったものだ。
< 水 の 巻 >
「人間五十年、化転のうちをくらぶれば、夢まぼろしの如くなり」
・“強すぎる、もう少し弱くなるがよい”
・(書なども読むがいいか悪いかしれたものではない)~何かにつけ物事を理で解こうとする癖がついているようだ。自己の理知を通してうなずけることでないと心から承知できない人間になっている。剣の事ばかりではなく、社会の見方人間の観方すべてが一変していることは確かである。
・兵法者に書物などは要らない、智慧だ。生半可人の心や、気持ちの動きに敏感になったから、却ってこっちの手が怖れるのだ。
・恥ずかしくない門戸のうちに、良き妻を持ち、郎党や家の子を養って~家庭というものの暖かさのうちによい主人となってみたいとも思う。
・本当の武者修行というものは、武技よりは心の修行をすることだ。又、諸国の地理、水利を測り民の人情や気風を覚え城下から領内の奥まで見極める用意を以って(領主と民の間がどうなっているか)脚で踏んで心で観て歩くのが武者修行というものだ。
・足利義昭に付いてれば信長に討たれ、信長に従っておれば秀吉との間はどうなっていたか知れず、秀吉の恩顧を受ければ当然「関が原」で、家康にしてやられていただろう。
・名家の子というものは、自尊心が強くて僻みやすいので困る。
< 火 の 巻 >
・今、城普請は全国的で、江戸城、名古屋城、駿府城、越後高田城、彦根城、亀山城、大津城が着手され出している。
・もう庶民の頭には、、太閤時代の文化を懐かしむよりも、大御所政策の目利きの好い方へ心酔しかけていて、権力者は誰でもいいのである。自分たちの小さな欲望のうちで生活の満足が出来ればそれでよく苦情がないものである。
(民をして、政治を知らしむなかれ、政治に頼らせよ)
百姓は飢えぬほどにし、気ままもさせぬほどが百姓への慈悲なり。
・云っても返らぬことだが、四十代ほど油断ならない年頃はない。
自分だけがいっぱしに世の中を観、人生も解ったつもりで少しばかりにかち得た地位に思い上がってともすると失敗をする。
・剣は理屈じゃない。人生も論議じゃない、やることじゃ、実践だ。
彼が悩むのは必至の覚悟が持てない事ではなく、勝つことなのだ。
“絶対に勝つ”という信条を掴むことである。
・室町幕府が無能だったので、内乱ばかり起き、自分たちの権力ばかり通そうとし、人民たちは一日とて安き日もなかったほどですから、国の事なんか考えてみる人もありません。
< 風 の 巻 >
・無知はいつでも有智よりも優越する。相手の知識を無視してしまう場合においては無智が絶対に強い。生半可な有智は誇る無智には施す術がない。
世の中から思い違いというものだけを除いたら随分人間の苦労は減るだろう。
・酒を飲むと修行の妨げになる、常の修養が汚れる、意志が弱くなるので立身が覚束なる。~などと考えるなら、お前さんは大した物になれないだろう。
・勝敗の相の分かれ目は丁度水に映っている月影に似ている。理知や力を過信してそれを掴もうとすれば、却って生命を月に溺らせてしまうに極まっている。
・武家は武門の一門を世職とするものだが、それが政治の権を鉾にかざし右文、左武の融和も釣り合いもこの頃ではあったものではない。公卿は節句の飾り物、人形でも済むことだけを任されて曲げて被れぬ冠を乗せられている。
吾、人臣たらんとすれば今の世の中悩むか飲むかの二つしかない。如かず美人の膝を枕に月を見、花を見飲んで死のうかと。“先ず狡い人間は坊主、賢いものは町人、強いものは武家、愚かしいものは堂上方”
・古来から顕職の栄位に取り立てられて却ってために家を亡くし身を害したもの史上にも多い。その因を思うにみな門閥と内室の煩いから起こっている。
だから誰よりもお前の心に相談するのだが、お前はわしが所司代となっても師たるわしのすることには一切口出ししないと誓うなら任官しようと思うが。
・真に生命を愛するものこそ真の勇者である。
・すべての事業は創業の時が大事で難しいとされているが、生命だけは、終わるとき捨てる時が最も難しい。
・武蔵の考え(戦法)は、桶狭間の信長に思いをあわせひよどり越えの故智に倣って、当然に選ばなければならないはずの三道のいずれをも捨てて、まるで方角違いな歩くことにも難儀なこの山道の中腹まで登ってきたに違いない。
・誰よりも自分をよく知っている。わしは偉い男でも天才でも何でもない。只、お通さんよりも剣のほうが少し好きなのだ。恋には死にきれないが剣の道にはいつ死んでもいい気がするだけなのだ。
・神はないとも言えないが怯むべきものではなく、さりとて自己という人間も弱い小さい哀れな者と観ずる、もののあわれのほかではない。
< 空 の 巻 >
・人間は人間の限界しか生きられない。自然の悠久は真似しようとして真似られない。自己より偉大なるものが厳然と自己の上にある。それ以下の者が人間なのだ。人間の眼に映って初めて自然は偉大なのだ。人間の心の通じえて初めて神の存在はある。だから人間こそ最も巨きな顕現と行動をとる。しかも生きたる霊物ではないか。
・北条、足利、織田、豊臣、と長いあいだに亙っていつも虐げられてきたのは、民と皇室である。皇室は利用され民は値亡き労力のみにこき使われ~両者の間に君臨し、ただ武家の繁栄だけを考えてきたのが頼朝以降の武家政道。それを倣った今日の幕府制度ではあるまいか。
・士道、剣術ではいけないのだ。剣道、あくまでも剣は道でなければならない。
謙信や正宗が唱えた士道には多分に軍律的なものがある、それを人間的な内容に深く高くつき極めてゆこう。小なる一個の人間というものがどうすればその生命を託す自然と融合調和して、天地の宇宙大と共に呼吸し、安心と立命の境地へ達しえるか得ないのか行けるところまで行ってみよう。その完成を志して剣を道と呼ぶところまでこの一身に徹してみることだ。
・正義を骨に、民衆を肉に、義と侠の漢らしさを皮にして新興男伊達なるものがいろいろな職業や階級の中から今名乗り上げてるのだった。
・しかしそういう結果ばかり考えたら、人生は一歩も歩くことが出来なくなる。
自分の寸前さえわからない身で誰が保障できよう。ましてや人間の子、育っていく少年の先の事、又傍らの意志を以ってどうこうしようと思うことからして無理である。~川の中の魚になると、川が見えなくなる。余り書物に囚われて書物の虫になると、生きた文字も見えなくなり、社会にも暗くなる。~だから今日はのんきに遊べ、俺も遊ぶぞ。
・水には水の性格がある。土には土の本則がある。その物質と正確に素直に従って、俺は水の従僕、土の保護者であればよいのだ。世々の道にそむかざること。
・都市が都市らしくなるにつれて、必然的に人間が増える。様々な善悪が相克しあう制度が要る。制度の網を潜る方も活発になる。そして栄と祈る文化を打ち立てながら、その文化の下で浅ましい欲望に充ちた生活が血みどろになって、地上で絡み合う。
・「あれになろう、此れになろうと焦るより、富士のように黙って自分を動かないものに創り上げろ」世間にこびずに、世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値打ちは世の人が極めてくれる。
・人と人とが、円満に住んで行ければ、地上は極楽だが、生まれながら善悪ふたつ持っているのが人間だ。そこで人中ほど礼儀を重んじ、秩序というものが立ってくる。
< 二 天 の 巻 >
・戦場に出て戦うのと、平常の場合試合に立つのと、どっちが怖いか。
それは試合だ。
・応仁の乱この方、世の中の相は乱麻であった。信長がそれを刈り、秀吉がそれを束ね、家康が地ならしと建築にかかり掛けているが、まだまだ危ないことは、付け木の火一つで天下を火となさんとの気ぶりむしむしと西には満ちている。
野生の人間が、野生を大きく変われる時代はもう過ぎた。
・未だ三十にもならぬ身が、道のみの字でも分かったなどと高言するようだったらもうその人間の穂は止まりよ。十年も先に生まれながら野僧などもまだまだ禅などと話しかけられると背筋が寒い。「法門に住んで怖いのは、人をややもすると 生き仏のように崇める事じゃ。」
・云わば智を基礎とする兵理の学問と心を神髄とする剣法の道との勘の相違。
理から言えばこう誘えばこう来なくてはならぬはずという軍学、ところがそれを肉眼にも肌にも触れぬうちに察知し未然に危地から身を避ける剣の心機。
・だがその武士には又、ものの哀れというものがある。ものの哀れを知らぬ武士は、月も花もない荒野に似ている。只、強いのみでは嵐と同じ、剣、剣、剣と明け暮れそれを道とする身は尚更の事、ものの哀れ(慈悲)がなくてはならぬ。
・とは言え、自分も一時は野心を抱いた。然しわしの野望は地位や禄ではない。剣の心を以って政道はならぬものか。剣の悟りを以って安民の策は立たぬものか。善い政治は高い剣の道とその精神は一つと考えまする。
「それは誤りではないが、それは理論であって実際ではない。学者の真理は、世俗の中の真理とは必ずしも同じでない。」だが深く思うと政治の道は、武のみが本ではない。文武二道の大円明の境こそ無欠の政治があり、世を生かす大道の剣の極地があった。
< 円 明 の 巻 >
・(心利きたる奴);何かにつけ機敏なことに感心したが、又、その気の利くことが将来の大成という上には少し懸念される点でもあった。
・応仁の乱から室町幕府の崩れ、信長の統業、秀吉の出現と時勢は移り、そして秀吉亡き今は、関東と大阪の二つが次の覇権を競って明日も知れぬ風雲をはらんでいるが、億えば建武正平の昔とどれほどの相違があろう。
・武士道も町人道も百姓道も、全てが武家の覇権のためにあって、天皇の大みたからである臣民の本分を見失ってきているようだ。
・彼自身はひたすらに一筋の道を脇目もふらずに歩いているかに思われるが、傍から眺めると自由無得ないかにも気ままな道を歩いたり、止まったりしているように観えるのだった。
・生ける間、人間から憎悪や愛執は除けない。
「波騒は、世の常である。波にまかせて泳ぎ上手に、雑魚は歌い、雑魚は踊る
けれど誰か知ろう、百尺下の水の心を水の深さを」
以上